小さな死神が与えてくれた幸福
7
絃月に連れていかれた場所は、ファミリーレストランだった。
少しずつ日が沈んできた頃。
今日、私は少しだけおめかしをしてきた。初出しの洋服。片手で数えられるほどの回数しかしたことのないメイク。引き出しに眠っていたアクセサリー。
私の命は今日、終わるらしい。だから、最後のおめかしだ。
「何で、ファミレス?」
「僕、パフェ食べてみたい。姉ね、おごってよね」
「奢って、って。難しい言葉知ってるんだね」
「一応、勉強はしているからね~」
スキップをしながらお店に入っていくのを後ろから傍観。
ファミレスなんていつぶりだろうか。最後に行ったのは、父が亡くなる前だろう。三人で一緒に行った記憶がある。
店内を覗き見してみると、待合スペースの椅子は埋まり、数人が立っている状態。こりゃ、しばらく呼ばれないでしょ。そう思ったのも束の間。
「二名でお待ちの横見様ー」
「はーい!」「はい」
店員さんに呼ばれた。元気が有り余っているほどの返事をする絃月に対して私は全く生きの無い声。みっともない自分が嫌になる。
横目に名前の知らないあの名前を書く用紙を見てみたら。そこには流暢な字で「横見」と記されていた。フリガナでさえ、字が気持ちよく踊っている。
「見」は小学一年生で習う漢字だ絃月ぐらいの子が書いていたっておかしくない。ただ、「横」はもう少し上の学年で習うはずだ。絃月が人間だったら、「頭いいね」とか「字が綺麗だね」って褒められて伸び伸びと成長していっただろう。
彼の成長曲線を辿ることすらできない現状。絃月が人間で、なおかつ私に余命など宣告されず、さらに希死念慮を抱いてなければ良かったのに。
この変えられない、変わろうとできない私という存在に怒りを抱いてしまった気がした。
「呼ばれるの早かったね」
「僕の超能力のおかげ!」
小さな声で答えてくるから、中腰のまま聞いた。歩きながらだから腰が辛い。
「超能力って?」
あまりにも輝かしい笑顔を見せてくるからもう少しだけこの表情を引き出していたく、問いかけてみた。
「えっとね、なんか、こうしてこうすればできるんだよね。何だっけ……。あっ……。ごめんなさい」
ジェスチャーも交えて一生懸命説明しようとしているけど、何一つ理解することが出来なかった。さらには今は見えていない空へと謝っていて、何をしているのかという目を周りから向けられてしまった。
「まだまだ舌足らずだね」
「むー……。もっと勉強するもん」
私に嘲笑われて相当に悔しかったのか、顔をしかめている。今日は新しい表情をたくさん引き出せていて嬉しい。
――もしかしたら、こういうのが小さな幸せなのかもしれない。
「こちらへどうぞ」
店員さんに案内されたソファー席。たった二人だけなのにこの席でよいのだろうか。
「絃月はまだ小さいんだから、遊んでおきな。それは絃月が何であったって関係ないよ」
「でもね、もっと勉強しないと、いっぱいお仕事できないの。それは嫌だから、勉強するの」
「偉いね」
「うん! 僕偉いよ!」
誇らしげな笑みを浮かべた絃月。私も勉強したいって思えたらよかったのにな。
そうやって笑ってみたい。
ああ、私、絃月に嫉妬してるんだ。人間ではないはずなのに人間らしく生きている姿に、憧れているんだ。
私が持たない感情を持っている。それに気が付いていないだけで、絃月は確かに感情を持っている。
いいな。私にも心が欲しい。私が七歳の時はきっとまだ心はあったのでしょう。でも、今はない。あの頃の純粋さを取り戻したい。
願っても叶わないことは知っているけど。
「姉ね、僕ね、まずはハンバーグを食べてみたいんだ。頼んでいい?」
