役目は終えましたので、好きにしてもいいですよね?〜地味才女の楽しい改革劇〜
「メリッサ。君には申し訳ないのだけれど、僕はジェシカを心から愛しているんだ。片方だけを選べない、罪な僕を許してくれるよね?」
最近では顔を合わせることも減った夫に珍しく呼び出されたメリッサは、話を聞いて拍子抜けた。
夫――マルコムが義両親のいる前で堂々と打ち明けたのは、自身の不貞の暴露。見せつけるように隣でべったりとくっついているのは、彼の幼馴染であるジェシカだ。
愛らしい容姿の持ち主で華やかなワンピースドレスを着飾っている彼女とは一転、メリッサは艶のある落ち着いた金髪をひっつめか髪にほつれの見える地味な紺色のワンピース姿。
まるで使用人のようだが、戸籍上の妻はメリッサである。
息子が不貞を堂々と宣言しても、義両親にはまったく動揺が見られない。おそらく以前から知っていたのだろう。
メリッサは呆れながら、鼻の下を伸ばしたマルコムに問う。
「旦那様、それは私と離婚したいという意思表示でよろしいでしょうか?」
「いやいや、話を聞いていたかい? 妻の座は君のまま、ジェシカを僕の新たなパートナーとして受け入れてほしいんだ」
「この国で一夫多妻制度は廃止されています」
「頭が硬いなぁ……これは純粋な愛を語っているだけなんだから、国を追い出されることも捕まることもないんだから、少しは多めに見てくれないか。僕はただジェシカだけでなく、天涯孤独で可哀想な君もまとめて愛してあげたいんだ」
(……気持ち悪っ!)
喉から出かかった言葉をぐっと飲み込む。
マルコム・コモンズは、自身の容姿が異性から惹かれやすいものだと自覚している。メリッサも夫が自分に酔いやすい性格だと知ってはいたが、ここまで堂々とされると、呆れを通り越して清々しいまである。
新しいパートナー? 愛人と何が異なるのか、説明してほしいものだ。
「それに、君が公爵家に嫁いできた一番の理由は、両親が遺した借金の肩代わりだろう? 完済までまだまだかかるんだから、もっと働いてもらわないとね」
マルコムは見下すようにして彼女を鼻で嘲笑った。
メリッサの生家であるクレイソン男爵家は代々薬師を生業としており、今まで数多くの商会に生成したポーションを卸していた。
しかし、病死した父親の後を追うように母親も亡くなったある日、コモンズ公爵が突然やってきた。
コモンズ公爵家は広大な領地を所有し、国内でも王家に大きく貢献する貴族だが、クレイソン男爵家は公爵家の領地には属しておらず、商会を通じての取引も含め、今まで一度も関わったことがない。
そんな相手がなぜ乗り込んできたのか――メリッサが困惑していると、公爵から、両親が内密に金を借りていたことを告げられた。その額、金貨一千万枚。いくらポーションが高額で売れても、すぐ用意できる金額ではない。借用書に記載された署名が本物だと証明する鑑定書まで突きつけてくる。
血の気が引いて真っ青な顔色のメリッサに、公爵は妥協案を提示した。
それが息子のマルコムとの結婚だったのだ。
『貴様の才能を公爵家のために使え。ポーションを売って稼いだ金は家へ入れる形で返済しろ。できなければ、親戚の子爵家に肩代わりしてもらおうか。万が一、借金を完済した暁には自由にしてやらなくもない。できるものならな!』
この時、コモンズ公爵家の領地に属している子爵家はようやく事業が軌道に乗ったばかり。無関係な人々を巻き込みたくないメリッサは、非道で理不尽な条件に頷くことしかできなかった。
それから半年間、メリッサは返済のためにポーションを作り続けた。しかし、ポーションをいくら売っても借金が減る様子はない。毎月稼いだ金を公爵に渡すも「受け取っていない」と言われ、なかったことにされてしまう。
さらに義両親は、彼女に食事を含む家族の団らんの場にいることを禁じ、寝床は物置を改良した狭く埃っぽい部屋を与えるなど、まるで使用人のような生活を強いた。
誰もが「使い勝手のいい働き蟻」だと嘲笑しても、メリッサは文句一つ言うこともなく仕事に励み、家事と返済に追われる日々を送っていた。
ジェシカはその事情もよく知っているようで、にんまりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「メリッサさん、マルコムとは幼い頃に結婚しようねとずっと約束していたのよ。どちらが愛されているかは一目瞭然だろうけど、悪く思わないでね?」
「ジェシカ、すまない。メリッサが早く借金を返してくれないから、君に正妻の座をあげられなくて……」
「いいのよ。私、あなたと一緒ならどこにだっていけるもの。お義父様、お義母様。不束者ですが、どうか私を受け入れてくださいませんか?」
「なんて健気な子なの……! 私は賛成ですわ! こんな可愛らしい子が娘になってくれるのなら大歓迎よ」
「そうか……エリーがそういうのなら構わない。メリッサ、早く返済の目処を立てろ。公爵家の輝かしい未来のためにな!」
義両親もジェシカに賛成し、メリッサに軽蔑の目を向ける。
しかし、彼女は冷笑した。
「――馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
今までのメリッサからは到底考えられない低く呆れた声色と、淑女とは思えぬ乱暴な言葉遣いに皆、耳を疑った。
「は……?」
「失礼、つい本音が。……そんなに私を追い出したいのなら、今ここで完済させていただきますね」
そう言ってメリッサが右手を振った途端、空間が裂けた。
