夜明けが世界を染めるころ
ティアナside
前を歩く案内役の研究員――
そっとディランの袖を引く。
「ディラン……」
「どうした?」
声を潜めて、囁く。
「右の奥……反応がある」
ディランの視線が、即座に私の示す方向へ向いた。
通路の分岐。
案内人が進もうとしているのは、左側。
けれど――
私の胸の奥が、はっきりと告げていた。
(違う。あっちじゃない)
「……魔力の流れが逆です」
「誘導じゃない、呼び水か」
ディランは小さく息を吐いた。
「罠だな」
案内人は、こちらに気づかぬふりで歩き続けている。
「……まきますか」
私が言うと、ディランは一瞬だけ笑った。
「同感だ」
彼は歩調をわずかに落とし、私の隣へ。
「合図は?」
「次の角です」
角を曲がる直前。
私がラピスラズリにそっと魔力を流す。
――風が、揺れた。
視界の端で、通路の照明が一瞬だけ明滅する。
その隙に、ディランが私の手首を引いた。
音もなく、右奥の非常通路へ滑り込む。
次の瞬間。
「……?」
背後で、案内人が足を止める気配。
だがもう遅い。
私たちは影の中へ溶け込んでいた。
細い通路を抜けた先で、空気が一変する。
――重い。
湿ったような、血の匂いを含む魔力。
やがて視界が開けた。
「……これは……」
巨大な円形空間。
天井まで届く魔導管が何本も張り巡らされ、
中央には禍々しい装置が鎮座していた。
無数の水晶槽。
中で脈打つ、濃紫の液体。
魔女の雫。
それらはすべて、中央の心臓部へと流れ込み――
赤黒く、粘ついた“別のもの”へと変換されていく。
「魔女の紅血……」
喉が、ひくりと鳴る。
「これが……ガイルの目的地か」
ディランが剣に手をかけた。
「ここまで辿り着くとは、さすがだよ」
拍手の音が、やけに大きく響いた。
奥の通路から、ゆっくりと現れた男。
白衣の上から深紅の外套を羽織り、
眼鏡の奥の瞳だけが、異様な熱を帯びている。
「ガイル……!」
ディランが一歩前に出る。
「王子殿下に、共鳴の令嬢。
わざわざ揃って来てくれるとは光栄だ」
愉しげに笑う。
「……これが、あなたの望んだもの?」
私が問いかけると、
ガイルは肩をすくめた。
「“王になる力”だよ」
淡々と、狂気を隠しもせず言い放つ。
誰かの気配が、ゆっくりと立ち上がる。
「あなたに、聞きたいことがあります」
その声に、ディランが一瞬だけこちらを見るが、止めなかった。
ガイルは興味深そうに眉を上げる。
「ほう?」
「母――アイリス・ラピスラズリは、あなたの研究に関わっていましたね」
空気が、ぴんと張り詰める。
ガイルの笑みが、わずかに止まり、
次いで――ゆっくりと歪んだ。
「……なるほど」
低く、感嘆の混じった声。
「そうか。君が――あの女の娘か」
その言い方に、胸が疼く。
「母の死は事故ではなかった。
研究の危険性に気づき、止めようとしていた」
「そして――」
一瞬、言葉を飲み込む。
「私が“器”である可能性があることも、知っています」
沈黙。
次の瞬間、ガイルは喉を鳴らして笑った。
「はは……はははは!」
「そうか……そういうことだったのか」
眼鏡の奥の瞳が、興奮に濡れる。
「長年、欠けていた最後のピース。
最近になってようやく輪郭が見え始めたが――」
私を、はっきりと見据えた。
「まさか、生きていたとはな」
「やはりな。
あの女が、何も残さず死ぬはずがないと思っていた」
「そうだ。魔女の雫を、魔女の紅血へと変える。
そのために必要なのが――君だ、ティアナ」
胸が、ひやりと冷えた。
「君の共鳴。
君の血。
そして、君自身の存在」
「王にも、神にも、なれる力だ」
「……だから母を、利用した」
私の声は静かだった。
「利用?
