拳よりも、強いもの〜俺たちはいつも『曇天』の中に光を掴んだ

第八話 背中を預けるということ

背中を預けるということ

その夜のことは、
今でも断片的に語られる。

人数が多かったとか、
相手が荒れていたとか。

でも、
本当に覚えているのは、
音だった。



金属が擦れる音。
靴が地面を蹴る音。
誰かの息が乱れる音。

悠矢は、
前に出ていた。

考えは、もうなかった。

視線を集める。
怒りを引き受ける。
それだけ。



一発、もらった。

次の瞬間、
二発目が来る。

痛みはあったが、
足は止まらない。

止まれない。



その時、
背中に気配を感じた。

近い。
でも、触れない。

(いる)

それだけで、
体が動いた。



愁也は、
後ろにいた。

声は出さない。
手も出さない。

ただ、
立っている。



相手が、
回り込もうとする。

愁也が、
一歩だけ動く。

それで、道が消える。



悠矢は、
初めて後ろを見なかった。

振り返らない。
確認しない。

必要がない。



さらに殴られ、
一瞬、視界が揺れた。

膝が落ちかける。

その時、
声が届く。

「ゆうやぁっ」

一回だけ。



その声で、
立てた。

理由は、
今でも説明できない。

ただ、
体がそうした。



次の瞬間、
愁也が前に出た。

静かな動きだった。

拳は、
必要な分だけ。

それ以上は、
使わない。



空気が、
一気に変わる。

相手が悟る。

――ここから先は、
引き返せない。



愁也が言う。

「終わりだ」

誰も、
逆らわなかった。



帰り道。
悠矢は、何も言わなかった。

愁也も、
何も言わない。

沈黙が、
重くも、心地よくもあった。



しばらく歩いてから、
悠矢が言う。

「……さっき」

「呼んだろ」



愁也は、
少し間を置いて答えた。

「倒れそうだったから」

「一回でいい」



悠矢は、
それ以上聞かなかった。

もう、
答えは十分だった。



背中を預けるというのは、
信じることじゃない。

疑わなくていいことだ。



その夜を境に、
二人の立ち位置は、
完全に固定された。

二番は前。
三番は後ろ。

それは、
命の並びだった。



この話が、
武勇伝として語られるたび、
悠矢は思う。

勝ったからじゃない。

生きて帰れ。
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