極甘CEOと交際0日の仮初結婚 ~一途な彼の、初恋妻になりました~
その日の夕食のメニューは、クリームソースのロールキャベツと、ペンネ入りのミネストローネだった。その夜も、千秋くんは美味しいと言ってくれた。
洗い物を済ませて、スマホを持ってリビングに戻る。ソファに座って仕事用のタブレットを見ていた千秋くんは、
「洗い物ありがとうございます」
と、私に向かって微笑んだ。
ううん、と落ち着かない気持ちで応じた私は、そわそわと視線を泳がせる。
「どうかしました?」
「うん、……ええとね」
意を決して、千秋くんの隣に座る。そうして、スマホの画面を千秋くんに見せた。
千秋くんが画面を覗き込む。表示されているのは、『みどりのやね』の求人ポスターの写真。
「調理補助の仕事に、応募したいの」
そう切り出した声は、少し上擦っていた。
こちらを向いた千秋くんと、目を合わせずに続ける。
「朝も夜も、ご飯は今まで通りちゃんと作るし……ちゃんと、千秋くんに迷惑を掛けないようにするから」
千秋くんから返事はなかった。
だから、ああやっぱりわがままを言うんじゃなかったと後悔しながら、取り繕うように口走る。
「その、パートだし……ちゃんとした仕事じゃないよね。やっぱりやめようかな」
ごめん忘れて、と続けようとしたところで、千秋くんが言った。
「うちの会社にも、パートタイムで働いている方たちがいます。その方たちを、ちゃんとした仕事をしていないとは、俺は思いませんよ」
穏やかな声だった。だけど、ひどく辛辣に批判されたような心地になった。
だって――パートさんは、ちゃんとした仕事をしていない。
私は、パートタイムで働いているひとたちをそんなふうに否定したのだ。
「……ごめん」
今にも消えたい気持ちで謝った。そうしたら、千秋くんが私の頬に触れた。はっとして目を見ひらけば、彼は驚くほど優しい眼差しで私を見た。
「そんなに……決死の覚悟みたいな顔で切り出すから、何の話かと思いました」
眼差しと同じ、驚くほど優しい声でそう言った千秋くんは、私の目を真っ直ぐに見て続ける。
「紗夜香さんがやりたいことなんだから、応援しますよ。得意を活かせる、ぴったりの仕事だと思います」
千秋くんは、気負いなくそう言ってくれた。その言葉を聞いて、ようやく気づく。
ちゃんとした仕事をしていないと私が否定したのは、かつてパートやアルバイトとして働いていた私自身だ。
「ありがとう……」
千秋くんの前で、何度泣いてしまったことだろう。
泣き虫だと思われたくないから、ちゃんと涙を堪えたかった。
だけど、呆気なく決壊してしまった。
「ごめん……」
手のひらで目元を押さえて、俯いた。情けないし恥ずかしいのに、全然涙が止まらない。
――どうしよう、千秋くんが見てるのに。
途方に暮れたところで、千秋くんが身じろぐ気配がした。きっと、席を外してひとりにしてくれるのだと思った。
だけど、壊れ物に触れるような慎重さで抱きしめられた。私が簡単に振りほどける力加減だった。
「すみません。今の紗夜香さんを、ひとりにはしたくなくて」
千秋くんも途方に暮れていた。
私が、泣いている顔を見られたくないと思っていることも、ひとりになりたいと思っていることも、千秋くんはちゃんとわかっている。
その上で、千秋くんは私を抱きしめた。千秋くんは、今の自分の行動が最善じゃないと思っている。
だけど、最善じゃないと結論を出しながらそれでも私を抱きしめた彼に、思い知らされたようだった。
――好きだよ。あの頃だけじゃなくて、今も。
いつか、彼が私に訴えた愛。それが、今も鮮烈なものなんだって。
彼を抱きしめ返すことはできなかった。だけど、振りほどくこともしなかった。
静けさの中で交ざり合う心音が、心地良いと思った。