時を縫う英雄譚
第三話
芽吹と協力関係を結んでから二日。
あれからとくに、芽吹と共闘はしていない。
朝の教室は、少しだけ騒がしかった。
「聞いた? 三組の黒板、朝来たら割れてたらしいよ」
「え、誰かイタズラ?」
「警察来たって」
「えー、やば!大事じゃん!」
透は机に突っ伏したまま、話を右から左へ流していた。
昨日の夜の感覚が、まだ指先に残っている。
――削れた、何か。
思い出そうとすると、
頭の奥がじくりと痛んだ。
「一ノ瀬」
顔を上げると、イインチョーがいた。
今日は少しだけ、表情が硬い。
「ねえ、今日の放課後、予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
即答だった。
理由を聞く前に、芽吹はもう前を向いている。
(……なんだよ、それ)
放課後。
校門を抜けて、少し遠回りの道。
人通りはあるのに、そのわりに空気が薄い。
「ねえ、一ノ瀬」
芽吹が歩きながら言った。
「昨日の夜、何してた?」
透は一瞬、足を止めかけた。
「……なんで?」
「なんとなく?」
即答だった。
「夜さ、変な気配が増えてる。
たぶん、昨日“縫われた”の、ここら辺」
芽吹はそう言って、街路樹の影を見た。
透の喉が鳴る。
「……見えてるのか」
「うん」
芽吹は立ち止まり、透を見る。
「一ノ瀬。
隠してるでしょ」
逃げ場はなかった。
「……イインチョーこそ」
透は苦笑する。
「昼は優等生。
夜は緑の糸ぶん回す正体不明」
「ひど!」
芽吹は肩をすくめた。
「でも、否定しない」
沈黙。
夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。
そのときだった。
影が、歪んだ。
街路樹の根元。
アスファルトの継ぎ目。
影が浮かび上がる。
…虚影だ。
「……来るよ」
芽吹が低く言う。
次の瞬間、
影は人の形を取った。
呻くような音。
引きずる足。
昼間の噂が、頭をよぎる。
「……学校の」
「たぶん、三組」
「さすがイインチョー!よく覚えてる!」
芽吹は針を構えた。
透も、ポケットに手を伸ばす。
「同時にいく?」
「任せた」
呼吸が揃う。
「――《縫写・ナイトステッチ》」
黒糸が走る。
「――《グリーンバインド》」
緑の糸が絡む。
二色の糸が交差し、
虚影は悲鳴のようなノイズを発して崩れた。
静寂。
夕焼けが、何事もなかったかのように街を染める。
「……慣れてるね」
芽吹が言った。
「イインチョーも」
「まあね」
少し間があって、芽吹は続ける。
「ねえ、一ノ瀬」
「ん?」
「あなたって公安専属じゃないんだっけ?」
透の頭にハテナが浮かぶ。
「…は?」
「あ、もしかして知らなかった?」
芽吹は真っ直ぐに言う。
「分かってたら、あんな顔しない」
透は何も言えなかった。
「だからさ」
芽吹は手を差し出す。
「組も」
「……は?」
「今度公安に推薦しとくからさ、
いっしょにやろうよ、スタッチャー!」
透はその手を見る。
一瞬、朝の空席が脳裏をよぎった。
でも、今は考えない。
「……わかった」
「よし!」
芽吹が満面の笑顔でそう言った、その直後だった。
「――ありゃりゃ」
低い声。
二人の影が、街灯の下で重なった。
芽吹が、即座に一歩前に出る。
さっきまでの柔らかさは、完全に消えていた。
「……フォール」
名前を呼ぶだけで、場の空気が変わる。
街灯の影から現れた男は、軽く手を挙げた。
「やっぱ気づくよね、ヴァイン。
さすが公安スティッチャー《パターン級》」
透の思考が、一瞬遅れる。
(……パターン級?)
芽吹――イインチョーが、公安?
