手を、つないで

 集中集中、と呪文のように唱えながら、なんとか今日のやるべきことを終えた。後は明日頑張ればなんとかなりそう。
 20時過ぎ。さすがに部屋には私1人しかいない。
 電気を消して、エレベーターに向かう。
 後ろで、ドアの閉まる音が聞こえた。別の部屋にまだ誰かいたんだ。
 足音が聞こえる。もしかして、この足音は。
 振り返ると、彼がいた。
 どうしよう、また体が固まる。彼は普通にこちらに歩いてくる。
「お疲れ様です」
 彼の声に、胸が高鳴る。緊張する。
「お、お疲れ様です……」
 どもったし。ああ絶対に挙動不審になってる。
「……中森さん」
 名前呼ばれた!
「は、い」
 ああ、返事だけなのに喉が詰まって上手く声が出ない。絶対変に思われてる。
 どうしよう。普通に、とにかく普通に受け答えしなきゃ。また怖がってるなんて思わせたくない。
「あの、送ります」
 ……ん?
「遅いから。……嫌じゃなければ」
 え、送る?私を?
「どう……で、しょう、か」
 『嫌じゃなければ』全然嫌じゃない!
 ぶんぶんと、首を縦に振る。
「……じゃあ」
 エレベーターのドアが開く。
 彼は手でドアを押さえて、私が入るのを待ってくれている。
 慌てて中に入る。
「あの……お願いします」
 ちゃんと言えた、よね。
 恐る恐る見ると、彼はいつもの無表情。でも、目が優しかった。今度は気のせいじゃない。
 嬉しくなって、顔が笑う。でも恥ずかしくて、俯いてしまった。
 エレベーターが動き出す。
 沈黙が続く。でも、空気はやわらかくて、あったかかった。



 エレベーターを降りると、彼のポケットでスマホが震えた。電話らしい。
「すみません、ちょっと」
「はい、どうぞ」
 彼がスマホを耳にあてながら、壁際に行く。
 その後ろ姿もカッコよくて見惚れてしまう。ああそして、スマホを持つ手がやっぱりいい。
「……はい」
 聞こえてきた声は、いつもの声。よそ行きじゃない。仕事の相手ではないみたい。
「……え、無理」
 ちょっと冷たい対応だな、と思ったら、急に慌て出す。
「いや、だから無理だって。……おい、ちょっと」
 彼にしては珍しく声が荒くなった。と思ったら。
「もう着いちゃったーって、あれっ中森さん」
 振り返ると高井戸さんだった。
 高井戸さんは、一瞬固まって、私と彼を交互に見る。
「あっ……あー……」
 ぎこちなく笑う。
「ごめん、やり残した作業思い出した。戻るわ。中森さん、お疲れ様でした。気をつけて」
「あっはい、お疲れ様でした……」
 あはは、と笑いながら去って行った。私の後ろの方は見ないように、目をそらしている。
 私の後ろには、彼がいるはず。
 見てみると、物凄い冷気を放っている彼がいた。
 でもそれは一瞬だった。私と目が合うと、すぐにいつもの彼に戻った。
 気のせいだった?
「行きましょう」
 彼は何事も無かったように、私を促す。
 いいのかな、と思いつつ、会社を出た。



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