恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
忍び寄る影
 来海への陰口が無くなり、平穏な日常が送れるようになっていたある日のこと、残業で遅くなった来海が静まり返ったオフィスビルを出て歩き出した瞬間、背後から不意に名前を呼ばれた。

「――来海」

 反射的に振り返った彼女の視線の先に立っていたのは、少し前に偶然再会した泰斗だった。

「……どうして、ここに?」

 突然目の前に現れた泰斗を前にした来海の心臓は跳ね、恐怖から足が動かなくなる。

 そんな驚きと戸惑いを隠せない来海をよそに泰斗は口角を上げて不敵な笑みを浮かべた。

「待ってたんだよ。この前は邪魔な男が一緒だっただろ。ああいうのがいると、ゆっくり話せねぇからな」

 先日の再会で会話の途中に割って入ってきた充輝のことが気に入らなかったのか、根に持っているらしい。

 あの日泰斗は二人の後を追って勤務先を突き止め、自身の会社の取引先が近いことを利用して待ち伏せしていたのだ。

「……私は、話すことなんてない」
「冷てぇな。少しくらい時間くれてもいいだろ?」

 残業後の時間帯で周囲に人影はほとんどなく、人気のない場所で二人きりになる状況に背筋を冷たいものが這い上がる。

(何かされるかもしれない)

 そう感じた来海が踵を返して会社へ戻ろうとしたその瞬間――

「またお前かよ。こんなところまで来るとか、どうかしてるだろ?」

 低く呆れた声が割って入ってきた。

 振り向くと、ちょうど会社から出てきた充輝が深いため息を吐きながら近付いてくる。

「羽柴くん……」
「大丈夫?」
「……うん」

 青ざめた来海を気遣うと、充輝はすぐに泰斗へ鋭い視線を向けた。

「話は聞いてる。アンタ、向坂さんの元恋人だろ? 今さら何の用だよ?」
「お前に用はねぇ。俺は来海と話がしたいんだ。関係ねぇ奴は引っ込んでろ」
「本人が嫌がってるだろ。しつこいと警察呼ぶぞ」
「こんなことくらいで警察が動くかよ」

 吐き捨てるように言うと泰斗は来海を見据えた。

「いいか来海。俺はお前と話すまで何度でも来る。覚えとけ」

 充輝の登場でこれ以上は無理だと判断したのか、まるで脅しとも取れる言葉を残して泰斗はその場を離れていった。

「……どうして、今さら……」

 遠ざかる背中を見つめながら来海はかすれた声で呟く。

 怯える来海を放ってはおけないと充輝は、

「……とりあえず送るから、帰ろう」

 そう言って震える来海の肩にそっと触れた。

その温もりに張り詰めていた来海の緊張がわずかに解け、そのことに安堵の色を浮かべた充輝は彼女を気遣いながら並んで駅へと歩き出した。
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