これは「収納魔法(マジックバッグ)」の一種で、異空間に作られた場所に大切なものを管理できる優れものだ。魔法に精通している者であれば造作もない魔法だが、義家族の前で見せるのはこれが初めてである。
呆然とする彼らを横目に、メリッサは空間の裂け目に両腕を突っ込むと、ごそごそと何かを探し始める。そして目当てのものを見つけると勢いよく引っ張り上げ、大きな袋をローテーブルに叩きつけた。
それはパンパンに膨らんだ大きな金貨袋。絞った口から溢れるほどの金貨が詰まっている。
「ここに、公爵家からお借りしていたという金貨一千万枚があります。どうぞご確認ください」
「な、なんですって!?」
「全額って……金貨一千万だぞ! 普通でも五年はかかるはずだし、家に納めていた額だって、五十枚なかったはずだ!」
「長くなりますので割愛しますが、やろうと思えば一ヶ月で完済は可能でした。しかし、皆様はとても厄介な癖をお持ちだったのでとりあえずお渡しする金額をセーブしたうえで従っていましたの。私の忠実なフリ、上手だったでしょう?」
「フリだと……貴様、コモンズ公爵家を馬鹿にしているのか!」
「そんな、滅相もございません! ――救いようのない馬鹿、とは思っておりますが」
清々しい笑顔で「馬鹿」を強調し毒を吐くメリッサは、彼らの前にずっしりと厚みのある帳簿を叩きつける。
そこには公爵家が今まで行ってきた領地経営の不正の記録が書かれていた。
「あなたの黒い噂は知っていたのでまさかとは思いましたが、個々まで真っ黒だとは思いませんでした。もちろん商会や宝石商、領民らからの証言もあり、ここにあるものはすべて裏付けもしております。調べればもっと出てくるでしょうが……これだけでも充分ですよね?」
コモンズ公爵は表では人当たりの良い領主だが、その裏で高額な税の徴収を繰り返す悪徳貴族だと黒い噂があった。
なぜ今まで咎められていないのか、それは王家の中に公爵家に忠誠を誓っている者がいて、不正はすべて握り潰されているのではという話があるからだ。未だ明らかになっていないが、調べようとした者は皆、気付いた頃には消されており、誰も証拠を掴むことも、逆らうこともできずにいると聞く。
すると、帳簿の間から何かがどさりと落ちて床に散らばった。後ろで控えていた使用人たちの足元にも届き、拾い上げると皆が目を見開いた。義父の酒代や義母の宝石類、マルコムがジェシカに使った交際費が事細かく精査された請求書が、複数枚あったからだ。
「メリッサさん! 公爵家の妻がこんなことをしていいと思っているの!?」
「お義母様、これは公爵家の悪い膿を出すために大切なことですよ。――それにしても、これほどまで散財癖が酷いとは。もはや改善の余地はありませんね。私を公爵家に嫁がせたのも、自分達の借金を返済させようという魂胆だったのでしょうけど、残念でした」
メリッサがいくら家に金を納めてもなかったことにされてしまっていたのは、実家の借金に回されたのではなく、義家族の返済に充てられていたのなら辻褄が合う。
(私が反論も追求もしてこなかったから、気付いていないとでも思ったのでしょう)
ジェシカとの関係を公にしたのも、メリッサは何も言ってこないと高を括ったことが要因だろう。完全に彼女を舐め腐っている。
「メリッサ……貴様の実力は聞いていたが、まさかこれほどまでとは……」
「これほどまで? まさか、これですべてだと思っていらっしゃるのであれば、随分お気楽な思考ですわね」
叩きつけられた書類をトントン、と指ではじくメリッサを前に、公爵はメリッサを結婚という形で囲い込んだのは、彼女の才能を買ってのことだったことを思い出した。
優秀な両親の隠れてはいるものの、メリッサは国内でも高い魔力と複数の魔法を扱える稀有な存在であり、両親譲りの商才の持ち主なのだ。金稼ぎの道具として見てきたが、本来であればメリッサの存在価値は高く見なければならない。
すると、涙目を浮かべたジェシカがメリッサに食いついた。
「酷いわ、メリッサさん! 私たちの愛を祝福しないどころか、公爵家を陥れようだなんて! なんて悪女なの!」
「悪女……そうね、あなた達にとって私は悪女と思われても仕方がないかもしれません」
困ったように目を伏せたメリッサに、ジェシカは一瞬明るい笑みを浮かべる。
「そうでしょう! 男爵家の人間がたてつくなんて――」
「ですが、不正に不正を重ねた公爵家の未来が、本当に輝かしいものになるとお思いで?」
「……は?」
「お義父様――いえ、コモンズ公爵。こちらをご覧ください」
メリッサが二枚の紙をテーブルに並べる。
一枚は半年前、メリッサに叩きつけられた借用書。もう一枚も同じ内容だが、請求先がコモンズ公爵家宛になっている。
それを見た公爵の顔色はみるみるうちに真っ青になった。
「ご存じのようですね。本当は、クレイトン男爵家に借金などなかったのではありませんか?」
メリッサの問いかけに、公爵夫人は顔を伏せた。マルコムとジェシカは首を傾げたままだ。
「な、何を言っているんだ、メリッサ。借金があるから、借用書が存在するのだろう? コモンズ家とクレイトン家が同じところから借りたのでは……」
「いいえ。クレイトン家の借用書は、コモンズ家の借用書を用いて偽造されたものです」
「ぎっ……はぁ!? 馬鹿な、ありえない! そんな証拠がどこに!?」
「ありますよ。検証の結果もすべて」
この日でもう何枚目になるのか、証拠をまとめた資料を新たにテーブルに叩きつける。
「私を騙そうだなんて、百年早かったですね。コモンズ公爵様」
公爵から手渡された借用書に違和感を覚えたのはすぐのことだった。
(......この商会が使っている用紙、こんなにざらついた紙質だったかしら?)
