恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
(あまり使いたくはなかったけど……仕方ないか)

 表情には一切出さず、あくまで自然体を装い機会を待つように視線をカップへと落としかけた――その時だった。

「……あれ?」

 不意に大輔が窓の外へ視線を向ける。

「……どうかしましたか?」

 来海が訝しげに尋ねると大輔はわずかに目を細めた。

「……見間違い、ですかね」

 そう前置きしてから、ぽつりと言葉を続けた。

「今、あそこの通りに、羽柴さんが歩いていたような気がして」
「え?」

 その一言で来海の意識が一気に外へ向いた。

 反射的に席を立って窓の外へ視線を向ける。

(充輝が……?)

 昨日九州へ向かったはずだと分かっている。

 分かっているのに、もしかしたらという可能性が頭をよぎってしまう中、来海は慌ててバッグからスマートフォンを取り出すと、そのまま大輔に背を向けるようにして電話を掛けた。

 大輔はその隙を見逃さなかった。

 視線をさりげなく周囲へ巡らせ、誰も見ていないことを確認するとポケットから小さな包みを取り出して素早く封を切り、迷いなく来海のカップへ中身を落とした。

 そして、音もなく溶けていくそれを確認すると何事もなかったかのように手を引いた。

 来海が振り返り、通話は繋がらなかったのか不安そうな表情を浮かべたまま席に着く。

「電話、繋がりました?」

 大輔は何事もなかったかのように問いかける。

「……いえ……」
「そうですか……。期待させてしまいすみません。きっと、見間違いだと思います……」
「…………」

 大輔の言葉を疑う様子の無い来海は落ち着かないままカップに手を伸ばすと無意識のように口をつけた、その瞬間、大輔の口元に不敵な笑みが浮かんでいた。
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