月のうさぎと地上の雨男
 帰宅後、渡が歌帆(かほ)にその話をすると、母はあっさり頷いた。


「いいわよ。というか、そうするつもりだったし」

「あ、そうなんだ?」


 渡は拍子抜けした。


「ええ。凪さんの高校卒業を待ってからそうするつもりでいたの。えっと、美凪子(みなこ)さんと美佳さんと私はね。あと譲さんも」

「あー、そっか。今すぐとはいかないか……」

「凪さんがまだ高校生ですからね。月詠の頭領は凪さんが高校生のうちは、そういう話をしたくないそうなの。だから、今うちからその話を持っていくと逆に印象が悪くなるわよ」

「……そっかあ」


 肩を落とす渡に歌帆は不思議そうな顔をした。


「何か、焦るようなことがあった?」

「焦ってるように見えた?」

「見えた」


 まっすぐ見つめる歌帆に、渡は口を噤む。

 少し迷ってから首を振った。


「そうかも。ちょっと頭冷やす」


 渡は踵を返して自分の部屋に戻った。

 夕飯の後、凪から連絡が来た。

 渡が歌帆に言われたこととほぼ同じことを、凪も母親から言われたらしい。

 落ち込む凪に慰めの言葉をかけて、渡はベッドに横になった。




 その後も細蟹からの接触は続いた。

 避けるほどではないが、確実に距離は詰まっている。


「おはよう、雨水くん」

「……おはよう、細蟹さん」


 授業で近くの席に座ったときに挨拶を交わすとか、教室を出るときに声をかけられるとか、その程度だ。

 しかし、渡が凪を迎えに高校に行こうとすると、週に一度くらい声をかけられる。

 以前のように食い下がることはない。


「待ち合わせてるから」「約束があるから」


 そう渡が言えば、引き下がる。

 けれど、そうでないとき……渡がまっすぐ駅に向かうときは必ず隣を歩くようになった。

 そのたびに、渡は逃げ出したい気持ちになる。

 隣にいてほしいのは凪だけなのに、どうして違う女性がいるのだろう。

 凪が知ったらいい気はしないと分かっているのに、うまく断れなかった。

 なにしろ大学から駅まではほんの数分で、挨拶と天気の話をすれば終えるような距離しかない。

 渡は凪の存在を公言できないから、余計にうまい断り方が思いつかず、モヤモヤしながら帰るはめになった。


「渡、大丈夫?」

「ダメかも」


 事情を把握している宗輔(そうすけ)がいるときは寄ってこないから助かるし、宗輔が一緒に帰るときは風間の車に同乗させてもらえる。

 しかし、宗輔はサークルがあるから毎日一緒には帰れない。

 渡の気は滅入る一方だった。
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