丘の上の小さな 美容室
月に二回、多くて三回その客は予約を入れてやってくる。最初のうちは深青を指名していたが、そのうち千紗に手が変わり、凛が施術をしても「悪くないね」と腕を回してハーブティーを飲んで帰っていくようになった。
その日は千紗が一人で店を回していた。閑散期。有給消化も兼ねて深青と凛はお休みだ。凛は彼氏とデート、深青も昨日の仕事終わりから真っ直ぐに例のセフレなのか恋人なのかわからない男のところへ行っている。
受付カウンターに立ち予約表を眺めていると、金髪に紫のカラコンの男が店に入ってきた。千紗は営業スマイルで恵を受け入れた。
恵は店を見回して「今日、深青ちゃんは?」と聞いてきた。
「今日は休みです。何か不都合でも?」
少し棘のある言い方になってしまったが、恵は気にしなかったようだ。「別にー?」と上着を脱いで「今日は千紗ちゃんか。宜しくね」と軽い口調でそう言った。
深青と初めて会ったその日に深青を呼び捨てにした恵は、深青が美織の好きな人だと知ると呼び捨てはやめた。適度な距離を保ち、親友の好きな人だと理解して接しているように見えた。軽い男だと見せかけて、情の深い男だ。
恵が寝台にうつ伏せになると、千紗は背中にタオルをかけてタイマーをセットした。足裏から順にほぐしていく。
「今日、深青ちゃんは美織のところに行ってんの?」
千紗は思い出す。
一度だけ、美織は深青の施術を求めてここに来た。全く辛そうなところのない体に千紗は困惑したが、恵の施術を担当する深青に思うところがあって来ただけだと知ると、なんだか可愛く思えて笑ってしまったのを覚えている。深青にとっては信用されていないと不貞腐れてしまう事案ではあったが。
千紗は足裏のツボをぐっと押す。恵は「いいね、効くねー」と感嘆した。
「美織さんのところだと思いますよ」
「ふーん」
「……」
「……」
「千紗ちゃんさあ」
「なんでしょう」
「美織、タイプでしょ」
一瞬手が止まったがすぐに再開した。
千紗はこの男が苦手だった。馴れ馴れしく名前を呼ばれるのも気に食わない。
人の機微に鈍感そうでその実鋭いところも、軽い男を装い情に厚いところも。何を考えているのか予想できなくて、分かりづらいところも。千紗の中の危険信号が、点滅している。この男には近づきすぎないほうがいい。
「美織さんとは、一度しか会ってませんけど」
「そうだよね。でもさ、わかるよ。千紗ちゃんって鉄仮面じゃん。でも、美織の施術中はそれ、剥がれてた。恋多き僕にはわかっちゃうんだよなぁ」
「……」
「安心してよ。深青ちゃんは気づいてないし、言うつもりもないよ」
「何か企んでます?」
「お互い、実りのない恋してんじゃん」
「私は恋なんて」
「まあまあ。でさ。この切ない想いを持て余している者同士、どう?」
「どうって」
「千紗ちゃん、僕とセフレになろ」
足裏のツボを死ぬ気で押すと、恵は「いってえー!」と叫び拳で寝台を叩いた。
❐❐❐
千紗は困惑していた。
どうしてこうなってしまったんだ。
なぜホテルのベッドで素っ裸で恵に抱きしめられているのか。
回想する。
仕事が終わって帰る途中。冬の寒さにコートとマフラーを完全装備して歩いていた街中で。いきなり降ってきた土砂降りの雨に慌てて屋根のある店の前まで走って雨宿りをさせてもらう。冬だというのに雨なんて。けれどそれは雫からだんだん形を変えて、べちゃ雪へと変化した。傘もないしな、雪とはいえ雨のような雪の中を歩く勇気もない。千紗は雨宿り代わりにしていた店を振り返る。いい雰囲気の喫茶店だ。少し休んで行くか、とドアに近づこうとしたとき。
偶然だ。ドアが開いて、深青が出てきた。その後に、美織が出てきてはっとして顔を背けた。
え、なんで顔を背ける必要がある。
千紗は自身の行動に困惑するが、雨の中、深青と美織は千紗に気づかず走って行ってしまった。
