極甘CEOと交際0日の仮初結婚 ~一途な彼の、初恋妻になりました~
何者でもない私に、行く当てなんてどこにもなかった。だから夜を彷徨い歩いた。知らない道と、知っている道。無意識に――知っている道を辿るなんて未練がましい。
夢みたいな日々を過ごした場所に、まだちゃんと戻れる道だけを歩いていた。緑色の屋根が向こうに見えた。この場所からあのマンションに帰るための道を、私はちゃんと知っている。
「……ばかみたい」
自嘲する声音で呟いた。
戻るための道を知っていても、戻ることなんてできないのに。
頬を滑った涙を拭って、歩道に面した公園に入った。ジジ、と明滅する外灯の光。手の甲でぐちゃぐちゃになったラメがいびつにきらめく。外灯の薄い光の下に、ペンキが剥げたベンチがある。
ほんの2ヶ月半前、木漏れ日が揺らめくベンチにふたりで座った。思い出したくもない恐怖から、私は千秋くんに助けられた。
そうして、今日まで守られた。
今になって思い返せば、木漏れ日が揺らめくあの景色は、まるで絵画みたいに美しかった。あの景色を上書きするために、目の前のベンチに座ろうとした。
そのとき、強い力で二の腕を掴まれた。
「やっぱ紗夜香じゃん~!」
ぞくり、と肌が泡立つ。
無理矢理に振り向かされた視線が、かつて私を捨てた男――隼人の軽薄な笑みを捉えた。