悩みに悩んでいる間に自らメニュー表を開き、選んでいた。私に問いかける瞳は星で満ちた空のように輝かしいものだった。
もう一つのメニュー表を開き、いいよ。と呟いた。やったー! と喜ぶ絃葉の表情が視界に入り、思わず笑みをこぼした。
「あー! 姉ね、笑った! 嬉しいな~」
「絃月」
「なあに?」
「絃月には、感情があるよ。心、持ってるよ」
「ん? 僕が昨日言ったこと、気にかけてくれてたの?」
「そうなのかもね」
「姉ねが心あるって言ってくれていても、僕にはないの。ごめんね。でも、嬉しいな~。僕にも心に近しいものがあるの教えてくれて。ありがとう」
「別に感謝してくれなくていいよ。よし、選んだ?」
「うん! このハンバーグとポテト。あと、ドリンクバーも付けて!」
「デザートは?」
「えっと、このチョコレートパフェでお願いします!」
「ちゃんとお願いできて偉いね。注文お願いします」
手を上げ、店員さんに合図を送る。ファミリーレストランに呼び鈴があるのは当たり前だと思っていたから無いのが不思議だ。
「姉ねもお願いできてる。偉い!」
「このぐらいは当然のマナーだよ」
「そっか。僕もちゃんとできるようにならないとだね!」
絃月がお願いできたときに褒めたから私のことを褒めてくれたんだ。
絃月は優しい。なぜだか不思議と一緒にいたくなる。明日死ぬのは分かっている。可能ならば一緒に生きたい。でも、いいんだ。先輩死神さんが絃月を導いていってくれれば充分だ。
私はもう、諦めている。
「ご注文お伺いします」
「姉ね、僕、自分の分は自分で注文してみたい」
「いいよ」
「えっと、ハンバーグセットとたっぷりポテトでドリンクバー付けてください! あと、食後にチョコレートパフェを!」
「かしこまりました。お姉さんは?」
「私もハンバーグセットでお願いします」
「確認させていただきます。ハンバーグセットが二つ。たっぷりポテトが一つ。ドリンクバーが一つ。食後にチョコレートパフェを一つ。以上でよろしいでしょうか」
「はい」
「かしこまりました。注文、上手だったよ」
店員さんは微笑みを浮かべ、絃月のことを褒めている。絃月はそれに物凄く喜んでいる。
「ありがとう!」
「少々お待ちくださいませ」
「ほら、ドリンクバー行ってきな」
「うん!」
絃月は大はしゃぎでジュースを取りに行った。
絃月。もう言い慣れた彼の名前。私はずっと、この名前を生まれてくるはずだった弟に付けたかった。
母は、琴の先生だった。「絃」は楽器に張る糸のこと。琴を演奏していた母にとってこの一文字は特別なものであった。
私もその漢字のその音の響きが好きだった。古風で繊細な印象を与えるこの漢字が好きだった。
ずっと、弟が生まれたら、この漢字を使った名前を贈ろう。そう張り切っていたのだ。
その名前を今、出会ってまだ一週間にも満たない死神が持っている。これで良いんだ。彼は私にとって
――弟同然な存在だから。
絃月が戻ってきた。手に握られているのは水と、なんだか濁ったジュース?だった。
「ジュースっていっぱいあるんだね。僕の暮らす世界じゃこんな種類ないからワクワクしていっぱい注いじゃった」
だから、こんなに不思議な色をしているのか。深緑みたいな色だけど、綺麗なわけでなく濁っていて飲む気が湧かなくなる色をしている。
「何混ぜたの?」
少し悩んだあとに口を開いた。
「何入れたっけな……。 美味しそうなのをいっぱい注いだ!!」
「そっか」
私たちは、無理やりに喋ろうとはしなかった。たとえ沈黙が流れてもそのまま時が過ぎるのを待った。話題が無くたって気まずくはない。こんな風に思える人に出会えたのは初めてだろう。
それから少し経ち、料理が届いた。ここまで温かい料理は久々なのだ。嬉しい限りだ。最後の晩餐にふさわしい。
