月のうさぎと地上の雨男
 車は雨水本家へと入っていった。

 渡は譲と共に玄関へ上がった。

 本家の蛙前に案内され、座敷へと向かう。


「お待たせ―」


 明るい声を上げながら、譲が襖を開けた。

 座敷の空気は地獄だった。

 上座には、明らかに不機嫌な美佳。下座にはうなだれた貴生(たかお)佳貴(よしたか)

 どこに座ればいいのか、渡の顔が引きつったが、考えるのを止めて譲に付き従うことにする。

 譲が迷いのない足取りで貴生と佳貴の隣に腰を下ろしたので、渡もその隣に並んで座った。


「戻りました」

「ああ、お疲れ。渡、凪様のご様子は?」

「はい、お疲れのご様子ではありましたが、笑顔でお帰りになりました」

「そうか。お前に言いたいことは山ほどあるが……。まずは、無茶をしすぎだ。透と雫まで巻き込んで」


 言うことが譲にそっくりだと思いながら、渡は頭を下げた。


「ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」

「まったく、結果的に丸く収まったからこそ良かったものの。事前に譲か歌帆さんに相談できなかったのか?」

「止められると思いまして」

「それはそうかもしれないが……。今後は大人が止めないような計画を立ててくれ」

「はい、頭領」

「あとでしっかり話をするから、覚悟しておくように」


 美佳は苦笑して、佳貴に視線を移した。


「佳貴」

「……はい」


 唸るような声で、佳貴が答えた。


「考えたのだが、この夏休みは私の仕事を手伝うといい」


 佳貴は訝しげに目を細め、美佳を見た。


園佳(そのか)には園佳の仕事があるし、譲と共に私の仕事の補佐をすることで、少しは現実を見てくれ。そして、我が弟が私にこびへつらうほど暇ではないことも理解してもらおう」


 譲が微笑み、佳貴は気まずそうに背中を丸めた。


「それと、佳貴は渡を分家だと見下していたようだが、先程の渡の行動を見て何も感じなかったのか?」


 佳貴が渡を見た。

 渡は意味が分からず、佳貴に向けて首を傾げた。


「先程、渡は登場こそ乱暴ではあったが、月詠(つくよみ)の頭領への挨拶は礼節に則ったものだったし、途中で声を荒らげることも、取り乱すこともなかった。経緯の確認となったときには素早く書記を買って出た。その間、佳貴、お前は何をしていた?」


 正直、渡にはピンとこなかった。

 声を荒らげなかったのは、その必要がなかったからだ。

 もともと性格的に、渡は怒鳴ったり大声を出すことが得意ではない。

 穏やかに接して、丸く収められるものならそうしたいのだ。

 譲も同じような気質だから、おそらく遺伝なのだろう。

 書記を買って出たのは、全体を把握したかったし、佳貴と貴生が何か言えばすぐ口を挟める位置にいたかったからだ。


 佳貴は口をへの字に曲げ、渡を見ていた。


「渡はなんだかんだ、高校に上がったときから譲の仕事を手伝っているからな。もちろん透が家を出たからというのもあるが。佳貴は他者を見下すのではなく、自身を高めるためにどうすべきかを考えろ」

「……はい」


 美佳は悔しそうに頷く佳貴から、青ざめて俯く貴生へと視線を移した。


「貴生さん。私はあなたに本家の土地の管理を任せていたはずだ」


 貴生は俯いたままだ。


「今、土地の管理を誰がしているか、私が知らないとでも?」


 渡は訳がわからず譲を見たが、譲は肩をすくめるだけだった。


「あなたが放り出した土地は、今は歌帆さんが譲と歌帆さん名義の土地と合わせて管理してくれている。そのことに、思うことはないのか?」


 諭すような美佳の言葉に、貴生は勢いよく顔を上げた。

 渡からは横顔しか見えなかったが、怒りに燃えた瞳をしているのはわかった。


「お前がわたしに押し付けるのは、そんな地味な裏方仕事ばかり。頭領として顔を出す華やかな仕事は独り占めして、自分ばかり目立って、ちやほやされて……! わたしは、お前の引き立て役になるために雨水(うすい)に貰われたわけじゃないんだ!」


 息を切らせて怒鳴った貴生に、美佳は悲しそうに頷いた。


「表に立ったら、なおのこと私と比べられるとは思わないのか?」

「その傲慢な考えが嫌なんだ。自分ばかりが目立つと思って。少しはわたしを立てようとは思わないのか!」

「自分で立てない男を伴侶にしたつもりはない。あなたなら、共に並んで立てると思ったから生涯を共にすると決めたんだ」


 美佳の言葉に、貴生は顔をくしゃっと歪ませた。


「……わたしは、疲れた」

「そうか。悪いな譲、渡。夫婦喧嘩に巻き込んで。蛙前」


 本家に仕える蛙前が、静かにふすまを開けて入ってきた。


「貴生と佳貴を頼む。それぞれ部屋に送り届けたら戻ってきてくれ」

「かしこまりました。貴生様、佳貴様、こちらへ」

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