月のうさぎと地上の雨男

19.俺の彼女

 二月頭のある日、(わたる)が凪を迎えに高校に向かうと、やはり細蟹(ささがに)が現れた。


「雨水くん、一緒に帰っていい?」

「だめ。待ち合わせしてるから」

「そっか。残念。ところで来週末って用事ある?」

「来週末?」


 渡は少し考えたが、特に予定はない。

 しかし、ここで「用事はない」と答えるのは良くないと、ようやく気づいた。

 渡はゆっくりと首を横に振った。


「来週末は用事あるよ」

「そうなんだ。……じゃあ、また明日」


 細蟹は笑顔で手を振って去って行った。

 カサカサと葉擦れのような音がして渡は辺りを見回したが、風は吹いていなかった。

 渡は細蟹の背中が見えなくなるのを確認してから、本当の待ち合わせ場所の裏門へと向かう。

 裏門の前に止まっていた月詠(つくよみ)の車に乗り込むと、凪がパッと顔を上げた。


「凪、お待たせ」

「渡くん、今日は大丈夫だった?」


 不安そうな凪に渡は穏やかに微笑んだ。


「大丈夫だよ。凪に会いたかった」


 渡はそう言ってシートベルトを締め、凪の手に自分の手を重ねた。

 凪はやっと安心したように渡の手を握り返した。

 車は静かに走り出し、渡の家へと向かう。

 二人は他愛もないことを話しながら指先を絡めていた。


「渡くん、来週末って空いてる?」


 渡の住むマンションのロータリーに車が入ったとき、凪がそわそわと渡を見つめた。


「来週末?」


 渡は首を傾げた。


「来週末って何かあったっけ」

「バレンタインだよ」


 恥ずかしそうに微笑む凪に、渡は頷いた。


「ああ、そっか。さっき他の人にも言われたから、何かと思った」

「他の人……それって、細蟹さん?」

「う、うん」


 凪の笑顔が曇る。

 しまったと思ったが、もう完全に手遅れだった。

 渡はつい車のルームミラーを確認したが、猿渡(さるわたり)蟹沢(かにさわ)も映っていなかった。

「その人に、バレンタイン誘われたんだ」

「バレンタインとは言われてないよ」


 凪は俯いてしまい、渡からは顔が見えなかった。

 それでも、暗い表情をしているのはわかる。


「凪。もしそうだとして、俺がバレンタインを一緒に過ごしたいのも、チョコレートを受け取るのも、君だけだよ」

「……彼女がいるって言えないのに?」


 渡は何も言えなかった。

 だってそれは、凪のためだ。

 凪が危険に晒されないように、渡が月詠の弱点にならないように。

 風間(かざま)に口止めをして、父や母、頭領から月詠にこっそり根回ししているのも、最終的には月詠の頭領に二人の仲を納得してもらうためだ。

 もしあらぬ噂で月詠の頭領が知ることになったら、凪は月に戻されかねないし、そうなったら、雨水(うすい)と月詠の付き合いはどうなってしまうのか。


「……凪。俺は」

「ごめん、わがまま言った」


 凪は渡の手をぎゅっと握った。


「わかってる。わかってるよ。ごめん」

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