月のうさぎと地上の雨男
 約束の日、渡は手土産を片手に月詠(つくよみ)の別邸に来ていた。

 本邸は月にあり、地球にあるのは別邸なのだと凪からは聞いている。


「普段は別邸に住んでいて、お客さんが来たときは敷地内の……別荘って呼んでる場所でおもてなしするんだ。ホームシアターもあるから、そっちでいいかな」

「もちろん」


 凪の母親も挨拶のために顔を出すと聞いていて、渡はそわそわしながら車に揺られていた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」


 渡があまりに緊張した顔をしているからか、凪は苦笑しながらこちらを見た。


「緊張しないわけにはいかないよ。なにしろ月の女主人だ」

「私にはママでしかないからなあ。……まあ、怖いけど」

「怖いんだ?」


 凪がスッと目を逸らした。

 渡の顔がますます引きつる。

 確かに、(ゆずる)も同じようなことを言っていた。

 渡の父、譲は姉の美佳に頭が上がらず、渡も伯母のことは怖い。

 その伯母でさえ頭が上がらない女性だと言われれば、怖くないはずがなかった。

 そんな渡の緊張をよそに、車は月詠家別邸の敷地内へと入って行った。


「こちらへどうぞ」


 蟹沢(かにさわ)が穏やかな笑顔で屋敷へと案内してくれた。


「別邸の別邸でこの規模かあ……」


 案内された屋敷は、渡が愕然とする広さだった。

 和風造りの雨水(うすい)本家とはまた違った、豪華な屋敷だ。

 渡自身の家はマンションそのものが母の歌帆(かほ)の持ち物で、その最上階ワンフロアを渡の家族が占有している。

 その辺りは母方の家との何らかのやり取りがあったらしいが、渡は詳しく知らない。

 凪は笑顔で渡の手を引き、先へと歩いていった。


「こっちが応接室だよー。失礼しまーす」


 渡が心の準備をする間もなく、応接室へと連れて行かれた。

 そこには、すらりと背の高い婦人が待ち構えていた。


「ようこそいらっしゃいました。雨水家の方ですね」

「は、はい。はじめまして、雨水渡と申します。お嬢さんとお付き合いさせていただいております。本日はお邪魔いたします。あの、こちら皆様でお召し上がりください」


 渡は言葉を噛みながらも、必死に挨拶をした。

 菓子折を差し出すと、婦人は凪そっくりの笑顔で受け取った。


「ご丁寧にどうもありがとう。月詠美凪子(みなこ)と申します。あまりかしこまらなくていいのよ。娘が彼氏を連れてくるなんて初めてのことなものだから、野次馬に来ただけなのよ」

「もー、渡くんのこと困らせないでよ」


 凪からすれば母親なのだから当たり前のやり取りなのだろうが、渡にとっては親の上司の上司のような存在で、しかも彼女の母親でもあり、何を言えばいいのか気が気でなかった。


「では、わたくしは失礼しますわね。凪、お客様に失礼のないように。あと、(ゆう)(あや)が気にしていたから、後で顔を出すかもしれないわ」

「えー嫌だなあ」

「そういうことを言うものではありません。……いずれ、あの子たちの兄になるかもしれないのでしょう?」

「ちょ、そういうプレッシャーかけないでよ。わかりました。顔を出したら、ちゃんと挨拶します」

「渡さん、悠と綾は凪の弟妹なのよ。気難しいところがあるけれど、仲良くしてやってちょうだいね」

「は、はい」


 婦人はにこりと微笑んで応接室から出て行った。
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