「何の用」
芽吹の声は、任務のそれだった。
フォールは視線を透に移す。
「観測だよ。
未登録スタッチャーが、連続で縫ってる」
視線が、逃げない。
「一ノ瀬透、君のね」
名前を呼ばれ、背中が冷たくなる。
「……イインチョー?」
透が呼ぶと、芽吹は一瞬だけ視線を返した。
「後で説明する」
それだけ。
フォールは頷いた。
「正確には、“観測と判断”だ」
彼は、淡々と告げる。
「君の縫い方は荒い。
《スレッド級》にも登録されてないのに、
単独討伐を繰り返してる」
「……悪かったな」
「責めてない」
フォールは肩をすくめる。
「事実を言ってるだけ。
一人でやってると、削れるからね」
芽吹が、透を見る。
「……言ったでしょ」
逃げ場はなかった。
「で?」
透は歯を食いしばる。
「捕まえに来たのか」
「いいや」
フォールは即答した。
「保護。
それと、登録」
その言葉に、透の胸がざわつく。
「公安対虚影課《ステッチ管理局》。
通称、公安スタッチャー」
芽吹が、静かに続ける。
「夜の戦いは“任務”。
成果でランクが決まる」
透は、芽吹を見る。
「……お前、どこまで知ってたんだよ」
「全部」
少しだけ、痛そうに笑う。
「だから、組もうって言った」
フォールが、楽しそうに口笛を吹いた。
「ヴァインの判断だ。
君を“野良”のまま放っておくのは危険」
「入らなきゃ?」
透が聞く。
フォールは、少しだけ声を落とした。
「監視対象。
最悪、拘束」
夕焼けが、やけに赤い。
芽吹が、透の前に立つ。
「一ノ瀬。私はもう、公安専属で…
“ヴァイン”としてやってる」
一拍。
「でも――」
芽吹は、手を差し出す。
「一人で削れるの、見過ごせないから」
透は、その手を見る。
朝の空席が、また脳裏をよぎる。
それでも。
「……条件は」
「無茶しない」
「善処する」
「やっぱ信用ならないなぁ」
昨日と同じやりとり。
でも、今度は意味が違う。
フォールが、満足そうに頷いた。
「じゃ、決まりだ」
影に戻りながら、言う。
「ようこそ。
《スレッド級》候補」
その言葉が、夜に落ちる。
芽吹は透の、手を取る。
それは――
公安に管理されることを選んだ夜。
そして、二人が“任務”として並ぶ最初の瞬間だった。
あれからとくに、芽吹と共闘はしていない。
朝の教室は、少しだけ騒がしかった。
「聞いた? 三組の黒板、朝来たら割れてたらしいよ」
「え、誰かイタズラ?」
「警察来たって」
「えー、やば!大事じゃん!」
透は机に突っ伏したまま、話を右から左へ流していた。
昨日の夜の感覚が、まだ指先に残っている。
――削れた、何か。
思い出そうとすると、
頭の奥がじくりと痛んだ。
「一ノ瀬」
顔を上げると、イインチョーがいた。
今日は少しだけ、表情が硬い。
「ねえ、今日の放課後、予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
即答だった。
理由を聞く前に、芽吹はもう前を向いている。
(……なんだよ、それ)
放課後。
校門を抜けて、少し遠回りの道。
人通りはあるのに、そのわりに空気が薄い。
「ねえ、一ノ瀬」
芽吹が歩きながら言った。
「昨日の夜、何してた?」
透は一瞬、足を止めかけた。
「……なんで?」
「なんとなく?」
即答だった。
「夜さ、変な気配が増えてる。
たぶん、昨日“縫われた”の、ここら辺」
芽吹はそう言って、街路樹の影を見た。
透の喉が鳴る。
「……見えてるのか」
「うん」
芽吹は立ち止まり、透を見る。
「一ノ瀬。
隠してるでしょ」
逃げ場はなかった。
「……イインチョーこそ」
透は苦笑する。
「昼は優等生。
夜は緑の糸ぶん回す正体不明」
「ひど!」
芽吹は肩をすくめた。
「でも、否定しない」
沈黙。
夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。
そのときだった。
影が、歪んだ。
街路樹の根元。
アスファルトの継ぎ目。
影が浮かび上がる。
…虚影だ。
