執行猶予の恋人
「バカな女」なんて、初対面の相手に投げる言葉としては最悪だ。
でも不思議と、腹は立たなかった。彼の言葉には、取り繕った慰めにはない、冷たい重みがあったから。
「……はっきり言うんですね」
私が苦笑いしながら呟くと、彼はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「事実をオブラートに包むのは、詐欺師と無能な医者の仕事だ。俺はどっちでもない」
彼は私の肩が濡れないように、少しだけ傘を傾け直した。その横顔は、彫刻のように整っているのに、どこかひび割れているように見える。
「世の中、君みたいに人を疑うことを知らない人間がバカを見るように出来てる。……そのことを実感できる仕事を、日々しているものでね」
彼の目が、一瞬だけ遠くを見るような色を帯びた。
その「仕事」とやらで、彼はどれだけの嘘と裏切りを見てきたのだろう。この人の心がこんなにささくれ立っている理由は、きっとそこにある。
私は膝の上で手を組み、小さく息を吐いた。
「……当たってます」
「ん?」
「お人好し、なんです。男運もない。いつも都合よく扱われちゃう」
雨音に紛れるような声で、私は自分の弱さを認めた。
「友達にも言われるんです。『あんたは隙がありすぎる』って。……彼にも、最初は相談相手として近づかれて、気がついたら付き合ってて、気がついたら気持ちを利用されてお金ばっかり最近たかられてる……」
言葉にすると、自分の愚かさが余計に惨めに思えた。
情けなくて、視界が滲む。
「断れないんです。嫌われたくない、期待に応えたいって思っちゃって……結局、カモにされるのがオチなんです」
自嘲気味に笑ってみせたけれど、頬に冷たいものが伝うのは止められなかった。
雨のせいじゃない。涙だ。
見ず知らずの、こんな美しい人の前で泣くなんて。
私は慌てて顔を伏せたけれど、彼は慰める言葉なんて掛けてくれなかった。
代わりに、低く、低い声が頭上から降ってきた。
「……都合よく扱われるのは、君が自分自身の価値を安売りしているからだ」
顔を上げると、彼が私を見下ろしていた。
その瞳に宿っているのは、同情ではない。苛立ちと、もっと深い……祈るような感情に見えた。
「嫌われることを恐れるな。他人の期待なんて、君を縛る鎖でしかない」
彼はふいに、私の頬に伝った涙を親指で乱暴に拭った。
冷たい指先。でも、そこには血の通った人間の感触があった。
「お人好しで、男運がなくて、バカを見るのが嫌なら……俺がその『隙』を埋めてやる」
「え……?」
「俺の暇つぶしだと言っただろう。……君がそのクズ男に『No』と言えるようになるまで、俺が世の中の汚さを叩き込んでやる」
彼は傘の柄を私に押し付けると、ふらりと立ち上がった。
「ついてこい。まずはその湿気た顔を乾かすのが先決だ」
「ど、どこへ行くんですか?」
「俺の家だ」
「はあ!?」
私が素っ頓狂な声を上げると、彼は肩越しに呆れたような視線を投げかけてきた。
「自意識過剰だ。今の俺には、女を抱く気力なんてこれっぽっちも残っていない」
淡々と言い放つ彼に、私は顔を赤くしながら、それでも必死にその後ろ姿を追いかけた。
冷たい雨の中、彼という傘だけが、今の私を守ってくれる唯一の存在だったから。