丘の上の小さな 美容室
 深青のことは言えない。
 自分も一夜にしてすっかりセフレにハマってしまった。深青と違ってそこに愛は全く、全然、微塵もないが。理性を吹き飛ばし欲に駆られるなんて今までなかった。恵が上手いのか、それともただの相性か。
 なんだかんだホテルを一緒に出て、近くの牛丼屋で朝定食を食べて、一度家に帰りシャワーを浴びて出勤した。
 別れ際、また慰めてね、と無理やり連絡交換させられて、イタズラだろう、職場に着くまでにスタンプが連打されていてブロックしてやろうかと本気で思った。

 ちっ、と舌打ちしながら職場のドアを開けると、千紗より先に凛が来ていて遠慮がちにおはようございまーす、と挨拶をした。
 千紗はおはよう、と凛のいつもにはない戸惑いの雰囲気を感じ取り、首を傾げて近づいた。
「なんか、あった?」
 千紗の問いかけに、凛はもじもじと指を合わせて口をもごもごさせる。
「え。なに。どうしたの」
 凛はえへ、と笑い頬を染めて両手で顔を包む。アイドルみたいなポーズを可愛いと思うのは、凛が若くて可愛いからで、これが他の女だったらシカトだ。
「見ちゃいましたぁ。ホテルから出てくると、こ、ろ」
 ぱちん、とウィンクをした凛にハートを射抜かれる。それと当時にさっと顔が青くなる。
 見ていた?見られた!
 千紗はその場にへたり込んだ。
「あれっ?大丈夫ですか?どうしたんですか?」
 力が抜けて立ち上がれたい千紗を、凛は慌てて介抱した。

「え。付き合ってないんですか」
「付き合ってない」
「え、せ、せ、ふ、れ。的な」
「うん、まあ、そう」

 居酒屋で、凛に瓶ビールを注ぎながら千紗は自分のしでかしたことにうんざりしていた。

「深青さんと同じ道」
「深青には、言わないでくれないか。頼む」
 ただのセフレなら、いい。酒の肴になるような軽い夜の友達なら。けれど相手は恵で、千紗の密かな想いを知っていて、深青に知られたら少し、いやかなり面倒だ。深青は情が深い女だし、ましてや親友が自分のセフレに気持ちを寄せていると知れば自分の気持ちを押し殺して美織と千紗の仲を取り持つだろう。
 はっきり言う。余計なお世話だ。
 深青が知らないだけで深青と美織は両想いなんだから。これ以上拗らせるような事象は避けたい。
 凛は勘がいい。一瞬で複雑な構図を立ち上げ理解して、そしてふう、と息を吐いて頷いた。
「うちの先輩方、めんどくさーい」
「面目ない。揚げだし豆腐、食べる?」
「食べます。ビールもおかわりください」
「はいはい」
 凛はビールを一気に半分飲み干し、ぷはっと息を吐いた。
「好きなタイプが同じだと厄介ですねぇ」
「こんなはずではなかった」
「というと?」
「深青の恋愛を酒の肴にして楽しむだけの予定だった」
「深青さんのことからかってばかりいるからですよぉ」
「反省してる」
「報われない恋ってきついですよねぇ。たくさん恵さんに癒やされてくださいねぇ」
「凛は癒してくれないのか」
「荷が重いですぅ」
「はあ」
 項垂れる千紗を楽しそうに眺めながら、凛は運ばれてきた揚げだし豆腐をぱくりと口の中に投入した。 
  
  
「あ、凛ちゃん。こんにちは」
「こんにちはー」
 恵の予約の日。
 千紗は他の客から指名のため、今日は凛が恵の担当になった。凛は恵を寝台に案内し、タオルをかけて施術を始めた。
 一時間のコース。残り時間僅かで、恵はおもむろに口を開いた。
「凛ちゃんさあ、もしかして知ってる?」
 隣の寝台で、カーテンは引いているが千紗が指名客を施術している最中聞くことではない。千紗はちっ、と心の中で舌打ちをし、凛は何食わぬ顔でしらを切る。
「さあ。なんのことですか?」
「たまたまだよ。千紗ちゃんがそばにいて、その時たまたま淋しくなっちゃったからさ。誘ったらOK貰えたからさ」
 何にOKしたのかは会話の中ではわからない。けれど勘のいい人なら色恋沙汰だとすぐにピンとくるのではないだろうか。色恋沙汰、ではないか。一夜の過ち。
 千紗はこほん、と咳払いした。
 