研究者として協力してもらっただけだ」
悪びれもなく言い放つ。
「だが彼女は途中で怖じ気づいた。
これは“王国を救う力ではない”と騒ぎ立て、
研究の破棄を訴えた」
ガイルの目が細まる。
「愚かな女だ。
未来を恐れて、可能性を捨てるなど」
「……それで?」
震えそうになる声を、必死で抑える。
「それで、母は?」
ガイルは一瞬だけ黙り――
あっさりと告げた。
「事故を装った」
その言葉が、胸を貫く。
だが、涙は出なかった。
「彼女が最後に守ろうとしたのは、お前だ」
「研究記録を改ざんし、血統を消し、
娘が“ただの令嬢として生きられるように”細工した」
「……実に見事だよ」
くつくつと喉を鳴らす。
「そのせいで、私は長年“器”を見失った」
「だが――」
私を見る。
「……皮肉なものだ。
彼女が守り抜いた娘が、
自らここまで辿り着いてしまったのだから」
「ここまで生き延びたのなら――」
唇が、愉悦に歪む。
「もはや、逃がす理由もない」
前を歩く案内役の研究員――
そっとディランの袖を引く。
「ディラン……」
「どうした?」
声を潜めて、囁く。
「右の奥……反応がある」
ディランの視線が、即座に私の示す方向へ向いた。
通路の分岐。
案内人が進もうとしているのは、左側。
けれど――
私の胸の奥が、はっきりと告げていた。
(違う。あっちじゃない)
「……魔力の流れが逆です」
「誘導じゃない、呼び水か」
ディランは小さく息を吐いた。
「罠だな」
案内人は、こちらに気づかぬふりで歩き続けている。
「……まきますか」
私が言うと、ディランは一瞬だけ笑った。
「同感だ」
彼は歩調をわずかに落とし、私の隣へ。
「合図は?」
「次の角です」
角を曲がる直前。
私がラピスラズリにそっと魔力を流す。
――風が、揺れた。
視界の端で、通路の照明が一瞬だけ明滅する。
その隙に、ディランが私の手首を引いた。
音もなく、右奥の非常通路へ滑り込む。
次の瞬間。
「……?」
背後で、案内人が足を止める気配。
だがもう遅い。
私たちは影の中へ溶け込んでいた。
細い通路を抜けた先で、空気が一変する。
――重い。
湿ったような、血の匂いを含む魔力。
やがて視界が開けた。
「……これは……」
巨大な円形空間。
天井まで届く魔導管が何本も張り巡らされ、
中央には禍々しい装置が鎮座していた。
無数の水晶槽。
中で脈打つ、濃紫の液体。
魔女の雫。
それらはすべて、中央の心臓部へと流れ込み――
赤黒く、粘ついた“別のもの”へと変換されていく。
「魔女の紅血……」
喉が、ひくりと鳴る。
「これが……ガイルの目的地か」
ディランが剣に手をかけた。
「ここまで辿り着くとは、さすがだよ」
拍手の音が、やけに大きく響いた。
奥の通路から、ゆっくりと現れた男。
白衣の上から深紅の外套を羽織り、
眼鏡の奥の瞳だけが、異様な熱を帯びている。
「ガイル……!」
ディランが一歩前に出る。
「王子殿下に、共鳴の令嬢。
わざわざ揃って来てくれるとは光栄だ」
愉しげに笑う。
「……これが、あなたの望んだもの?」
私が問いかけると、
ガイルは肩をすくめた。
「“王になる力”だよ」
淡々と、狂気を隠しもせず言い放つ。
誰かの気配が、ゆっくりと立ち上がる。
「あなたに、聞きたいことがあります」
その声に、ディランが一瞬だけこちらを見るが、止めなかった。
ガイルは興味深そうに眉を上げる。
「ほう?」
「母――アイリス・ラピスラズリは、あなたの研究に関わっていましたね」
空気が、ぴんと張り詰める。
ガイルの笑みが、わずかに止まり、
次いで――ゆっくりと歪んだ。
「……なるほど」
低く、感嘆の混じった声。
「そうか。君が――あの女の娘か」
その言い方に、胸が疼く。
「母の死は事故ではなかった。
研究の危険性に気づき、止めようとしていた」
「そして――」
一瞬、言葉を飲み込む。
「私が“器”である可能性があることも、知っています」
沈黙。
次の瞬間、ガイルは喉を鳴らして笑った。
「はは……はははは!」
「そうか……そういうことだったのか」
眼鏡の奥の瞳が、興奮に濡れる。
「長年、欠けていた最後のピース。
最近になってようやく輪郭が見え始めたが――」
私を、はっきりと見据えた。
「まさか、生きていたとはな」
「やはりな。
あの女が、何も残さず死ぬはずがないと思っていた」
「そうだ。魔女の雫を、魔女の紅血へと変える。
そのために必要なのが――君だ、ティアナ」
胸が、ひやりと冷えた。
「君の共鳴。
君の血。
そして、君自身の存在」
「王にも、神にも、なれる力だ」
「……だから母を、利用した」
私の声は静かだった。
「利用?
研究者として協力してもらっただけだ」
悪びれもなく言い放つ。
「だが彼女は途中で怖じ気づいた。
これは“王国を救う力ではない”と騒ぎ立て、
研究の破棄を訴えた」
ガイルの目が細まる。
「愚かな女だ。
未来を恐れて、可能性を捨てるなど」
「……それで?」
震えそうになる声を、必死で抑える。
「それで、母は?」
ガイルは一瞬だけ黙り――
あっさりと告げた。
「事故を装った」
その言葉が、胸を貫く。
だが、涙は出なかった。
「彼女が最後に守ろうとしたのは、お前だ」
「研究記録を改ざんし、血統を消し、
娘が“ただの令嬢として生きられるように”細工した」
「……実に見事だよ」
くつくつと喉を鳴らす。
「そのせいで、私は長年“器”を見失った」
「だが――」
私を見る。
「……皮肉なものだ。
彼女が守り抜いた娘が、
自らここまで辿り着いてしまったのだから」
「ここまで生き延びたのなら――」
唇が、愉悦に歪む。
「もはや、逃がす理由もない」