この国の商会では取引の際、魔法を含むどんな手法でも内容を偽造されないように、指定された紙を使用することが定められている。いくら署名を偽造された書類が出てこようと、商会の者であれば紙のざらつき一つで気付けるように研修まで組まれているほどだ。
幼い頃から両親の仕事にくっついて回り、いろんな商会とやり取りをしてきたメリッサにとって容易なことだが、母が亡くなった直後で落ち着く間もなく公爵が押しかけてきたこともあって、冷静な判断ができない状況だったのだろう。
この違和感は両親の借金の真相に辿り着く唯一の手掛かりだ。
(もしこれが嘘だったなら……しっかり倍にしてお返してあげないとね)
メリッサはすぐに様々な伝手を頼り、提示された借用書を念入りに調べた。そこで、記入されたインクの渇き具合から、記載されている借りた日よりも後に書き加えられたものであることがわかった。
「これらは王家御用達の紙やインクといった文具を取り扱う商会、さらに筆跡鑑定や魔術に詳しい文官の知人に協力いただき、この借用書がいつ書かれたものなのか、本来であれば誰が負うべき借金だったのか――すべて明らかにしてまとめたものです。さらに両家の経営状況を徹底的に調べ上げました。その結果、クレイトン家に借金はなく、借用書は偽造されたものであると断言できます。ああ、先程の件と合わせて王家へ報告済みですので、近日中に監査が入るかと」
並べられた書類を確認し、すべて本物であることを叩きつけられたマルコムは、信じられないといった表情で両親を見る。
公爵は書類の一つをぐしゃりと握り潰した。
メリッサは用意していた離縁状をマルコムに差し出した。
「さて、偽りではありましたが完済しましたし、約束通り好きにさせていただきます。離婚してくださいませ。手切れ金として、そちらは差し上げますわ」
「メリッサ、いい加減に……っ!」
「……もういい、マルコム。署名しろ」
公爵は悔しそうに睨みつけながらもマルコムを促した。
「金さえ手に入ればこの女は用済みだ。ジェシカ嬢と結婚したいのだろう、これは好機だぞ」
「父上……っ、わかりました」
言われた通りに署名すると、押し付けるようにメリッサに渡す。
「確かにいただきました。それでは皆様、ごきげんよう」
恭しくカーテシーをすると、大量の金貨と書類を置いたまま応接の間を立ち去る。そして荷物が入ったトランクを持って屋敷を颯爽と公爵家を後にした。
公爵家の門の前では、一台の馬車が停まっていた。メリッサが出てきたのを確認すると、執事とメイドが駆け寄ってくる。
「メリッサ様、お迎えに上がりました」
「お嬢様……よくぞご無事で! お怪我はございませんか、お腹は空いてはいませんか? お嬢様がお好きなジンジャークッキーをたくさんご用意いたしましたよ!」
「ふふっ、遠いところからありがとう。クロード、ジェナ。待たせてごめんなさいね」
「――どういうことだ、メリッサ!」
執事達との再会にホッとしたのも束の間、後ろから公爵とマルコムが追いかけてきた。そして停まっている馬車の紋章を見て愕然とする。
それはヴィンセント辺境伯家――武力ではコモンズ公爵家とは雲泥の差がある貴族のものだった。
「ど、どうして……なんで辺境伯家の迎えが……?」
「ヴィンセント辺境伯は私の伯父です。ご存じだと思ったのですけれど……ああ、そういえば、ひいお祖父様の代から伏せるようにしておりましたわね。媚びる馬鹿が増えるからと」
「聞いてない、聞いてないよメリッサ! 僕たちは夫婦だろう? どうして大切なことを今まで黙っていたんだい? 僕は君のことを愛していたというのにこんな仕打ち、あんまりだよ!」
「夫婦? ――都合のいいように使い捨て、愛人を優先したあなたに、愛など欠片もございません。お望み通りに離縁して差し上げるのですから、どうぞ愛する人とお幸せに」
冷たく吐き捨てるメリッサの言葉に、マルコムは何も言えなくなってしまう。
「なぜだ……なぜ、黙っていた!? なぜ従っているフリをした!?」
辺境伯家の後ろ盾があるのなら、メリッサはその場で助けを求めることも、公爵家を潰すことも容易い。伏せるように言われていたとはいえ、離縁という貴族令嬢にとっての深手を負う必要はどこにもなかったはずだ。
しかし、メリッサはそうしなかった。
「――見ておきたかったんです。辺境伯領がこれから治めていく場所を」
「は……?」
彼女は小さく笑みを浮かべ、公爵に告げる。
「辺境伯様より『用が済んだらすぐに戻ってこい』とお達しがありましたので、こちらで失礼させていただきます。もう二度とお会いすることもないでしょう」
「……っ、おのれ! 公爵である俺を散々コケにしやがって、ただで済むと思うなよ! すぐに地獄を見せてやる!」
「――それはこちらの台詞です」
メリッサは執事から受け取った扇子を素早く振り上げ、公爵の前に突きつけた。扇子の先が公爵の鼻先をかすめる。それはまるで剣を突きつけられたかのようで、あまりの気迫に公爵は立ち崩れて地面に座り込んだ。マルコムは恐怖で震え上がり、指先一つ動かすことができない。
もはや男女や身分差など関係ない。義家族全員で「地味で平凡な女」だと罵った彼女はもう、ここにはいなかった。
「私のことを散々使えないと罵った割に詰めが甘いのでは? 馬鹿につける薬はありませんが、馬鹿にもわかるようにこれから教えて差し上げます。──どうぞ、覚悟なさいませ」
メリッサが辺境伯家の馬車で立ち去った後も、公爵とマルコムはその場から動くことができずにいた。
