極甘CEOと交際0日の仮初結婚 ~一途な彼の、初恋妻になりました~

 その刹那、上質なラストノートの揺らめきと、束の間触れ合った柔らかさが、私の感覚に鮮明によみがえる。

「――ふざけないで!」

 悲鳴に似た声を上げながら、3センチヒールで隼人の足を踏みつけた。途端に怯んだ隼人の手を振り払って、力の限りに声を投げつける。

「あなたに未練なんて、最初からなかった!」

 男を睨みつける眼差しが、涙で潤む。

「私は――あなたなんかに尽くした、過去の私が惜しかっただけ!」

 私はきっと、何者でもない。
 何者でもないけど――あなたなんかに勝手にされていい私じゃない。

 だって私は、彼に大切に守られたから。
 大切に彼に守られて、彼に肯定されて、私は私が無価値でないのだと知った。

 私はもう、無条件に私を差し出さない。
 月の光が届かない泥沼のなかで、何らかの営みが泡をかたちづくる。
 泡が消えて、また生まれる。
 緩やかな反復は息遣いに似ている。

 取るに足らなくても、何者でもなくても――それでも私は無価値じゃないから。

「二度と、私に関わらないで」

 捨て去るように言い置いて、隼人に背を向けた。だけど、

「おまえ……調子乗ってんなよッ」

 乱暴な力で肩を掴まれた。強引に振り向かされると同時に、男の拳が襲いかかる。
< 60 / 77 >

この作品をシェア

pagetop