恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 静まり返った住宅街、充輝はいつものように来海を自宅前まで送り届けていた。

 玄関先で他愛ない別れの言葉を交わそうとした、その時、暗闇から人影が一つ飛び出して来て、現れた男の顔を認識した瞬間、来海の全身の血の気が引いていく。

「……泰斗……」

 充輝と来海の前に現れたのは、職場に付き纏いや嫌がらせといったストーカー行為が職場へ露見して立場も信用も失った泰斗。

 彼は全てを奪われた原因が自分では無く二人の所為だと決めつけ、その怒りの感情だけで襲う機会を窺い待ち伏せていた。

「……全部……全部、お前らのせいだ」

 独り言のようにそう呟いた泰斗がふらりと一歩踏み出した次の瞬間だった。

 充輝が動くより早く泰斗は来海の腕を乱暴に掴むと、その身体を自分の胸元へと引き寄せた。

「向坂さん!」

 充輝が来海を助ける為に手を伸ばそうとすると、泰斗はもう片方の手をポケットに入れて何かを取り出しながら、「動くな!」と怒鳴り声を上げながら動きを制した。

 そんな泰斗の手に握られたのは小型のナイフで、

「っ……!」

 充輝が近寄れないようにそれを来海の喉元へ突きつけた。

 刺激すれば取り返しがつかない。

 そう瞬時に判断した充輝はゆっくりと両手を上げながら一歩も退かずに泰斗を見据えた。

「落ち着け。そんなことをしても何もならない」

 とにかく刺激をしないよう、充輝は言葉を選びながら来海を助け出す機会を窺っていく。

「うるせぇ! お前らのせいで俺は、これまでの信用も地位も奪われたんだ! このままで済むわけねぇだろ!」
「とにかく落ち着いて話そう」
「はあ? んなこと出来るわけねぇだろ!」
「まずはそのナイフを捨ててくれ」
「黙れ! なあ、職場に密告したのはテメェだろ? なら俺は、お前が大切にしてる来海を奪ってやる!」

 興奮状態泰斗の呼吸は荒く、ナイフを握る手は微かに震えている。

 そんな泰斗とは対照的に終始落ち着いて状況を窺い続けていた充輝はほんの僅かに生まれた隙を見逃さなかった。
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