夜明けが世界を染めるころ
ガーデンには、バラの香りと静けさだけが残っていた。
先ほどまでの阿鼻叫喚が嘘のようだ。

ベンチのそばで立ち止まると、殿下は、私の方を見て柔らかく笑った。

「随分待たせたね」

「わざとです」
即答する。

「……はは。手厳しい」

私は殿下と向き合い、逃げ場を作らない距離で立つ。

「で、さっきのは何ですか」

「プロポーズだけど?」

さらりと言われ、思わず睨む。

「理由を聞いています。
昨夜の今日で、騎士団の真ん中で跪く人はいません」

殿下は一瞬、視線をバラに落とした。
ふざけた仮面が、わずかに剥がれる。

「……そうだね。これは衝動じゃない」

静かな声だった。

「宝石の件。君の共鳴の力。ラピスラズリ家の立場。そして――君自身」

一つずつ、確かめるように言う。

「全部込みで、必要だと思った」

「“国に”ですか?」
私は間髪入れずに切り込む。

殿下は、はっきりと首を振った。

「違う。国のため“だけ”なら、こんなやり方はしない」

ベンチに腰掛け、こちらを見上げる。

「君は、私のやり方をみて知った上で残った」

昨夜の光景が、脳裏をよぎる。

「……だから、巻き込んだ?だから、結婚ですか?」

「…並びたいと思った」

迷いのない声。

殿下は真っ直ぐに私を見る。

「同じものを見て、同じ責任を負える人間だと思った」

胸の奥が、少しだけざわつく。

「……ずいぶん勝手ですね」

「自覚はある。」
苦笑する。

私は腕を組み、少し考える。

「確認します。私は従順な王妃にはなりません」

「知ってる」

「殿下の判断が間違っていると思えば、止めます」

「期待してる」

「共犯にもなるし、共闘もします。でも、黙って従う気はありません」

殿下は、少しだけ目を細めた。

「最高だな」

立ち上がり、私と同じ目線になる。

「だからこそ、結婚を申し込んだ。
君が“選ぶ”と分かっていて」

私は、ふうっと息を吐く。

「……結婚はしません。
ただ、期限付きの婚約なら手を打ちましょう」

「いいだろう」

殿下は、深く頷いた。
バラの香りが、風に揺れる。

この人は、危険だ。
でも――逃げない。

「あと一つだけ言っておきます」

私は、はっきりと言った。

「もし私が首を突っ込むなら。
後ろに下がることは、許しませんから」

殿下は、楽しそうに笑った。

「望むところだ」

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