「父上……メリッサの家の借金は、本当に嘘だったのですか……?」
マルコムは呆然と遠くを見つめる父に問いかける。
クレイソン男爵家の内情はいろんな手を使って調べ上げた。しかし、ヴィンセント辺境伯と親戚関係にあるという情報は一切出てこなかった。公爵領を治める者として、情報収集が不十分だったとは思っていない。
「そんな馬鹿な……クレイソン男爵家は当主不在で、後継者がいなければすぐに爵位を返上しなければならない状況で……だから娘を囲い込むことで商会の流通を支配するはずだった、すべてはあのお方の目的のため……まさか、辺境伯が絡んでくるとは……」
「あのお方……?」
「いや、それより今は借金だ。あの娘は大量の金貨を置いていった。我が家の借金はこれでなんとか――」
公爵がブツブツと呟きながら、自身の行いを正しいものだと言い聞かせている。
その一方で、マルコムはある違和感を覚えていた。
(この胸騒ぎはなんだ? 彼女が最後に言った「これから」って、一体なんの──)
「きゃあああ!」
頭の中で混乱している思考を整えようとしていると、突然屋敷の中から悲鳴が聞こえてきた。
嫌な予感がする。マルコムは父を置いて応接の間に戻った。
そこで目にした光景を前に、開いた口が塞がらない。
「そんな……嘘だろ……!」
マルコムは愕然とし、立ち崩れていった。
◇
「メリッサ様。あの大量の金貨、本当によろしかったのですか?」
辺境伯領へ向かう馬車の中、メイドのジェナが用意したジンジャークッキーを頬張るメリッサに、執事のクロードが問う。少し硬めに焼き上がったクッキーは、メリッサの大好物だ。
「伯父様にお渡しするわ。稼いだことに変わりはないし」
「え? でも置いてきちゃいましたよね? 回収に向かわせましょうか」
「回収する必要はないわ。だって金貨じゃないもの」
きょとんと首を傾げるジェナに、メリッサは小さく笑みを浮かべる。
「あれは全部、公爵家が所有する鉱山の石なの。本物の金貨はちゃんと保管しているわ。半年間納めていた分は本物だけど、その倍以上に稼げちゃったしいいかなって」
「……ええっ!?」
「幻覚魔法で金貨に見せていたの。試してみるものね」
メリッサは基本的な魔法をすべて習得しており、その中でも薬学の知識が長けているため、ポーション作りに活かしているだけだ。
借金自体が嘘だったとはいえ、ポーション以外にも妥協せず真面目に稼いでいたのだから、負けず嫌いにも程がある。
「ポーションの中には幻覚を解くものがあって、今回はそれを魔法に応用したのよ。そろそろ解ける頃かしら」
「そんなことが可能なんですか……?」
「短時間しか保たないし、あまり良いものとは言えないわね」
「まったく、メリッサ様もお人が悪い。やっていることは彼らと変わりませんよ」
「あら、私はまだ慈悲深いほうだと思うけれど? その原石に高値がつくのも数年後の話でしょうけど、捨てるには時期尚早よ」
メリッサが金貨袋の中に詰め込んだのは石だが、その多くは鉱石である。中には小さいものでも、公爵家の借金を一気に返済できるような宝石の原石を混ぜておいたのだ。見つければ儲けものだが、感情的になりやすい義家族のことだ。すでに目もくれずさっさと捨ててしまっているかもしれない。
とはいえ、公爵家が今までしてきた不正の数々は辺境伯家を通して王家に報告済み。原石の価値が上がる頃には、今までの生活のクオリティは保つことが難しくなっていることだろう。
「高価な原石をぽいっと捨てられるお嬢様のスタンス……えげつないです」
「彼らはクレイソン男爵家を甘く見すぎた。多少の意地悪は、きっとお父様たちも許してくれるわよ」
本日三枚目のジンジャークッキーをかじりながら、不敵の笑みを浮かべるメリッサ。
クロードとジェナは苦い笑みを浮かべる一方で、メリッサは窓の外に見えた澄んだ空を見つめる。
意地の悪い公爵家に囲い込まれ、こき使われる日々からようやく解放されたのだ。窮屈な生活を強いられた分、倍にして返した彼女の心は羽が生えたように軽い。
「さて、またすぐに忙しくなるわ。領地に着いたら皆に伝えてくれる?」
「は、はい! なんとお伝えいたしましょう……?」
ジェナの問いに、メリッサは晴れやかな笑顔で告げる。
「ヴィンセント辺境伯領の、住み心地改革よ!」
最近では顔を合わせることも減った夫に珍しく呼び出されたメリッサは、話を聞いて拍子抜けた。
夫――マルコムが義両親のいる前で堂々と打ち明けたのは、自身の不貞の暴露。見せつけるように隣でべったりとくっついているのは、彼の幼馴染であるジェシカだ。
愛らしい容姿の持ち主で華やかなワンピースドレスを着飾っている彼女とは一転、メリッサは艶のある落ち着いた金髪をひっつめか髪にほつれの見える地味な紺色のワンピース姿。
まるで使用人のようだが、戸籍上の妻はメリッサである。
息子が不貞を堂々と宣言しても、義両親にはまったく動揺が見られない。おそらく以前から知っていたのだろう。
メリッサは呆れながら、鼻の下を伸ばしたマルコムに問う。
「旦那様、それは私と離婚したいという意思表示でよろしいでしょうか?」
「いやいや、話を聞いていたかい? 妻の座は君のまま、ジェシカを僕の新たなパートナーとして受け入れてほしいんだ」
「この国で一夫多妻制度は廃止されています」
「頭が硬いなぁ……これは純粋な愛を語っているだけなんだから、国を追い出されることも捕まることもないんだから、少しは多めに見てくれないか。僕はただジェシカだけでなく、天涯孤独で可哀想な君もまとめて愛してあげたいんだ」
(……気持ち悪っ!)
