隣にいる理由〜選ばれるはずのなかった私が、あなたの妻になるまで〜
「このままでは、俺は全ての重圧に押し潰されてしまう。今、うちの会社は経営的に厳しい局面に立たされているのは知っていると思うけど、どちらに転んでも、俺はこの先がんじがらめで身動きが取れなくなる。そうならないためにも、楠野さん、あなたに協力をお願いしたい」

 神田食品ホールディングスの経営に関する報道は、ネットニュースで見たことがある。創業者である神田さんの祖父は、みんながお菓子を食べることで幸せになれたらと、高級菓子やリーズナブルな菓子など、手広く展開していた。彼の父親が社長に代わってから、庶民対象のリーズナブルなお菓子の販路撤退、健康食への路線変更、そして海外進出など手広く展開が始まった。
 けれど、世界情勢の変化で円安が進み、海外部門の赤字や原材料の仕入れ価格高騰などの逆風に、経営が危うくなっているとのことだった。

 ネットニュースだから、どこまで本当かわからない。
 けれど彼がここでこのことを口にするということは、それは案外確信を突く内容なのだろう。

「あなたは、俺のことを最初、公園ですれ違う人の認識だった。役職や肩書など知らない、『ただの派手なレギンスを履いた、ウォーキング中にすれ違う人』だった。違う?」

 『ただの派手なレギンスを履いた、ウォーキング中にすれ違う人』。最後のこの言葉に、私は思わず噴き出しそうになる。
 私の反応に、神田さんは緊張の表情を緩めた。

「俺は神田家に生まれた以上、後継者問題に抗うことはできない。次期社長にならなきゃならないならなってやる。でも、結婚相手だけは自分の意志で決めたい。そのためにも、家柄とかそんなものは考えず、俺自身をきちんと見てくれる人を探していた。倒れてしまう弱みなんて、できることならだれにも見せたくなかった。けれど、ジョギング中の『俺の素の姿』を知る君だから――。どうか引き受けてくれないだろうか? 期間はそうだな……、実質婚約者の女性と家族に俺の気持ちを伝えて、円満に問題が解消した半年後でどうかな? 両親も男女の事情に首を突っ込んでくるほど野暮じゃないだろう」

 彼の背負う事情を聞いて、この人がどうしていつも疲労の匂いを纏っていたのか、これで理由がはっきりした。
 次期社長としての重圧、親に決められた実質婚約者的な立ち位置の女性、そこに彼の意思は全くない。
 彼の意思がなく、家の事情でがんじがらめのままでは、彼は本当に壊れてしまう――

 そう思ったら、自然と私の口から言葉が出た。

「わかりました。そのお話、お引き受けします」

 彼の疲労の匂いは、このままだとまた限界を超えるだろう。
 私はそれを少しでも食い止めたい、ただその一心だった。
< 13 / 47 >

この作品をシェア

pagetop