完璧美人の私が恋したのは、眼鏡オタクのSEでした
 会議室を出ると、
 廊下は、
 さっきまでの緊張が嘘みたいに静かだった。
 
 人の気配が遠のいたタイミングで、
 優希は、少しだけ足を止める。

 目の前に立っているのは、
 あの夜、自分を助けてくれた大柄な男
 ——マサト。

 無駄のない立ち姿。
 近くにいるだけで、空気が引き締まる。

 「……あの時は」

 優希は、改めて頭を下げた。

 「本当に、ありがとうございました」
 「命拾いしました」

 マサトは、ほんの一瞬だけ視線を向け、
 低く、静かに返す。

 「気にするな」

 それだけ言って、歩き出そうとしたが、
 一歩、立ち止まった。

 「ただな」

 優希を見る目が、少しだけ厳しくなる。

 「男には、
  勇気を出さなきゃいけない場面がある」

 「……はい」

 「だが」

 マサトは、淡々と続ける。

 「相手と状況を見誤ると、
  命も、人生も簡単に持っていかれる」
 「それは腕力だけの話じゃない
  仕事でも、同じだ」

 短い言葉。
 だが、重い。

 優希は、思わず背筋を伸ばした。

 「……肝に銘じます」

 マサトは、それ以上何も言わず、
 小さく頷いただけだった。
 その背中が、
 廊下の向こうへ消えていく。
 優希は、
 しばらくその場に立ち尽くしていた。
 (勇気……か)

 守るための勇気。
 無謀じゃない、
 覚悟としての勇気。
 ——あの夜を越えたからこそ、
 ようやく、
 その意味がわかった気がした。

 優希は、その言葉を、
 心の奥に、静かにしまい込む。
 これから先、仕事でも、
 人を想う気持ちでも。
 迷ったとき、きっと思い出す。
 あの大きな背中と、短く、重い言葉を。
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