喉から出かかった言葉をぐっと飲み込む。
マルコム・コモンズは、自身の容姿が異性から惹かれやすいものだと自覚している。メリッサも夫が自分に酔いやすい性格だと知ってはいたが、ここまで堂々とされると、呆れを通り越して清々しいまである。
新しいパートナー? 愛人と何が異なるのか、説明してほしいものだ。
「それに、君が公爵家に嫁いできた一番の理由は、両親が遺した借金の肩代わりだろう? 完済までまだまだかかるんだから、もっと働いてもらわないとね」
マルコムは見下すようにして彼女を鼻で嘲笑った。
メリッサの生家であるクレイソン男爵家は代々薬師を生業としており、今まで数多くの商会に生成したポーションを卸していた。
しかし、病死した父親の後を追うように母親も亡くなったある日、コモンズ公爵が突然やってきた。
コモンズ公爵家は広大な領地を所有し、国内でも王家に大きく貢献する貴族だが、クレイソン男爵家は公爵家の領地には属しておらず、商会を通じての取引も含め、今まで一度も関わったことがない。
そんな相手がなぜ乗り込んできたのか――メリッサが困惑していると、公爵から、両親が内密に金を借りていたことを告げられた。その額、金貨一千万枚。いくらポーションが高額で売れても、すぐ用意できる金額ではない。借用書に記載された署名が本物だと証明する鑑定書まで突きつけてくる。
血の気が引いて真っ青な顔色のメリッサに、公爵は妥協案を提示した。
それが息子のマルコムとの結婚だったのだ。
『貴様の才能を公爵家のために使え。ポーションを売って稼いだ金は家へ入れる形で返済しろ。できなければ、親戚の子爵家に肩代わりしてもらおうか。万が一、借金を完済した暁には自由にしてやらなくもない。できるものならな!』
この時、コモンズ公爵家の領地に属している子爵家はようやく事業が軌道に乗ったばかり。無関係な人々を巻き込みたくないメリッサは、非道で理不尽な条件に頷くことしかできなかった。
それから半年間、メリッサは返済のためにポーションを作り続けた。しかし、ポーションをいくら売っても借金が減る様子はない。毎月稼いだ金を公爵に渡すも「受け取っていない」と言われ、なかったことにされてしまう。
さらに義両親は、彼女に食事を含む家族の団らんの場にいることを禁じ、寝床は物置を改良した狭く埃っぽい部屋を与えるなど、まるで使用人のような生活を強いた。
誰もが「使い勝手のいい働き蟻」だと嘲笑しても、メリッサは文句一つ言うこともなく仕事に励み、家事と返済に追われる日々を送っていた。
ジェシカはその事情もよく知っているようで、にんまりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「メリッサさん、マルコムとは幼い頃に結婚しようねとずっと約束していたのよ。どちらが愛されているかは一目瞭然だろうけど、悪く思わないでね?」
「ジェシカ、すまない。メリッサが早く借金を返してくれないから、君に正妻の座をあげられなくて……」
「いいのよ。私、あなたと一緒ならどこにだっていけるもの。お義父様、お義母様。不束者ですが、どうか私を受け入れてくださいませんか?」
「なんて健気な子なの……! 私は賛成ですわ! こんな可愛らしい子が娘になってくれるのなら大歓迎よ」
「そうか……エリーがそういうのなら構わない。メリッサ、早く返済の目処を立てろ。公爵家の輝かしい未来のためにな!」
義両親もジェシカに賛成し、メリッサに軽蔑の目を向ける。
しかし、彼女は冷笑した。
「――馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
今までのメリッサからは到底考えられない低く呆れた声色と、淑女とは思えぬ乱暴な言葉遣いに皆、耳を疑った。
「は……?」
「失礼、つい本音が。……そんなに私を追い出したいのなら、今ここで完済させていただきますね」
そう言ってメリッサが右手を振った途端、空間が裂けた。
これは「収納魔法(マジックバッグ)」の一種で、異空間に作られた場所に大切なものを管理できる優れものだ。魔法に精通している者であれば造作もない魔法だが、義家族の前で見せるのはこれが初めてである。
呆然とする彼らを横目に、メリッサは空間の裂け目に両腕を突っ込むと、ごそごそと何かを探し始める。そして目当てのものを見つけると勢いよく引っ張り上げ、大きな袋をローテーブルに叩きつけた。
それはパンパンに膨らんだ大きな金貨袋。絞った口から溢れるほどの金貨が詰まっている。
「ここに、公爵家からお借りしていたという金貨一千万枚があります。どうぞご確認ください」
「な、なんですって!?」
「全額って……金貨一千万だぞ! 普通でも五年はかかるはずだし、家に納めていた額だって、五十枚なかったはずだ!」