「いただきます」
二人揃って食べ始める。絃月の表情は見たことの無いものだった。きっと、初めての場所にワクワクしているのだろう。その表情を見ると、なんだか心が和んだ。
「美味しかったね~!」
にこやかに声をかけてくる絃月が可愛すぎて困ってしまう。
今日、幸せが感じられた気がする。
絃月のおかげで。
「姉ね」
「ん?」
「お花屋さん、行きたい」
「いいよ」
こうしてずっと一緒に居られたら、いいのに。
「待ってて」
お花屋さんに着いた。
ゆっくりと店内に入っていく絃月。
なぜだか慎重な足取り。
不思議に思いつつも待っていることにした。
花の香り。
思い出した。
私が幸せを感じた日のこと。
大切な人を失った後、一度幸せを感じたときのこと。
花畑。
お母さんがお出かけしようと言った。
お母さんの方が何倍もつらかったのに。
クマだらけの目。
傷んだ髪。
しわのある服。
それでも外に連れ出してくれた。
色とりどりの花々。
そうだ。
あの日、小さな赤ちゃんがいた。
まだ言葉を発せられないほどの小さな赤ちゃん。
私に笑いかけてくれた赤ちゃん。
その子を連れたガタイの良い男性。
見覚えのある男性。
え。
待って、
待って。
ねえ、
もしかして、
そうだったの?
そうだったんだよね。
きっと。
何か言葉をかけてくれたよね。
でも、思い出せない。
ごめんね。
もう少し、記憶力が良かったらな。
この時の記憶さえおぼろげ。
永遠にとっておきたかった。
このとっておきの幸せ。
あの日、確かに幸せを感じた。
愛を感じた。
冷たかったのに、温かかった。
ああ。
もう少し、
もう少し!
早く気づけたら。
そしたら、たくさん話を聞けたのに。
こんな後悔背負って、死ねないよ…………。
「お姉ちゃん」
絃月が初めて流した涙。
「一人にして、ごめん」
「絃月、絃月!!」
零れ落ちる涙はとても、苦かった。
でも、流れるのは止まらない。
「ごめんね……。私が絃月を助けられたらよかったのに。ずっと一緒にいられたのに。生きられたのに…………」
冷たい体を抱き寄せた。
でも、満たされない。
右目からだけ流れていたこの水滴は、冷たかった。なんでこんなに無力なんだろう。もう嫌だ。命を蔑ろにした私。なにやってたんだろう。彼は生きたくても生きられなかった。私は、生きられたのに、生きようとしなかった。
「姉ね」
私のことを離し、潤んだ目で見つめてくる。
見ないでよ。
お願いだから。
離れたくなくなる。
「この世界はね、パラレルワールドなの。姉ねを少しでも幸せにするための世界」
生きるの、苦しかったよね
もう、動けないよ。こんな幼い子が私を幸せにしようとしてくれてたんだよ。
偉そうに幸せにするとか言いながら何もできなかった私とは大違い。
かっこいい弟がずっと一緒にいてくれたら、私、自堕落な生活を送ることはなかった。神様、ひどいよ。
「私、もう終わりだよね」
「終わりじゃない!」
「姉ねは僕の中で生き続ける」
「そして、また会える日が来る」
「終わりじゃない」
はじまりだよ
「姉ね」
「僕が痛いの痛いの飛んで行けってするから」
許して
私にカスミソウを握らせ、道路に突き放す。
絃月のことだから、意味を込めてくれたんでしょ。
そして、私が痛みを感じないように、精一杯の優しさで包んでくれるんでしょ。
どんどん迫ってくる光。止まってくれない。
後ろに倒れていく。
絃月の顔を見るのが辛い。泣かないで。
なんで、なんで離れなきゃいけないの。
ようやく絃月が私の弟だってわかったのに。
頑張って私のもとに会いに来てくれたって教えてくれたのに。
真っ白に染まった景色の中。
私に届く優しく、逞しい声。
私の可愛い、可愛い弟の声。
