夜明けが世界を染めるころ
蝶の会の中は、相変わらず甘ったるい香の匂いに包まれていた。
花と香料、酒と欲望が入り混じったような、喉の奥に残る匂い。
今日は美術品の展示が主らしく、壁際には幾つもの絵画が並び、中央には宝石や彫刻が飾られている。
どれも高価で、希少で、美しい。
――けれど、不思議と心は動かなかった。
そんな中、一枚の絵画の前で、自然と足が止まる。
光り輝く満月に、必死に手を伸ばす人物。
その足元には、踏み潰された小さな紫の花。
タイトルは――
『幻想』
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
なぜだろう。
ただの絵なのに、まるでこちらを見透かされているような気がした。
すぐ隣に立つ気配。
「サーフェス」
声をかけるより先に、彼が口を開いた。
「こんばんは、ルナ。この絵を見て、何を考えていた?」
黒髪に、金と黒を基調とした仮面。
会いたいと思っていた人物が、あまりにも自然にそこにいた。
「特に……」
そう前置きしてから、言葉を選ぶ。
「届くはずもない輝きを追いかけて、
すぐ足元にある幸せに気づかない――そんな、愚かな人かなと」
人物が踏み潰しているのは、すみれの花。
花言葉は“ささやかな幸せ”。
手の届くものには目も向けず、
届かぬ幻想だけを追い求める姿が、妙に胸に残った。
「そうだね。本当に愚かだよ」
低く落とされた声。
それは絵に向けられたものなのか、
他の誰かに向けられたものなのか。
一瞬、問い返したくなったが、やめた。
「ルナ。少し、話さないか?」
彼は絵画から私へと身体を向ける。
ちょうど、話をしたいと思っていたところだった。
「……ええ」
「では、内緒話をしよう」
人差し指を仮面の口元に添え、そう言って微笑む。
個室に通されソファへ向かい合って腰を下ろす。
目の前にいるのは“サーフェス”。
けれど、彼の正体がディラン殿下であることを、私はもう知っている。
この時間は、仮面越しの会話なのか。
それとも――本音の時間なのか。
心の奥が、わずかに緊張した。
「共闘の話をする前に、君に約束しよう」
彼は静かに手を差し出した。
「命を軽んじない。
そして、本音で話す」
一瞬の間。
「――私と、共犯になってくれるかい?」
胸が、どくりと鳴った。
危険だとわかっている。
王子と裏の顔を持つ男との共闘など、正気の沙汰ではない。
それでも。
私は、彼の瞳から目を逸らさなかった。
「……わかりました」
差し出された手を取った、その瞬間。
ぐっと、想像以上の力で引き寄せられる。
「――え?」
次の瞬間。
どかん、と。
館全体を揺らすような爆音が、夜気を裂いた。
悲鳴とざわめき。
シャンデリアが震え、硝子が鳴る。
私は思わずサーフェスの顔を見る。
「手始めに、ここを“処理”することにした」
淡々と告げるその声。
仮面の奥の瞳には、冗談も迷いもなかった。
そこにあるのは――確かな覚悟。
「……そういうことは、もっと早く言ってほしいです!」
思わず声を荒げる。
けれど彼は、私の手を離さない。
むしろ強く握り返し、裏口へと引いていく。
逃げるためではない。
戦うための、最初の一歩だと――直感で理解していた。
甘い香りが漂う蝶の会は、
今まさに“狩り場”へと姿を変えようとしていた。
花と香料、酒と欲望が入り混じったような、喉の奥に残る匂い。
今日は美術品の展示が主らしく、壁際には幾つもの絵画が並び、中央には宝石や彫刻が飾られている。
どれも高価で、希少で、美しい。
――けれど、不思議と心は動かなかった。
そんな中、一枚の絵画の前で、自然と足が止まる。
光り輝く満月に、必死に手を伸ばす人物。
その足元には、踏み潰された小さな紫の花。
タイトルは――
『幻想』
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
なぜだろう。
ただの絵なのに、まるでこちらを見透かされているような気がした。
すぐ隣に立つ気配。
「サーフェス」
声をかけるより先に、彼が口を開いた。
「こんばんは、ルナ。この絵を見て、何を考えていた?」
黒髪に、金と黒を基調とした仮面。
会いたいと思っていた人物が、あまりにも自然にそこにいた。
「特に……」
そう前置きしてから、言葉を選ぶ。
「届くはずもない輝きを追いかけて、
すぐ足元にある幸せに気づかない――そんな、愚かな人かなと」
人物が踏み潰しているのは、すみれの花。
花言葉は“ささやかな幸せ”。
手の届くものには目も向けず、
届かぬ幻想だけを追い求める姿が、妙に胸に残った。
「そうだね。本当に愚かだよ」
低く落とされた声。
それは絵に向けられたものなのか、
他の誰かに向けられたものなのか。
一瞬、問い返したくなったが、やめた。
「ルナ。少し、話さないか?」
彼は絵画から私へと身体を向ける。
ちょうど、話をしたいと思っていたところだった。
「……ええ」
「では、内緒話をしよう」
人差し指を仮面の口元に添え、そう言って微笑む。
個室に通されソファへ向かい合って腰を下ろす。
目の前にいるのは“サーフェス”。
けれど、彼の正体がディラン殿下であることを、私はもう知っている。
この時間は、仮面越しの会話なのか。
それとも――本音の時間なのか。
心の奥が、わずかに緊張した。
「共闘の話をする前に、君に約束しよう」
彼は静かに手を差し出した。
「命を軽んじない。
そして、本音で話す」
一瞬の間。
「――私と、共犯になってくれるかい?」
胸が、どくりと鳴った。
危険だとわかっている。
王子と裏の顔を持つ男との共闘など、正気の沙汰ではない。
それでも。
私は、彼の瞳から目を逸らさなかった。
「……わかりました」
差し出された手を取った、その瞬間。
ぐっと、想像以上の力で引き寄せられる。
「――え?」
次の瞬間。
どかん、と。
館全体を揺らすような爆音が、夜気を裂いた。
悲鳴とざわめき。
シャンデリアが震え、硝子が鳴る。
私は思わずサーフェスの顔を見る。
「手始めに、ここを“処理”することにした」
淡々と告げるその声。
仮面の奥の瞳には、冗談も迷いもなかった。
そこにあるのは――確かな覚悟。
「……そういうことは、もっと早く言ってほしいです!」
思わず声を荒げる。
けれど彼は、私の手を離さない。
むしろ強く握り返し、裏口へと引いていく。
逃げるためではない。
戦うための、最初の一歩だと――直感で理解していた。
甘い香りが漂う蝶の会は、
今まさに“狩り場”へと姿を変えようとしていた。