「長くなりますので割愛しますが、やろうと思えば一ヶ月で完済は可能でした。しかし、皆様はとても厄介な癖をお持ちだったのでとりあえずお渡しする金額をセーブしたうえで従っていましたの。私の忠実なフリ、上手だったでしょう?」
「フリだと……貴様、コモンズ公爵家を馬鹿にしているのか!」
「そんな、滅相もございません! ――救いようのない馬鹿、とは思っておりますが」
清々しい笑顔で「馬鹿」を強調し毒を吐くメリッサは、彼らの前にずっしりと厚みのある帳簿を叩きつける。
そこには公爵家が今まで行ってきた領地経営の不正の記録が書かれていた。
「あなたの黒い噂は知っていたのでまさかとは思いましたが、個々まで真っ黒だとは思いませんでした。もちろん商会や宝石商、領民らからの証言もあり、ここにあるものはすべて裏付けもしております。調べればもっと出てくるでしょうが……これだけでも充分ですよね?」
コモンズ公爵は表では人当たりの良い領主だが、その裏で高額な税の徴収を繰り返す悪徳貴族だと黒い噂があった。
なぜ今まで咎められていないのか、それは王家の中に公爵家に忠誠を誓っている者がいて、不正はすべて握り潰されているのではという話があるからだ。未だ明らかになっていないが、調べようとした者は皆、気付いた頃には消されており、誰も証拠を掴むことも、逆らうこともできずにいると聞く。
すると、帳簿の間から何かがどさりと落ちて床に散らばった。後ろで控えていた使用人たちの足元にも届き、拾い上げると皆が目を見開いた。義父の酒代や義母の宝石類、マルコムがジェシカに使った交際費が事細かく精査された請求書が、複数枚あったからだ。
「メリッサさん! 公爵家の妻がこんなことをしていいと思っているの!?」
「お義母様、これは公爵家の悪い膿を出すために大切なことですよ。――それにしても、これほどまで散財癖が酷いとは。もはや改善の余地はありませんね。私を公爵家に嫁がせたのも、自分達の借金を返済させようという魂胆だったのでしょうけど、残念でした」
メリッサがいくら家に金を納めてもなかったことにされてしまっていたのは、実家の借金に回されたのではなく、義家族の返済に充てられていたのなら辻褄が合う。
(私が反論も追求もしてこなかったから、気付いていないとでも思ったのでしょう)
ジェシカとの関係を公にしたのも、メリッサは何も言ってこないと高を括ったことが要因だろう。完全に彼女を舐め腐っている。
「メリッサ……貴様の実力は聞いていたが、まさかこれほどまでとは……」
「これほどまで? まさか、これですべてだと思っていらっしゃるのであれば、随分お気楽な思考ですわね」
叩きつけられた書類をトントン、と指ではじくメリッサを前に、公爵はメリッサを結婚という形で囲い込んだのは、彼女の才能を買ってのことだったことを思い出した。
優秀な両親の隠れてはいるものの、メリッサは国内でも高い魔力と複数の魔法を扱える稀有な存在であり、両親譲りの商才の持ち主なのだ。金稼ぎの道具として見てきたが、本来であればメリッサの存在価値は高く見なければならない。
すると、涙目を浮かべたジェシカがメリッサに食いついた。
「酷いわ、メリッサさん! 私たちの愛を祝福しないどころか、公爵家を陥れようだなんて! なんて悪女なの!」
「悪女……そうね、あなた達にとって私は悪女と思われても仕方がないかもしれません」
困ったように目を伏せたメリッサに、ジェシカは一瞬明るい笑みを浮かべる。
「そうでしょう! 男爵家の人間がたてつくなんて――」
「ですが、不正に不正を重ねた公爵家の未来が、本当に輝かしいものになるとお思いで?」
「……は?」
「お義父様――いえ、コモンズ公爵。こちらをご覧ください」
メリッサが二枚の紙をテーブルに並べる。
一枚は半年前、メリッサに叩きつけられた借用書。もう一枚も同じ内容だが、請求先がコモンズ公爵家宛になっている。
それを見た公爵の顔色はみるみるうちに真っ青になった。
「ご存じのようですね。本当は、クレイトン男爵家に借金などなかったのではありませんか?」
メリッサの問いかけに、公爵夫人は顔を伏せた。マルコムとジェシカは首を傾げたままだ。
「な、何を言っているんだ、メリッサ。借金があるから、借用書が存在するのだろう? コモンズ家とクレイトン家が同じところから借りたのでは……」
「いいえ。クレイトン家の借用書は、コモンズ家の借用書を用いて偽造されたものです」
「ぎっ……はぁ!? 馬鹿な、ありえない! そんな証拠がどこに!?」
「ありますよ。検証の結果もすべて」
この日でもう何枚目になるのか、証拠をまとめた資料を新たにテーブルに叩きつける。
「私を騙そうだなんて、百年早かったですね。コモンズ公爵様」
公爵から手渡された借用書に違和感を覚えたのはすぐのことだった。
(......この商会が使っている用紙、こんなにざらついた紙質だったかしら?)