よく頑張ったね
何だか、私の方が年下のようだ。
少しずつ日が沈んできた頃。
今日、私は少しだけおめかしをしてきた。初出しの洋服。片手で数えられるほどの回数しかしたことのないメイク。引き出しに眠っていたアクセサリー。
私の命は今日、終わるらしい。だから、最後のおめかしだ。
「何で、ファミレス?」
「僕、パフェ食べてみたい。姉ね、おごってよね」
「奢って、って。難しい言葉知ってるんだね」
「一応、勉強はしているからね~」
スキップをしながらお店に入っていくのを後ろから傍観。
ファミレスなんていつぶりだろうか。最後に行ったのは、父が亡くなる前だろう。三人で一緒に行った記憶がある。
店内を覗き見してみると、待合スペースの椅子は埋まり、数人が立っている状態。こりゃ、しばらく呼ばれないでしょ。そう思ったのも束の間。
「二名でお待ちの横見様ー」
「はーい!」「はい」
店員さんに呼ばれた。元気が有り余っているほどの返事をする絃月に対して私は全く生きの無い声。みっともない自分が嫌になる。
横目に名前の知らないあの名前を書く用紙を見てみたら。そこには流暢な字で「横見」と記されていた。フリガナでさえ、字が気持ちよく踊っている。
「見」は小学一年生で習う漢字だ絃月ぐらいの子が書いていたっておかしくない。ただ、「横」はもう少し上の学年で習うはずだ。絃月が人間だったら、「頭いいね」とか「字が綺麗だね」って褒められて伸び伸びと成長していっただろう。
彼の成長曲線を辿ることすらできない現状。絃月が人間で、なおかつ私に余命など宣告されず、さらに希死念慮を抱いてなければ良かったのに。
この変えられない、変わろうとできない私という存在に怒りを抱いてしまった気がした。
「呼ばれるの早かったね」
「僕の超能力のおかげ!」
小さな声で答えてくるから、中腰のまま聞いた。歩きながらだから腰が辛い。
「超能力って?」
あまりにも輝かしい笑顔を見せてくるからもう少しだけこの表情を引き出していたく、問いかけてみた。
「えっとね、なんか、こうしてこうすればできるんだよね。何だっけ……。あっ……。ごめんなさい」
ジェスチャーも交えて一生懸命説明しようとしているけど、何一つ理解することが出来なかった。さらには今は見えていない空へと謝っていて、何をしているのかという目を周りから向けられてしまった。
「まだまだ舌足らずだね」
「むー……。もっと勉強するもん」
私に嘲笑われて相当に悔しかったのか、顔をしかめている。今日は新しい表情をたくさん引き出せていて嬉しい。
――もしかしたら、こういうのが小さな幸せなのかもしれない。
「こちらへどうぞ」
店員さんに案内されたソファー席。たった二人だけなのにこの席でよいのだろうか。
「絃月はまだ小さいんだから、遊んでおきな。それは絃月が何であったって関係ないよ」
「でもね、もっと勉強しないと、いっぱいお仕事できないの。それは嫌だから、勉強するの」
「偉いね」
「うん! 僕偉いよ!」
誇らしげな笑みを浮かべた絃月。私も勉強したいって思えたらよかったのにな。
そうやって笑ってみたい。
ああ、私、絃月に嫉妬してるんだ。人間ではないはずなのに人間らしく生きている姿に、憧れているんだ。
私が持たない感情を持っている。それに気が付いていないだけで、絃月は確かに感情を持っている。
いいな。私にも心が欲しい。私が七歳の時はきっとまだ心はあったのでしょう。でも、今はない。あの頃の純粋さを取り戻したい。
願っても叶わないことは知っているけど。
「姉ね、僕ね、まずはハンバーグを食べてみたいんだ。頼んでいい?」
悩みに悩んでいる間に自らメニュー表を開き、選んでいた。私に問いかける瞳は星で満ちた空のように輝かしいものだった。
