境界線の独白
第7章:二つの引っ越し、重なる鼓動

旦那との空間に耐えられなくなった彼女は、ついに別居を決意した。 新しい生活の拠点を探す内見に行った。その隣に立っていたのは、夫ではなく僕だった。 一歳の息子を連れ、不動産屋を巡る。彼女が自立のために始めた保険セールスの仕事、保育園の手配。生活を立て直そうと、もがく彼女の横顔を僕は複雑な思いで見つめていた。

あのとき、「自分には関係のない命だ」と言い聞かせ、抱くことすら拒んだ彼女の息子。 けれど、月日は残酷なほどに愛着を育てていた。「抱っこして」とせがまれ、腕の中に収まったその子の体温。いつの間にか、その子は僕に笑顔を向けるようになり、僕の腕の中で無警戒な寝息を立てるようになっていた。 旦那よりも僕に懐いているという皮肉。けれど、その小さな体温が身体に伝わるたび、僕はそこに理屈を超えた愛おしさを感じていた。

一方で、僕の本来の家庭も大きな転換期を迎えていた。 彼女への仕送りやホテル代。数年に及ぶその支出で、僕の財産は底をつき、家賃さえ奥さんに払ってもらっている有様だった。「家賃を払うくらいなら」と、奥さんは新築戸建ての購入を決めた。ずっと一途な奥さん。彼女に振り回され、ひどい扱いを受けるほど、僕は奥さんの優しさを再発見していった。 僕は、奥さんに対してかつてないほど優しくなった。彼女との毒に満ちた時間が、皮肉にも僕を「良き夫」へと変えていたのだ。

奥さんが建てた新築への引っ越し。彼女の別居に伴うアパートへの引っ越し。 二つの新しい生活が、同時に始まった。奥さんとの子供を望む自分と、それを躊躇(ためら)う自分。 目の前で育児に翻弄されている彼女を知っている。もし僕に自分の子供が生まれたら、今のように彼女の元へ駆けつけ、彼女をサポートする時間なんて物理的に一分も残らないだろう。 自分の子供を作ることは、彼女を見捨てることと同じだ。それは僕にとって、死ぬことよりも恐ろしい「彼女への裏切り」のように思えてならなかった。

僕は今、血の繋がりも、戸籍の繋がりも超えた、名もなき愛の渦中にいた。
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