この国の商会では取引の際、魔法を含むどんな手法でも内容を偽造されないように、指定された紙を使用することが定められている。いくら署名を偽造された書類が出てこようと、商会の者であれば紙のざらつき一つで気付けるように研修まで組まれているほどだ。
幼い頃から両親の仕事にくっついて回り、いろんな商会とやり取りをしてきたメリッサにとって容易なことだが、母が亡くなった直後で落ち着く間もなく公爵が押しかけてきたこともあって、冷静な判断ができない状況だったのだろう。
この違和感は両親の借金の真相に辿り着く唯一の手掛かりだ。
(もしこれが嘘だったなら……しっかり倍にしてお返してあげないとね)
メリッサはすぐに様々な伝手を頼り、提示された借用書を念入りに調べた。そこで、記入されたインクの渇き具合から、記載されている借りた日よりも後に書き加えられたものであることがわかった。
「これらは王家御用達の紙やインクといった文具を取り扱う商会、さらに筆跡鑑定や魔術に詳しい文官の知人に協力いただき、この借用書がいつ書かれたものなのか、本来であれば誰が負うべき借金だったのか――すべて明らかにしてまとめたものです。さらに両家の経営状況を徹底的に調べ上げました。その結果、クレイトン家に借金はなく、借用書は偽造されたものであると断言できます。ああ、先程の件と合わせて王家へ報告済みですので、近日中に監査が入るかと」
並べられた書類を確認し、すべて本物であることを叩きつけられたマルコムは、信じられないといった表情で両親を見る。
公爵は書類の一つをぐしゃりと握り潰した。
メリッサは用意していた離縁状をマルコムに差し出した。
「さて、偽りではありましたが完済しましたし、約束通り好きにさせていただきます。離婚してくださいませ。手切れ金として、そちらは差し上げますわ」
「メリッサ、いい加減に……っ!」
「……もういい、マルコム。署名しろ」
公爵は悔しそうに睨みつけながらもマルコムを促した。
「金さえ手に入ればこの女は用済みだ。ジェシカ嬢と結婚したいのだろう、これは好機だぞ」
「父上……っ、わかりました」
言われた通りに署名すると、押し付けるようにメリッサに渡す。
「確かにいただきました。それでは皆様、ごきげんよう」
恭しくカーテシーをすると、大量の金貨と書類を置いたまま応接の間を立ち去る。そして荷物が入ったトランクを持って屋敷を颯爽と公爵家を後にした。
公爵家の門の前では、一台の馬車が停まっていた。メリッサが出てきたのを確認すると、執事とメイドが駆け寄ってくる。
「メリッサ様、お迎えに上がりました」
「お嬢様……よくぞご無事で! お怪我はございませんか、お腹は空いてはいませんか? お嬢様がお好きなジンジャークッキーをたくさんご用意いたしましたよ!」
「ふふっ、遠いところからありがとう。クロード、ジェナ。待たせてごめんなさいね」
「――どういうことだ、メリッサ!」
執事達との再会にホッとしたのも束の間、後ろから公爵とマルコムが追いかけてきた。そして停まっている馬車の紋章を見て愕然とする。
それはヴィンセント辺境伯家――武力ではコモンズ公爵家とは雲泥の差がある貴族のものだった。
「ど、どうして……なんで辺境伯家の迎えが……?」
「ヴィンセント辺境伯は私の伯父です。ご存じだと思ったのですけれど……ああ、そういえば、ひいお祖父様の代から伏せるようにしておりましたわね。媚びる馬鹿が増えるからと」
「聞いてない、聞いてないよメリッサ! 僕たちは夫婦だろう? どうして大切なことを今まで黙っていたんだい? 僕は君のことを愛していたというのにこんな仕打ち、あんまりだよ!」
「夫婦? ――都合のいいように使い捨て、愛人を優先したあなたに、愛など欠片もございません。お望み通りに離縁して差し上げるのですから、どうぞ愛する人とお幸せに」
冷たく吐き捨てるメリッサの言葉に、マルコムは何も言えなくなってしまう。
「なぜだ……なぜ、黙っていた!? なぜ従っているフリをした!?」
辺境伯家の後ろ盾があるのなら、メリッサはその場で助けを求めることも、公爵家を潰すことも容易い。伏せるように言われていたとはいえ、離縁という貴族令嬢にとっての深手を負う必要はどこにもなかったはずだ。
しかし、メリッサはそうしなかった。
「――見ておきたかったんです。辺境伯領がこれから治めていく場所を」
「は……?」
彼女は小さく笑みを浮かべ、公爵に告げる。
「辺境伯様より『用が済んだらすぐに戻ってこい』とお達しがありましたので、こちらで失礼させていただきます。もう二度とお会いすることもないでしょう」
「……っ、おのれ! 公爵である俺を散々コケにしやがって、ただで済むと思うなよ! すぐに地獄を見せてやる!」
「――それはこちらの台詞です」