その背中を見つめ、切なくなる。
「いいな……」
二人が向かった先は丘の上の美容室。
そこで二人は温め合うんだろうな。すれ違ってはいるけれど、愛を紡ぎ合うのだろう。
「千紗ちゃん」
ぼうっと二人が消えたべちゃ雪の先を見つめた。
いいな。
寒いし、せっかく雰囲気のいい喫茶店にいるんだ。珈琲でも飲んで温まろう。
「千紗ちゃん」
「わっ」
顔を上げると金髪が目の前にあって驚き、足がずるりと滑った。
「あぶなっ」
恵が千紗の二の腕を掴み抱き寄せる。千紗は転ばなかったことにほっとして、恵の腕から逃れた。
「ありがとう。べちゃ雪まみれになるとこだった」
「どーいたしまして。雨宿り?凄い雨、いや、雪だよねー」
恵の言葉は千紗の耳を通り過ぎる。二の腕を掴んだ恵の力強さに、なぜか鼓動が早くなる。
見た目はなよなよしてるくせに、意外と力がある。
恵はぺらぺら喋っていたが、千紗にじっと見つめられぴたりと口を閉ざした。そしてずい、と顔を近づけにや、と笑う。
「僕らも温め合う?」
「は?なぜ」
「美織と深青ちゃん、切なそうに見てたじゃん」
見られていた。こいつ、どこにいたんだ。
千紗はふん、と鼻を鳴らす。
「帰る」
「えっ、帰っちゃうの?」
「あんたもさっさと帰りなよ」
「えー。ね、慰めてよ」
「なんで私が」
「僕で誤魔化しなよ。割といいカラダしてるよー。美織ほどじゃないけどー」
「最っ低だな」
「だからさ。千紗ちゃんも僕のこと誤魔化してよ。このままだと二人の邪魔しちゃいそうだしー」
帰ろうとした足が止まる。
千紗は振り返り、じろ、と恵を睨む。
「誘い方がセコいんだよ」
「だって全然振り向いてくれないからさ」
「深青の邪魔しないでよね」
「千紗ちゃんが相手してくれるならね」
「マジで最っ低だな」
「千紗ちゃんのこともイイ女だなーって思ってるよ」
「私はあんたみたいな男は嫌いだ」
「はは。そー?でも相性良かったら好きになっちゃったりしてー」
「そんなわけないだろ」
「ものは試しってことで。ほら、行こ」
その日は千紗が一人で店を回していた。閑散期。有給消化も兼ねて深青と凛はお休みだ。凛は彼氏とデート、深青も昨日の仕事終わりから真っ直ぐに例のセフレなのか恋人なのかわからない男のところへ行っている。
受付カウンターに立ち予約表を眺めていると、金髪に紫のカラコンの男が店に入ってきた。千紗は営業スマイルで恵を受け入れた。
恵は店を見回して「今日、深青ちゃんは?」と聞いてきた。
「今日は休みです。何か不都合でも?」
少し棘のある言い方になってしまったが、恵は気にしなかったようだ。「別にー?」と上着を脱いで「今日は千紗ちゃんか。宜しくね」と軽い口調でそう言った。
深青と初めて会ったその日に深青を呼び捨てにした恵は、深青が美織の好きな人だと知ると呼び捨てはやめた。適度な距離を保ち、親友の好きな人だと理解して接しているように見えた。軽い男だと見せかけて、情の深い男だ。
恵が寝台にうつ伏せになると、千紗は背中にタオルをかけてタイマーをセットした。足裏から順にほぐしていく。
「今日、深青ちゃんは美織のところに行ってんの?」
千紗は思い出す。
一度だけ、美織は深青の施術を求めてここに来た。全く辛そうなところのない体に千紗は困惑したが、恵の施術を担当する深青に思うところがあって来ただけだと知ると、なんだか可愛く思えて笑ってしまったのを覚えている。深青にとっては信用されていないと不貞腐れてしまう事案ではあったが。
千紗は足裏のツボをぐっと押す。恵は「いいね、効くねー」と感嘆した。
「美織さんのところだと思いますよ」
「ふーん」
「……」
「……」
「千紗ちゃんさあ」
「なんでしょう」
「美織、タイプでしょ」
一瞬手が止まったがすぐに再開した。
千紗はこの男が苦手だった。馴れ馴れしく名前を呼ばれるのも気に食わない。
