手を、つないで
11.茉歩
「彼女いるんで、そういうのはちょっと」
大勢でしゃべっていると、会話の間が合わさって、一瞬静かになる時がある。そんなほんの一瞬だった。彼の声が響いた。
みんなが驚いて、静まり返った。
私も驚いた。彼の隣にいたのは私と同じ部署の南さん。どんな話からその言葉が出てきたのか、大体想像がつく。
『彼女いるんで』
はっきり言ってた。ごまかしもせずに、きっぱり。
聞いたことがある。彼は女性からそういう『お誘い』を受けた時は、『あー……』とか『ちょっと……』とか言ったり、または無言になり、そして会釈をして、仕事に戻ってしまう、と。
だからこの前、高井戸さんとの電話で『無理』って言ってたのを聞いて、親しい人にはそういう風に言うんだって思ってた。きっぱり、はっきり。
でも、それは違ってたみたい。
……私?私が理由なの?かな?
そうだとしたら、凄く嬉しい。嬉し過ぎて、気が遠くなりそう。
……なんか凄く自惚れてる気がする。ちょっと頭を冷やそう。
そう思っていたら、少し飲み過ぎた。隣にいる平野さんは話すのが上手くて、聞いている内に飲んでしまうせいもある。
彼のあの発言をきっかけに、恋バナになった。
平野さんと4歳年下の旦那様との馴れ初めを聞いた。学生時代の後輩で、あちらからの猛アプローチを受けて付き合い始めたんだそうだ。平野さんはもともと年下NGだった。でも、旦那様は体は大きいし、性格もおおらか。童話に出てくる優しいクマさんみたいな感じで、年下感が全く無くて。そんな人が、一生懸命アピールしてくるものだから、ほだされてしまった、と言っていた。
写真を見せてもらった。本当に絵本のクマさんみたいな、優しそうな人だった。
普段の平野さんは、シャキッとしていて、落ち着いている大人の女性。でも旦那様のことは、穏やかで優しい目、嬉しそうに語る。本当に愛しているんだなあと思った。
話している最中に、彼が来た。私の向かい側、高井戸さんの隣に。
一瞬目が合って、でもすぐに平野さんに話しかけられてそちらを向いたから、それだけ。
でも、胸はうるさかった。あの発言の後にこんな近くに来て、普段の仕事モードで振る舞う自信がない。
彼は高井戸さんと仕事の話をしているみたい。
気を抜くと、見惚れてしまう。
少しリラックスして、壁に寄りかかって、片方立ててる膝に、手をかけて。その手は、私とつないでいた手。
思い出したら顔がほてって、平野さんに「顔赤いし」と言われてしまった。平野さんはお酒のせいって思ってくれてるけど、実は違うんです、すみません……。
「なんかさあ」
旦那様の話の延長で、平野さんは小さい声で言う。
「中森さん、最近可愛いよね」
ドキッとした。早苗ちゃんにも同じことを言われたばっかりだ。
「キラキラしてるんだよね。なにか好きなことでも始めた?推し活とか」
最近はそういう女性が多いんだそうだ。
「いえ、そういう訳では……」
「あれ、違う?じゃあ、もしかして彼氏とか?」
またドキッとする。見たら駄目、目の前に彼がいるけど見たら駄目。
ほてる顔を押さえて頷くと、平野さんは一層声をひそめて、歓声をあげた。
「えーほんとにー?やだ初々しい〜どんな人?」
どんな……どの部分を答えればいいのか。
「優しい?頼もしい?強い?いろいろあるじゃない」
「……優しい、です。頼りに、なります」
「うんうん、それから?」
「手が……大きくて」
「うんうん」
平野さんは、間が多い私の話を、待ちながら聞いてくれた。私も話しやすくなる。
「へえ〜、中森さんのそういう話って全然聞かないもんね。狙ってる人はいっぱい知ってるけど」
「ねらっ……そんなことないですよ」
「用事ないのに話しかけてくる人いっぱいいるでしょ?その人たちのこと」
話しかけられることはあるけど、あんまり記憶にない……。
「笑顔でうまくかわしてるなって思ってたんだけど。違ったかな」
自分ではよくわからない。
「……意識してないです」
「あれー……あのさ、失礼だけど」
平野さんが顔を寄せる。
「もしかして、あんまり男の人と付き合ったこととかない?」
あんまり、というか、全然、ですよ。
頷く。平野さんは目を丸くした。
「えっ、えーと……ごめんね、あのさ、もしかして、付き合ったこと自体が……」
首を横に振った。お恥ずかしいですが。
「……ない、です」
平野さんの目が大きくなる。
「えっもしかして人生初彼氏?」
驚いたせいか、平野さんの声が大きくなった。と言っても、普通よりちょっと小さめくらい。
でも、彼と高井戸さんには聞こえたみたいだ。2人共こっちを見てる。
かあっと顔が熱くなった。
しーっと人差し指を口の前に立てる。
「平野さん声が大きいです」
「あっごめん」
平野さんは、またヒソヒソ声に戻った。
「いやあのさ、話してる感じ見て、もしかしてって思ったんだけど、ほんとにそうだったの?」
熱いほっぺたを押さえて頷く。
「そっかそっかー……だからそんな可愛くなっちゃって……彼氏も大変だ。誰だか知らないけど」
「えっ大変てなんですか?」
ふふふ、と平野さんは笑った。
「可愛くて。我慢するの大変そうだなって」
「我慢……?」
「そう。いろいろね」
よくわからないって思ってたら、平野さんが囁いた。
「もう、キスとかした?」
え……。
首を横に振る。ぶんぶんと。
平野さんは笑った。
「彼氏、多分結構我慢してると思うよ」
……そうなの?
「大事にしてもらえてるんだよ、きっと」
平野さんはまた笑った。
「ウチの旦那さんがね、そうだったんだってさ」
惚気られた。その笑顔は、花が咲いたみたいで、可愛かった。