丘の上の小さな 美容室
とんとんっと肩を叩かれ振り向くと、紫のカラコンが目に飛び込んできて、気づいたときには唇の端っこにキスをされていた。
金髪のピアス男、恵は一瞬のキスのあと、そのままあたしを抱きしめ耳元で愛を囁いた。
「深青ちゃん、大好きだよ。僕とセフレになろ」
「……は?」
あたしは恵の足を思い切り踏んづけ離れると、眉根を寄せ胡乱な目で恵を見た。
足を痛がり涙目の恵はあたしの表情を見て可笑しいと声を立てて笑う。
「深青ちゃん、すっごい顔ー」
「セクハラで訴えるわよ」
「からかっただけじゃーん。キスも口にはしてないしさ」
「ギリでしょ!」
手の甲で恵の口の感触を拭うと、恵はまたけらけらと笑った。そしてひとしきり笑うと、愛情のこもった目で真っ直ぐに見つめ、あたしの猫毛にそっと触れた。
「できれば、この先この髪は僕が切りたかったな。でも、美織も僕の大切な人だし、大切な人の大切な人を奪うなんてちょっと心が痛むよね」
「……恵は、あたしにとって大切なお客さんよ」
「あは。そっか」
「そしてあたしの旦那さんの親友で、友達のお兄さん。あたしの大切な人の大切な人だから、……大事に思ってるわよ」
「大事に思ってくれてるんだ」
「勿論よ」
あたしの言葉に恵が微笑む。あたしも微笑み返す。
穏やかな時間に思えたが、恵がいきなりあたしの腕を引っ張りぎゅっと抱きしめてきた。
「っ、恵?」
戸惑い声を上げたあたしに、恵は意地悪な表情を作りさらに抱きしめる腕に力を込める。
走り近づいてくる足音。知ってる気配。
あたしは振り向こうとしたが、恵はそれを許さない。
足音は近くで止まり、乱れた息が、あたしの耳に届く。
「っ、深青」
低くて甘い声。大好きな声に首をひねりゆっくり視線を向けた。汗を掻き、手の甲で顎を伝う汗をぐいと拭う。
「深青ちゃんは、僕のこと大切に思ってるってさ」
「は?ちょっと待って」
そんなところだけ切り取って言わないでよ。誤解を与えるような言い方に、想像通り美織は息を呑みじっと恵を睨みつける。そして抱きしめられたままのあたしを見て、憂いを帯びた表情を見せた。
どき、と心臓が嫌な跳ね方をした。
「美織?」
「……恵は、優しい男です」
「ちょっと待って美織」
「深青が、恵を選ぶなら俺は何も言えません。俺は深青を傷つけることしか言えません」
「美織、それ、本気なの」
「……」
「本気なの?ねえ、恵、邪魔」
あたしは本日二度目、恵の足を骨折させる気で踏みつけた。いってえー!と恵があたしを離して蹲る。あたしは憂いを含んだままの美織につかつか近づき胸ぐらを掴んで喫茶店の壁に美織を押し付けた。どん、と美織の背中が音を立てる。美織の足には力が入っていなくて、普段ならびくともしない美織があたしの意のままにされている。
あたしはきっ、と美織を睨めつけた。
「あたしが恵を選ぶと思ってるのね。男なら誰でもいい軽薄な女だって思ってる。正直、とてもショックよ。美織にあたしの気持ちを軽んじられて信用されてなくてこうして簡単に手放そうとするのだもの。でも、あたしは美織がいい。美織しか見てないのに……酷い裏切りよ」
するり、と美織の胸倉から手を離し、息を吸って叫んだ。
「あたしを本気で好きになるまで帰ってくんな!」
びしっ、と人さし指で美織を指し、あたしは丘の上の美容室に駆け出した。踏んづけた足を痛がっているのににやついている恵の横を通り過ぎ、喫茶店のドアから面白そうに覗き見していた撫子さんをちらと見て。この兄妹、あとで見てろ。
金髪のピアス男、恵は一瞬のキスのあと、そのままあたしを抱きしめ耳元で愛を囁いた。
「深青ちゃん、大好きだよ。僕とセフレになろ」
「……は?」
あたしは恵の足を思い切り踏んづけ離れると、眉根を寄せ胡乱な目で恵を見た。
足を痛がり涙目の恵はあたしの表情を見て可笑しいと声を立てて笑う。
「深青ちゃん、すっごい顔ー」
「セクハラで訴えるわよ」
「からかっただけじゃーん。キスも口にはしてないしさ」
「ギリでしょ!」
手の甲で恵の口の感触を拭うと、恵はまたけらけらと笑った。そしてひとしきり笑うと、愛情のこもった目で真っ直ぐに見つめ、あたしの猫毛にそっと触れた。
「できれば、この先この髪は僕が切りたかったな。でも、美織も僕の大切な人だし、大切な人の大切な人を奪うなんてちょっと心が痛むよね」
「……恵は、あたしにとって大切なお客さんよ」
「あは。そっか」
「そしてあたしの旦那さんの親友で、友達のお兄さん。あたしの大切な人の大切な人だから、……大事に思ってるわよ」
「大事に思ってくれてるんだ」
「勿論よ」
あたしの言葉に恵が微笑む。あたしも微笑み返す。
穏やかな時間に思えたが、恵がいきなりあたしの腕を引っ張りぎゅっと抱きしめてきた。
「っ、恵?」
戸惑い声を上げたあたしに、恵は意地悪な表情を作りさらに抱きしめる腕に力を込める。
走り近づいてくる足音。知ってる気配。
あたしは振り向こうとしたが、恵はそれを許さない。
足音は近くで止まり、乱れた息が、あたしの耳に届く。
「っ、深青」
低くて甘い声。大好きな声に首をひねりゆっくり視線を向けた。汗を掻き、手の甲で顎を伝う汗をぐいと拭う。
「深青ちゃんは、僕のこと大切に思ってるってさ」
「は?ちょっと待って」
そんなところだけ切り取って言わないでよ。誤解を与えるような言い方に、想像通り美織は息を呑みじっと恵を睨みつける。そして抱きしめられたままのあたしを見て、憂いを帯びた表情を見せた。
どき、と心臓が嫌な跳ね方をした。
「美織?」
「……恵は、優しい男です」
「ちょっと待って美織」
「深青が、恵を選ぶなら俺は何も言えません。俺は深青を傷つけることしか言えません」
「美織、それ、本気なの」
「……」
「本気なの?ねえ、恵、邪魔」
あたしは本日二度目、恵の足を骨折させる気で踏みつけた。いってえー!と恵があたしを離して蹲る。あたしは憂いを含んだままの美織につかつか近づき胸ぐらを掴んで喫茶店の壁に美織を押し付けた。どん、と美織の背中が音を立てる。美織の足には力が入っていなくて、普段ならびくともしない美織があたしの意のままにされている。
あたしはきっ、と美織を睨めつけた。
「あたしが恵を選ぶと思ってるのね。男なら誰でもいい軽薄な女だって思ってる。正直、とてもショックよ。美織にあたしの気持ちを軽んじられて信用されてなくてこうして簡単に手放そうとするのだもの。でも、あたしは美織がいい。美織しか見てないのに……酷い裏切りよ」
するり、と美織の胸倉から手を離し、息を吸って叫んだ。
「あたしを本気で好きになるまで帰ってくんな!」
びしっ、と人さし指で美織を指し、あたしは丘の上の美容室に駆け出した。踏んづけた足を痛がっているのににやついている恵の横を通り過ぎ、喫茶店のドアから面白そうに覗き見していた撫子さんをちらと見て。この兄妹、あとで見てろ。