恋に臆病な私と恋を知らなかった御曹司の距離が、ゼロになるまで
 沈黙は思っていたよりもずっと長く続いていて、その静けさの中で充輝は自分の口にした言葉の重さに気付いた。

「……ごめん。さっきのは忘れて。急にあんな話、困るよな」

 自嘲気味に笑いながら来海と距離を取ろうと一歩引きかけたその時だった。

「待って……!」

 伸びてきた手が充輝の袖をきゅっと掴む。

 振り返った視線の先には、迷いを残しながらも真っ直ぐに見上げてくる来海の瞳があった。

「ごめんね、すぐ答えられなくて……一緒に居たくないとか、何もかもを捨てられないって訳じゃないの」

 小さく息を吸うと、言葉を選ぶように続けていく。

「私はね、充輝とずっと一緒にいられるなら、全部捨ててもいいって思ってるよ」
「……来海」
「すぐに答えられなかったのは……私だけの気持ちで決めちゃいけないことだって……思ったから」

 その言葉に、充輝は胸の奥が強く揺さぶられる。

 来海は分かっているのだ。

 感情に任せて全てを放り出しても何の解決にはならないということを。

 それを聞いた充輝はゆっくりと息を吐き、自分の袖を掴む来海の手にそっと重ねた。

「……ありがとう。俺、もう一度、親父と話してみるよ」
「うん」
「感情に流されないよう落ち着いて、しっかり自分の意志を話す。それでも分かってもらえなかったら……その時は、これからのことをちゃんと考える」

 充輝の言葉に来海は小さく頷くと、重苦しかった空気は和らいでいった。

 けれど、この問題はそう簡単に片付くものでは無かった。

 翌日の夜、充輝は仕事を終えると、その足で再び実家へ向かった。

 書斎で仕事をしていた父親は充輝の顔を見るなり小さく眉を寄せた。

「……またその話か」
「もう一度、ちゃんと話がしたくて来たんだ」

 真っ直ぐに言葉を返すも、父親は話し合うつもりも無いらしい。

「何度話したところで結論は変わらん。お前は海外へ行き、相手の娘と結婚する。それだけだ」
「俺の意思は関係ないのかよ?」
「会社を背負う人間に“個人の意思”など必要無い。いいか、恋愛なんてくだらないことに左右される暇はお前には無い。いい加減考えを変えろ」
「…………っ」

 何度言葉を重ねても父親の態度は少しも揺るがなかったものの、それでも充輝は諦めず、毎日父親の元を訪ねては自分の気持ちを懸命に伝えていた。
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