 誘い方がセコかったけどな。
 口説くと言うより脅しだあれは。

「そおなんですかぁ」
 どうでもいい、と会話を流す凛に、恵は少しだけ色っぽい声を出す。 
「もし凛ちゃんとタイミングが合ってたら、凛ちゃんとそーゆーことになってたかもねえ」
 
 なんだ、それは。
 正直イラッとした。けれど千紗はプロで、それに動揺せず施術の手に影響は出ない。
 凛は生温い目で恵を見る。
「私は千紗さんみたいに優しくないし、彼氏いるんでぇ」
「あ、そっか。ごめんね」
「こちらこそー」
「あっ、いってえ」
「凝ってますねえ」
「わざとだよね?」
「まさか。プロ舐めんな」
「すいません」
 凛のささやかな仕返しに千紗の口の端が少し上がる。先輩思いの可愛い後輩だ。
 
 千紗の指名客のほうが時間の短いコースだったので先に終わり、千紗はハーブティーを出すとごゆっくり、と微笑み受付のカウンターでボールペンをぎゅっと握る。

 別に、イラッとすることじゃない。
 千紗は思う。
 あのべちゃ雪の日、出会ったのが恵と凛であっても、恵は凛を誘っていた。でも凛はしっかりした子だし彼氏もいるのできっぱり断っただろう。それだけの話だ。
 なのに千紗はちくりとした胸の痛みに戸惑い閉口する。
 そうか、私じゃなくても、恵は誘ったのか。
 なんだか腑に落ちない。
 切ない想いを共有した、千紗と恵だからこんな関係になったのでないか。それを、恵も望んで誘ったのではないか。
 誰でもよかったのだろうか。
 ちく、ちく、ちく。
 針で何度も刺されるような痛みに眉根を寄せた。
 地味に痛い。
 
「あ、お疲れ様ですー」
 施術を終えた恵が、なぜか千紗の指名客の隣に腰を下ろす。
 なぜだ。余計なことを言うなよ。
 凛が慌てて「そんな狭いとこに座らなくてもこちらの席どうぞ」と少し離れた椅子を勧めても「いいのいいの」と胡散臭い笑顔でかわす。凛は半目で恵を見て、千紗は用意していたハーブティーを恵の椅子の隣のテーブルにそっと置く。
「ありがと千紗ちゃん」
 にこ、と笑い合い、千紗は恵の耳元で「早く飲んで帰れ」と急かす。
「千紗ちゃん、えろ」
「は?」
 指名客が、ハーブティーを飲みながらちら、と千紗と恵を見る。線の細い若者で、千紗の指名は三回目だった。指名客はすぐに視線を戻してハーブティーに口をつける。
 千紗は頭が痛くなる。えろいことなんかなんにも言ってないのにどうして誤解されるような発言をするのだこの男は!恵の頭をスリッパで殴りたい。そんな千紗の感情の揺れなど気づかずに、恵は指名客に微笑んだ。
「千紗ちゃん、今は僕のだからさ。狙ってるなら遠慮してね」
「お前のじゃない。だとしてもこちらのお客様には関係ないだろ」
 恵の言葉に思わず素が出てしまい、千紗はこほん、と咳払いをしてにこりと笑う。
「気になさらないでくださいね。ハーブティーのおかわりいかがですか?」
「あ、いえ。会計、お願いします」
 指名客はそう言うと立ち上がったので、千紗はカウンターに案内した。
 会計を終えてレシートを手渡すと、指名客は俯き恥ずかしそうに後ろ頭を掻いた。
「実は、今日デートに誘おうと意気込んでたんです。でも牽制されちゃいましたね。彼と付き合ってるんですか?」
「え。いえ。その……申し訳ありません」
「こちらこそ、すいません。気まずいかもしれませんが、また宜しくお願いします。千紗さんの施術、とても気持ちいいです」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。お辛いときはいつでも来てくださいね」
 千紗の言葉に、指名客はほっとして帰っていった。

 さて。

 
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