「……来るよ」
芽吹が低く言う。
次の瞬間、
影は人の形を取った。
呻くような音。
引きずる足。
昼間の噂が、頭をよぎる。
「……学校の」
「たぶん、三組」
「さすがイインチョー!よく覚えてる!」
芽吹は針を構えた。
透も、ポケットに手を伸ばす。
「同時にいく?」
「任せた」
呼吸が揃う。
「――《縫写・ナイトステッチ》」
黒糸が走る。
「――《グリーンバインド》」
緑の糸が絡む。
二色の糸が交差し、
虚影は悲鳴のようなノイズを発して崩れた。
静寂。
夕焼けが、何事もなかったかのように街を染める。
「……慣れてるね」
芽吹が言った。
「イインチョーも」
「まあね」
少し間があって、芽吹は続ける。
「ねえ、一ノ瀬」
「ん?」
「あなたって公安専属じゃないんだっけ?」
透の頭にハテナが浮かぶ。
「…は?」
「あ、もしかして知らなかった?」
芽吹は真っ直ぐに言う。
「分かってたら、あんな顔しない」
透は何も言えなかった。
「だからさ」
芽吹は手を差し出す。
「組も」
「……は?」
「今度公安に推薦しとくからさ、
いっしょにやろうよ、スタッチャー!」
透はその手を見る。
一瞬、朝の空席が脳裏をよぎった。
でも、今は考えない。
「……わかった」
「よし!」
芽吹が満面の笑顔でそう言った、その直後だった。
「――ありゃりゃ」
低い声。
二人の影が、街灯の下で重なった。
芽吹が、即座に一歩前に出る。
さっきまでの柔らかさは、完全に消えていた。
「……フォール」
名前を呼ぶだけで、場の空気が変わる。
街灯の影から現れた男は、軽く手を挙げた。
「やっぱ気づくよね、ヴァイン。
さすが公安スティッチャー《パターン級》」
透の思考が、一瞬遅れる。
(……パターン級?)
芽吹――イインチョーが、公安?
「何の用」
芽吹の声は、任務のそれだった。
フォールは視線を透に移す。
「観測だよ。
未登録スタッチャーが、連続で縫ってる」
視線が、逃げない。
「一ノ瀬透、君のね」
名前を呼ばれ、背中が冷たくなる。
「……イインチョー?」
透が呼ぶと、芽吹は一瞬だけ視線を返した。
「後で説明する」
それだけ。
フォールは頷いた。
「正確には、“観測と判断”だ」
彼は、淡々と告げる。
「君の縫い方は荒い。
《スレッド級》にも登録されてないのに、
単独討伐を繰り返してる」
「……悪かったな」
「責めてない」
フォールは肩をすくめる。
「事実を言ってるだけ。
一人でやってると、削れるからね」
芽吹が、透を見る。
「……言ったでしょ」
逃げ場はなかった。
「で?」
透は歯を食いしばる。
「捕まえに来たのか」
「いいや」
フォールは即答した。
「保護。
それと、登録」
その言葉に、透の胸がざわつく。
「公安対虚影課《ステッチ管理局》。
通称、公安スタッチャー」
芽吹が、静かに続ける。
「夜の戦いは“任務”。
成果でランクが決まる」
透は、芽吹を見る。
「……お前、どこまで知ってたんだよ」
「全部」
少しだけ、痛そうに笑う。
「だから、組もうって言った」
フォールが、楽しそうに口笛を吹いた。
「ヴァインの判断だ。
君を“野良”のまま放っておくのは危険」
「入らなきゃ?」
透が聞く。
フォールは、少しだけ声を落とした。
「監視対象。
最悪、拘束」
夕焼けが、やけに赤い。
芽吹が、透の前に立つ。
「一ノ瀬。私はもう、公安専属で…
“ヴァイン”としてやってる」
一拍。
「でも――」
芽吹は、手を差し出す。
「一人で削れるの、見過ごせないから」
透は、その手を見る。
朝の空席が、また脳裏をよぎる。
それでも。
「……条件は」
「無茶しない」
「善処する」
「やっぱ信用ならないなぁ」
昨日と同じやりとり。
でも、今度は意味が違う。
フォールが、満足そうに頷いた。
「じゃ、決まりだ」
影に戻りながら、言う。
「ようこそ。
《スレッド級》候補」
その言葉が、夜に落ちる。
芽吹は透の、手を取る。
それは――
公安に管理されることを選んだ夜。
そして、二人が“任務”として並ぶ最初の瞬間だった。