もう一つのメニュー表を開き、いいよ。と呟いた。やったー! と喜ぶ絃葉の表情が視界に入り、思わず笑みをこぼした。
「あー! 姉ね、笑った! 嬉しいな~」
「絃月」
「なあに?」
「絃月には、感情があるよ。心、持ってるよ」
「ん? 僕が昨日言ったこと、気にかけてくれてたの?」
「そうなのかもね」
「姉ねが心あるって言ってくれていても、僕にはないの。ごめんね。でも、嬉しいな~。僕にも心に近しいものがあるの教えてくれて。ありがとう」
「別に感謝してくれなくていいよ。よし、選んだ?」
「うん! このハンバーグとポテト。あと、ドリンクバーも付けて!」
「デザートは?」
「えっと、このチョコレートパフェでお願いします!」
「ちゃんとお願いできて偉いね。注文お願いします」
手を上げ、店員さんに合図を送る。ファミリーレストランに呼び鈴があるのは当たり前だと思っていたから無いのが不思議だ。
「姉ねもお願いできてる。偉い!」
「このぐらいは当然のマナーだよ」
「そっか。僕もちゃんとできるようにならないとだね!」
絃月がお願いできたときに褒めたから私のことを褒めてくれたんだ。
絃月は優しい。なぜだか不思議と一緒にいたくなる。明日死ぬのは分かっている。可能ならば一緒に生きたい。でも、いいんだ。先輩死神さんが絃月を導いていってくれれば充分だ。
私はもう、諦めている。
「ご注文お伺いします」
「姉ね、僕、自分の分は自分で注文してみたい」
「いいよ」
「えっと、ハンバーグセットとたっぷりポテトでドリンクバー付けてください! あと、食後にチョコレートパフェを!」
「かしこまりました。お姉さんは?」
「私もハンバーグセットでお願いします」
「確認させていただきます。ハンバーグセットが二つ。たっぷりポテトが一つ。ドリンクバーが一つ。食後にチョコレートパフェを一つ。以上でよろしいでしょうか」
「はい」
「かしこまりました。注文、上手だったよ」
店員さんは微笑みを浮かべ、絃月のことを褒めている。絃月はそれに物凄く喜んでいる。
「ありがとう!」
「少々お待ちくださいませ」
「ほら、ドリンクバー行ってきな」
「うん!」
絃月は大はしゃぎでジュースを取りに行った。
絃月。もう言い慣れた彼の名前。私はずっと、この名前を生まれてくるはずだった弟に付けたかった。
母は、琴の先生だった。「絃」は楽器に張る糸のこと。琴を演奏していた母にとってこの一文字は特別なものであった。
私もその漢字のその音の響きが好きだった。古風で繊細な印象を与えるこの漢字が好きだった。
ずっと、弟が生まれたら、この漢字を使った名前を贈ろう。そう張り切っていたのだ。
その名前を今、出会ってまだ一週間にも満たない死神が持っている。これで良いんだ。彼は私にとって
――弟同然な存在だから。
絃月が戻ってきた。手に握られているのは水と、なんだか濁ったジュース?だった。
「ジュースっていっぱいあるんだね。僕の暮らす世界じゃこんな種類ないからワクワクしていっぱい注いじゃった」
だから、こんなに不思議な色をしているのか。深緑みたいな色だけど、綺麗なわけでなく濁っていて飲む気が湧かなくなる色をしている。
「何混ぜたの?」
少し悩んだあとに口を開いた。
「何入れたっけな……。 美味しそうなのをいっぱい注いだ!!」
「そっか」
私たちは、無理やりに喋ろうとはしなかった。たとえ沈黙が流れてもそのまま時が過ぎるのを待った。話題が無くたって気まずくはない。こんな風に思える人に出会えたのは初めてだろう。
それから少し経ち、料理が届いた。ここまで温かい料理は久々なのだ。嬉しい限りだ。最後の晩餐にふさわしい。
「いただきます」