メリッサは執事から受け取った扇子を素早く振り上げ、公爵の前に突きつけた。扇子の先が公爵の鼻先をかすめる。それはまるで剣を突きつけられたかのようで、あまりの気迫に公爵は立ち崩れて地面に座り込んだ。マルコムは恐怖で震え上がり、指先一つ動かすことができない。
もはや男女や身分差など関係ない。義家族全員で「地味で平凡な女」だと罵った彼女はもう、ここにはいなかった。
「私のことを散々使えないと罵った割に詰めが甘いのでは? 馬鹿につける薬はありませんが、馬鹿にもわかるようにこれから教えて差し上げます。──どうぞ、覚悟なさいませ」
メリッサが辺境伯家の馬車で立ち去った後も、公爵とマルコムはその場から動くことができずにいた。
「父上……メリッサの家の借金は、本当に嘘だったのですか……?」
マルコムは呆然と遠くを見つめる父に問いかける。
クレイソン男爵家の内情はいろんな手を使って調べ上げた。しかし、ヴィンセント辺境伯と親戚関係にあるという情報は一切出てこなかった。公爵領を治める者として、情報収集が不十分だったとは思っていない。
「そんな馬鹿な……クレイソン男爵家は当主不在で、後継者がいなければすぐに爵位を返上しなければならない状況で……だから娘を囲い込むことで商会の流通を支配するはずだった、すべてはあのお方の目的のため……まさか、辺境伯が絡んでくるとは……」
「あのお方……?」
「いや、それより今は借金だ。あの娘は大量の金貨を置いていった。我が家の借金はこれでなんとか――」
公爵がブツブツと呟きながら、自身の行いを正しいものだと言い聞かせている。
その一方で、マルコムはある違和感を覚えていた。
(この胸騒ぎはなんだ? 彼女が最後に言った「これから」って、一体なんの──)
「きゃあああ!」
頭の中で混乱している思考を整えようとしていると、突然屋敷の中から悲鳴が聞こえてきた。
嫌な予感がする。マルコムは父を置いて応接の間に戻った。
そこで目にした光景を前に、開いた口が塞がらない。
「そんな……嘘だろ……!」
マルコムは愕然とし、立ち崩れていった。
◇
「メリッサ様。あの大量の金貨、本当によろしかったのですか?」
辺境伯領へ向かう馬車の中、メイドのジェナが用意したジンジャークッキーを頬張るメリッサに、執事のクロードが問う。少し硬めに焼き上がったクッキーは、メリッサの大好物だ。
「伯父様にお渡しするわ。稼いだことに変わりはないし」
「え? でも置いてきちゃいましたよね? 回収に向かわせましょうか」
「回収する必要はないわ。だって金貨じゃないもの」
きょとんと首を傾げるジェナに、メリッサは小さく笑みを浮かべる。
「あれは全部、公爵家が所有する鉱山の石なの。本物の金貨はちゃんと保管しているわ。半年間納めていた分は本物だけど、その倍以上に稼げちゃったしいいかなって」
「……ええっ!?」
「幻覚魔法で金貨に見せていたの。試してみるものね」
メリッサは基本的な魔法をすべて習得しており、その中でも薬学の知識が長けているため、ポーション作りに活かしているだけだ。
借金自体が嘘だったとはいえ、ポーション以外にも妥協せず真面目に稼いでいたのだから、負けず嫌いにも程がある。
「ポーションの中には幻覚を解くものがあって、今回はそれを魔法に応用したのよ。そろそろ解ける頃かしら」
「そんなことが可能なんですか……?」
「短時間しか保たないし、あまり良いものとは言えないわね」
「まったく、メリッサ様もお人が悪い。やっていることは彼らと変わりませんよ」
「あら、私はまだ慈悲深いほうだと思うけれど? その原石に高値がつくのも数年後の話でしょうけど、捨てるには時期尚早よ」
メリッサが金貨袋の中に詰め込んだのは石だが、その多くは鉱石である。中には小さいものでも、公爵家の借金を一気に返済できるような宝石の原石を混ぜておいたのだ。見つければ儲けものだが、感情的になりやすい義家族のことだ。すでに目もくれずさっさと捨ててしまっているかもしれない。
とはいえ、公爵家が今までしてきた不正の数々は辺境伯家を通して王家に報告済み。原石の価値が上がる頃には、今までの生活のクオリティは保つことが難しくなっていることだろう。
「高価な原石をぽいっと捨てられるお嬢様のスタンス……えげつないです」
「彼らはクレイソン男爵家を甘く見すぎた。多少の意地悪は、きっとお父様たちも許してくれるわよ」
本日三枚目のジンジャークッキーをかじりながら、不敵の笑みを浮かべるメリッサ。
クロードとジェナは苦い笑みを浮かべる一方で、メリッサは窓の外に見えた澄んだ空を見つめる。
意地の悪い公爵家に囲い込まれ、こき使われる日々からようやく解放されたのだ。窮屈な生活を強いられた分、倍にして返した彼女の心は羽が生えたように軽い。
「さて、またすぐに忙しくなるわ。領地に着いたら皆に伝えてくれる?」
「は、はい! なんとお伝えいたしましょう……?」
ジェナの問いに、メリッサは晴れやかな笑顔で告げる。
「ヴィンセント辺境伯領の、住み心地改革よ!」