人の機微に鈍感そうでその実鋭いところも、軽い男を装い情に厚いところも。何を考えているのか予想できなくて、分かりづらいところも。千紗の中の危険信号が、点滅している。この男には近づきすぎないほうがいい。
「美織さんとは、一度しか会ってませんけど」
「そうだよね。でもさ、わかるよ。千紗ちゃんって鉄仮面じゃん。でも、美織の施術中はそれ、剥がれてた。恋多き僕にはわかっちゃうんだよなぁ」
「……」
「安心してよ。深青ちゃんは気づいてないし、言うつもりもないよ」
「何か企んでます?」
「お互い、実りのない恋してんじゃん」
「私は恋なんて」
「まあまあ。でさ。この切ない想いを持て余している者同士、どう?」
「どうって」
「千紗ちゃん、僕とセフレになろ」
足裏のツボを死ぬ気で押すと、恵は「いってえー!」と叫び拳で寝台を叩いた。
❐❐❐
千紗は困惑していた。
どうしてこうなってしまったんだ。
なぜホテルのベッドで素っ裸で恵に抱きしめられているのか。
回想する。
仕事が終わって帰る途中。冬の寒さにコートとマフラーを完全装備して歩いていた街中で。いきなり降ってきた土砂降りの雨に慌てて屋根のある店の前まで走って雨宿りをさせてもらう。冬だというのに雨なんて。けれどそれは雫からだんだん形を変えて、べちゃ雪へと変化した。傘もないしな、雪とはいえ雨のような雪の中を歩く勇気もない。千紗は雨宿り代わりにしていた店を振り返る。いい雰囲気の喫茶店だ。少し休んで行くか、とドアに近づこうとしたとき。
偶然だ。ドアが開いて、深青が出てきた。その後に、美織が出てきてはっとして顔を背けた。
え、なんで顔を背ける必要がある。
千紗は自身の行動に困惑するが、雨の中、深青と美織は千紗に気づかず走って行ってしまった。
その背中を見つめ、切なくなる。
「いいな……」
二人が向かった先は丘の上の美容室。
そこで二人は温め合うんだろうな。すれ違ってはいるけれど、愛を紡ぎ合うのだろう。
「千紗ちゃん」
ぼうっと二人が消えたべちゃ雪の先を見つめた。
いいな。
寒いし、せっかく雰囲気のいい喫茶店にいるんだ。珈琲でも飲んで温まろう。
「千紗ちゃん」
「わっ」
顔を上げると金髪が目の前にあって驚き、足がずるりと滑った。
「あぶなっ」
恵が千紗の二の腕を掴み抱き寄せる。千紗は転ばなかったことにほっとして、恵の腕から逃れた。
「ありがとう。べちゃ雪まみれになるとこだった」
「どーいたしまして。雨宿り?凄い雨、いや、雪だよねー」
恵の言葉は千紗の耳を通り過ぎる。二の腕を掴んだ恵の力強さに、なぜか鼓動が早くなる。
見た目はなよなよしてるくせに、意外と力がある。
恵はぺらぺら喋っていたが、千紗にじっと見つめられぴたりと口を閉ざした。そしてずい、と顔を近づけにや、と笑う。
「僕らも温め合う?」
「は?なぜ」
「美織と深青ちゃん、切なそうに見てたじゃん」
見られていた。こいつ、どこにいたんだ。
千紗はふん、と鼻を鳴らす。
「帰る」
「えっ、帰っちゃうの?」
「あんたもさっさと帰りなよ」
「えー。ね、慰めてよ」
「なんで私が」
「僕で誤魔化しなよ。割といいカラダしてるよー。美織ほどじゃないけどー」
「最っ低だな」
「だからさ。千紗ちゃんも僕のこと誤魔化してよ。このままだと二人の邪魔しちゃいそうだしー」
帰ろうとした足が止まる。
千紗は振り返り、じろ、と恵を睨む。
「誘い方がセコいんだよ」
「だって全然振り向いてくれないからさ」
「深青の邪魔しないでよね」
「千紗ちゃんが相手してくれるならね」
「マジで最っ低だな」
「千紗ちゃんのこともイイ女だなーって思ってるよ」
「私はあんたみたいな男は嫌いだ」
「はは。そー?でも相性良かったら好きになっちゃったりしてー」
「そんなわけないだろ」
「ものは試しってことで。ほら、行こ」