余命2ヵ月のわたしを愛した死神

わたしは仕事が好きだった。
だから、いくら船田さんから嫌味を言われても、嫌がらせをされても、仕事で見返してやればいいと思っていた。

しかし、努力をしても評価する側の会社が不誠実なのであれば、それは意味を成さない事を知った。

絶望的に感情を掻き乱されたわたしは、ジワジワと湧き上がる悔しさから涙を流し、普段であればまだ帰路につくには早い時間に自宅マンションへと帰宅した。

すると玄関には、朝仕事に向かったはずの弘太郎のスニーカーと、その横には綺羅びやかなビジューがついたハイヒールのパンプスが脱ぎ散らかされていた。
見覚えの無い女性物のパンプスに胸騒ぎを感じつつもわたしは家へと上がり、微かに話し声が聞こえる寝室のドアノブに手を掛けた。

その先で目にしたのが、先程の光景だ···――――


上半身裸でベッドに横たわり、わたしの姿を見て慌てふためく弘太郎の姿に、弘太郎の横で悪怯れもせず勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる派手な女性。

その光景が鮮明に脳裏に焼き付いて、掻き消そうとしてもグルグルとわたしの頭の中を巡って消え去ってはくれなかった。

雨に濡れ、前髪から滴る水滴が涙に紛れて頬を伝う。
気付けばわたしは、ある一棟のビルの中にある店の前に辿り着いていた。

シックな木目調の看板に書かれた"SEVENS BAL"の文字。

ここは、わたしが就職難にぶつかり、就職も出来ないまま高校を卒業した後、転々としながらアルバイトをしていた中で2年間と一番長く働かせてもらっていたお店だった。
わたしはこのお店を辞めて就職してからも、お客として度々訪れていた。

重量感のある厚めのドアを押すと、ドアの内側に掛かったベルが揺れ、カランカランと来客を知らせる。
明る過ぎない照明に落ち着いた雰囲気の店内には、弱った今のわたしにはよく沁みる切ないピアノの音が静かに流れていた。

この"SEVENS BAL"には、大きなグランドピアノが設置されており、日替わりでピアニストがBGM代わりにピアノを奏でに来てくれるのだ。

わたしは店内に入ってすぐ、ピアノの音に心を奪われ、立ち尽くしたまま聴き入ってしまった。

黒髪を揺らしながらピアノを弾くのは、シャープな輪郭に鼻筋の通った涼やかな表情の男性で、白いワイシャツを腕捲くりしたピアニストというよりも仕事帰りに立ち寄ったサラリーマンのような装いだった。

その男性が弾いていたのは、"最後の雨"という切ないラブソング。
古い曲ではあるが、わたしが幼い頃に父がよく聴いていた曲なので、馴染みのある曲だった。

わたしはただただ、その男性が歌うように奏でる"最後の雨"を聴きながら、涙を流し続けていた。

すると、わたしの存在に気付いた一人の男性が静かに歩み寄って来る気配を感じた。

「いらっしゃい。」

そう優しく話し掛けてくれたのは、店長の山辺賢司(やまべ けんじ)さんだ。
賢司さんは、わたしがここで働いていた当時から店長を務めている人で、外見は42歳になるダンディーなイケメンなのだが、心は女性のいわゆる"オネェ"だった。

「こんなとこに突っ立ってないで、ほら、座りなさい。」

賢司さんはそう言うと、わたしの肩に手を置き、カウンター席の一番端に案内してくれた。
あまり人目につかない席をわざわざ選んでくれたのは、全身びしょ濡れであまりにも悲惨な姿のわたしに配慮してくれての事だろう。

賢司さんは、わたしをカウンター席に座らせると、「今、タオル持って来るわね。」と言い、一度その場から離れて行った。
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