【完結】旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


 職人たちを帰した後の静寂の中。
 ソフィアは一人、鏡の前で自ら開発した最新の試作ドレスを身に纏っていた。

 深い紫色のシルク・サテン。その背中には、彼女の執念の結晶である一条のファスナーが伸びている。

 そこへ、重厚な扉が開く音がした。

 カツン、カツンと、板張りの床に規則正しい軍靴の音が響く。漆黒の軍服に身を包んだ男――レイモンド・ウィンダムだ。

「……ソフィア。いつまで仕事をするつもりだ。王都の各店舗の売り上げをチェックするのは、明日の朝でも遅くないだろう」

 不機嫌そうな声。だが、ドレス姿のソフィアを見た瞬間、レイモンドの言葉が止まった。

「あら、旦那様。お迎え、ありがとうございます。……このドレス、いかがかしら?」

 ソフィアは背中を向け、鏡越しに夫を見つめた。
 レイモンドは、彼女の背中にある細い金属の列を、まじまじと見つめる。

「……あの、軍港で君に見せた鉄の塊(ファスナー)か。まさか、本当にドレスの一部にしてしまったのか」
「ええ。あなたが呆れていたあの軍需品よ。イシュに頼んで、指を傷つけないほど滑らかに改良させたの。……これがあれば、誰でも簡単に、ドレスを脱ぎ着できるわ。素敵でしょう?」

 刹那、何を思ったか、レイモンドの瞳に、熱い独占欲と焦燥が宿った。
 彼はソフィアの腰を引き寄せ、逃げ場を奪うように耳元で低く囁く。

「昼間、君のことを一度も考えなかった瞬間はないというのに、君はドレスと商会の帳簿に夢中か。……酷い妻だな。君は理解しているのか? その身体は、もう、君一人のものじゃない。本当は屋敷に閉じ込めておきたいくらいだと言うのに」

 彼はソフィアの首筋に顔を埋めた。軍服から漂うシダーウッドの香り。
 ソフィアは、その重みを、溶けるような安心感として受け止めている。

「……ごめんなさい。わかっているわ、レイモンド。でも、今日はどうしてもこの『解放の鍵』を、あなたに一番に見せたかったの」
「言い訳は屋敷に着いてから聞く。……君はもう、屋敷に着くまで一歩も歩くな。働きすぎだ。お腹の子に何かあったらどうする」

 レイモンドはソフィアを軽々と抱き上げた。

「ちょっと!  レイモンド、自分で歩けるわ! もし従業員が残っていたらどうするの!」
「全員帰った。問題ない」
「……っ」

 ソフィアが抗議の声を飲み込むのと、レイモンドが彼女を高く抱き上げるのは同時だった。

 漆黒の軍服に包まれた腕の筋力は、数年前よりさらに逞しく、頼もしくなっている。

 その腕に守られるようにして店を出ると、夜の静寂が降りる通りには、ウィンダム侯爵家の紋章が入った馬車が待機していた。

 レイモンドはソフィアを降ろすことなく、そのまま車内へと運び入れる。
 ふかふかの座席に彼女を横たわらせるかと思いきや、彼はソフィアの頭を自らの逞しい腿の上に導いた。

「レイモンド、膝枕までしなくても……」
「大人しくしていろ。激務をこなしている君には、これくらいの休息が必要だ」

 そう言って、レイモンドはソフィアの下腹部に、そっと、大きな掌を添える。

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