二人揃って食べ始める。絃月の表情は見たことの無いものだった。きっと、初めての場所にワクワクしているのだろう。その表情を見ると、なんだか心が和んだ。
「美味しかったね~!」
にこやかに声をかけてくる絃月が可愛すぎて困ってしまう。
今日、幸せが感じられた気がする。
絃月のおかげで。
「姉ね」
「ん?」
「お花屋さん、行きたい」
「いいよ」
こうしてずっと一緒に居られたら、いいのに。
「待ってて」
お花屋さんに着いた。
ゆっくりと店内に入っていく絃月。
なぜだか慎重な足取り。
不思議に思いつつも待っていることにした。
花の香り。
思い出した。
私が幸せを感じた日のこと。
大切な人を失った後、一度幸せを感じたときのこと。
花畑。
お母さんがお出かけしようと言った。
お母さんの方が何倍もつらかったのに。
クマだらけの目。
傷んだ髪。
しわのある服。
それでも外に連れ出してくれた。
色とりどりの花々。
そうだ。
あの日、小さな赤ちゃんがいた。
まだ言葉を発せられないほどの小さな赤ちゃん。
私に笑いかけてくれた赤ちゃん。
その子を連れたガタイの良い男性。
見覚えのある男性。
え。
待って、
待って。
ねえ、
もしかして、
そうだったの?
そうだったんだよね。
きっと。
何か言葉をかけてくれたよね。
でも、思い出せない。
ごめんね。
もう少し、記憶力が良かったらな。
この時の記憶さえおぼろげ。
永遠にとっておきたかった。
このとっておきの幸せ。
あの日、確かに幸せを感じた。
愛を感じた。
冷たかったのに、温かかった。
ああ。
もう少し、
もう少し!
早く気づけたら。
そしたら、たくさん話を聞けたのに。
こんな後悔背負って、死ねないよ…………。
「お姉ちゃん」
絃月が初めて流した涙。
「一人にして、ごめん」
「絃月、絃月!!」
零れ落ちる涙はとても、苦かった。
でも、流れるのは止まらない。
「ごめんね……。私が絃月を助けられたらよかったのに。ずっと一緒にいられたのに。生きられたのに…………」
冷たい体を抱き寄せた。
でも、満たされない。
右目からだけ流れていたこの水滴は、冷たかった。なんでこんなに無力なんだろう。もう嫌だ。命を蔑ろにした私。なにやってたんだろう。彼は生きたくても生きられなかった。私は、生きられたのに、生きようとしなかった。
「姉ね」
私のことを離し、潤んだ目で見つめてくる。
見ないでよ。
お願いだから。
離れたくなくなる。
「この世界はね、パラレルワールドなの。姉ねを少しでも幸せにするための世界」
生きるの、苦しかったよね
もう、動けないよ。こんな幼い子が私を幸せにしようとしてくれてたんだよ。
偉そうに幸せにするとか言いながら何もできなかった私とは大違い。
かっこいい弟がずっと一緒にいてくれたら、私、自堕落な生活を送ることはなかった。神様、ひどいよ。
「私、もう終わりだよね」
「終わりじゃない!」
「姉ねは僕の中で生き続ける」
「そして、また会える日が来る」
「終わりじゃない」
はじまりだよ
「姉ね」
「僕が痛いの痛いの飛んで行けってするから」
許して
私にカスミソウを握らせ、道路に突き放す。
絃月のことだから、意味を込めてくれたんでしょ。
そして、私が痛みを感じないように、精一杯の優しさで包んでくれるんでしょ。
どんどん迫ってくる光。止まってくれない。
後ろに倒れていく。
絃月の顔を見るのが辛い。泣かないで。
なんで、なんで離れなきゃいけないの。
ようやく絃月が私の弟だってわかったのに。
頑張って私のもとに会いに来てくれたって教えてくれたのに。
真っ白に染まった景色の中。
私に届く優しく、逞しい声。
私の可愛い、可愛い弟の声。
よく頑張ったね
何だか、私の方が年下のようだ。

