完璧美人の私が恋したのは、眼鏡オタクのSEでした
 優希が会社を出たのは、
 すっかり日が落ちてからだった。
 (少し、遅くなったな)

 スマートフォンを確認するが、
 里桜からのメッセージはない。

 それでも、不思議と足取りは軽かった。
 角を曲がった、そのとき。

 「——おい、おまえ」

 低い声。
 次の瞬間、
 胸ぐらを強く掴まれた。

 「……なんだ?」

 顔を上げると、男が立っていた。
 智也だった。

 「お前……、俺の女に、
  手ぇ出してんじゃねぇよ」

 意味がわからない。

 「何の話だ」

 「俺は——里桜の元カレだよ」

 言い終わる前に、
 背後から肩を掴まれる。

 「……っ!」

 振り返ると、智也の後ろに、
 さらに男が二人。
 空気が、急に変わった。
 (まずい)

 「離せ、関係ないだろ」

 「うるせぇ、里桜に手出しやがって!」

 智也が、吐き捨てる。

 「いいから来い」

 「放せ!」

 抵抗した瞬間、腹に鈍い衝撃。
 息が詰まり、体勢が崩れる。

 そのまま——
 路肩に停まっていた車のドアが開き、
 強引に押し込まれた。

 「やめろ!」
 
 ドアが閉まる、エンジン音。
 車は、
 何事もなかったかのように走り出した。

 同じ頃
 一ノ瀬は、
 いつものように路上清掃をしていた。
 (ほうき)を動かす手が、止まる。
 (……騒がしいな)

 少し離れた場所で、男たちの声。
 揉め事、取っ組み合っている。
 視線を向けた瞬間、
 一ノ瀬の眉が、わずかに動いた。

 「……マサト、ちょっと見てこい」

 「はい」

 マサトは、迷いなく駆け出す。
 その間に——
 車が急発進した。

 「……あれは」

 マサトが、
 遠ざかる車を目で追う。

 「……白石優希?」

 一瞬、助けに入ろうとする。
 だが、距離がある、間に合わない。

 マサトは、
 舌打ちしそうになるのを堪え、
 車のナンバーを、正確に記憶した。

 数分後
 「社長」

 戻ってきたマサトは、短く報告する。

 「今の、白石優希でした」

 一ノ瀬の目が、鋭くなる。

 「……連れて行かれたか」

 「はい、複数人です」

 一ノ瀬は、すぐには動かない。

 「話の様子からすると
  女絡みのトラブルにも見えます」

 マサトは、
 一瞬、言葉を選んでから続けた。

 「ただ……、車はレンタカーでした」

 一ノ瀬が、静かに顔を上げる。

 「ほう、人数も、三人以上」

 「痴話喧嘩にしては、ちょっと不自然です」

 一ノ瀬は、少し考え、言った。

 「警察に通報しても、今の段階じゃ、
  誘拐とは言えないな」

 「はい」

 「だが——」

 一ノ瀬は、箒を地面に立てかける。

 「白石は、うちの社員だ、
  放っておく件ではない」

 マサトは、即座に頷いた。

 「一応、車、洗います」
 「レンタカー会社も、当たります」

 「頼む」

 一ノ瀬の声は、低く冷静だった。
 だが、その目には、
 はっきりとした警戒が宿っている。
 (……偶然じゃない)

 それが、二人の共通認識だった。
 静かな夜の裏側で、
 歯車は、
 確実に噛み合い始めていた。
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