夜明けが世界を染めるころ
「あなたは?」

そう問われて困ってしまう。
名前なんてない。だから正直に伝えた。

「……俺に、仕事をくれた人はさ」
声が、少しだけ低くなる。

「ドブネズミって呼んでた。
それ以外の連中は……黒狼、だって」

どちらも、誇れる名前じゃない。
ただ、生き延びるためにつけられた印みたいなものだ。

彼女は一瞬だけ考えてから、
ふっと口元をゆるめた。

「どっちも……いまいちね」

はっきり言い切られて、思わず瞬きをする。

「ねえ。私が、名前を決めてもいい?」

「……え」

思考が追いつかない。

「う、うん……」

気づけば、そう答えていた。

――俺に、名前をくれる?

そんな発想、今まで一度もなかった。

彼女は顎に指を当てて、真剣な顔で考え込む。

「うーん……そうだ!」

ぱっと顔を上げて、言う。

「テオはどう?」

「……テオ?」

「そう!」

彼女は、楽しそうにうなずいた。

「“神からの贈り物”っていう意味なの」

胸の奥が、少しざわつく。

「あなた、自分の赤い瞳を嫌がってるみたいだけど……」

彼女は、まっすぐ俺を見る。

「私から見たら、ルビーみたいに綺麗で、素敵だと思う」

……そんなこと、言われたのは初めてだ。

「だからね」

声が、少しだけ柔らかくなる。

「自分のことも大切にして、
周りの人のことも大切にできる人になってほしいな」

そして、迷いなく言い切った。

「私の騎士になって。
あなたが――必要だわ」

……必要。

その言葉が、胸に落ちる。

正直、神なんて信じたことはない。
むしろ、憎んでいた。

世界は不公平で、
救われるべき人ほど、救われない。

でも――

この名前は、
神でも運命でもなく。

目の前の、
優しい彼女がくれた“贈り物”だ。

誰かに、
「自分を大切にしていい」
「必要だ」と言われたことなんて、なかった。

ただの気まぐれかもしれない。
それでも。

(……こんなに、嬉しいものなんだな)

胸の奥が、じんわりと熱くなる。

「……わかった」

俺は、小さく息を吸って言った。

「その名前でいい」

彼女は、ぱっと笑った。

「じゃあ、決まりね」

そう言って、俺の手をぎゅっと握る。

「よろしくね、テオ」

その瞬間、
“黒狼”でも、“ドブネズミ”でもない、

ただ一人の人間としての俺が、
ここに生まれた気がした。
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