氷の法医学者と、秘密の共犯になりました
そのとき、資料室の扉が開いた。

「お、やってるね。っていうか、近くない?」

真鍋刑事が顔を出す。

「近くない」

「近くないです」

俺と今井の声が重なった。

一瞬、資料室が静かになる。

「息ぴったりじゃないですか」

真鍋刑事が笑った。

「いいなあ、二人。漫才みたいになってきた」

「なってない」

「なっていません」

また重なった。

俺はごまかすように資料に視線を戻した。

「真鍋刑事。余計な発言で時間を消費するな」

「はいはい。すみませんね、心配性の先生」

「心配ではない」

「否定早いなあ」

真鍋刑事は椅子を引いて座った。

今井は少し頬を赤らめつつ、資料を整えている。彼女が指先で紙を揃えるたび、爪が白くなる。

力が入りすぎている。

緊張か、焦りか。

「今井」

呼ぶと、彼女が顔を上げた。

今井刑事、と言うつもりだった。

だが、もう口から出ていた。

真鍋刑事の眉がわずかに上がる。

俺は気づかないふりをした。

「紙を握り潰すな。文字が読みにくくなる」

「あ……すみません」

今井は慌てて手を緩めた。

真鍋刑事が小声で言う。

「よく見てるなあ」

「捜査資料の状態を見ているだけです」

「はいはい」

その返事が気に入らない。

だが、反論に時間を割く価値は低い。

俺は夏目莉子の証言メモを見た。

「現時点で神崎の関与は濃くなった。だが、犯人と決めるには不足している」

「神崎さんは、薬剤配送の調整とシステム管理に関われます」

今井が言う。

「そして、莉子さんが相談した相手でもある。もし莉子さんが薬剤管理画面の写真を撮っていたなら、神崎さんはそれを知っていたかもしれない」

「知っていた可能性はある」

俺は訂正した。

「神崎が莉子を黙らせようとした発言は、伝聞だ。スマホ内の写真が出れば、記録改ざんの物証に近づく」

真鍋刑事が腕を組む。

「橘看護主任は?」

「怯えている」

俺は言った。

今井がこちらを見る。

「先生もそう見えましたか」

「見えた。ただし、怯えは罪悪感から来る場合も、脅迫から来る場合も、単なる巻き込まれた不安から来る場合もある」

俺は机の端に置かれた缶コーヒーに気づいた。未開封で、冷えている。今井のものだろうか。

「飲んでいないのか」

「え?」

「コーヒー」

「ああ、忘れてました」

「水分を取れ。思考精度が落ちる」

「先生、本当に言い方が医療機器みたいですね」

「飲め」

「はい」

今井は缶のプルタブを開けた。

真鍋刑事が肘をつく。

「沢渡先生、今井の体調管理までしてくれるんですか」

「捜査関係者が倒れれば、情報共有に支障が出る」

「便利ですねえ、情報共有」

「便利ではない。必要だ」

「はいはい」

真鍋刑事は笑っていた。

今井は缶コーヒーに口をつけながら、どこか困ったように目を伏せている。

その表情が、ほんの少し柔らかい。

むっとしているのに、嫌がっていない。

俺はそれを見て、またすぐ資料に視線を戻した。

見すぎだ。

必要以上の観察は判断を曇らせる。

今井は危険人物だ。
計算外だ。
見ていないと危ない刑事だ。

それ以上でも以下でもない。

俺は資料を指で押さえた。

「明日、夏目莉子のスマホを確認できる可能性があるんだな」

「はい」

今井が缶コーヒーを置く。

「由香さんが、莉子さんの手帳やメモを探してくれています。パスコードの手がかりがあれば、任意提出の手続きとあわせて確認できるかもしれません」

「単独で動くな」

「わかっています」

「本当にわかっている人間は、そういう顔をしない」

言った瞬間、真鍋刑事が吹いた。

今井は目を丸くした。

「どういう顔ですか」

「明日、朝一番で一人で行けば早い、と考えている顔だ」

「……考えてません」

「視線が右に動いた。嘘の可能性が高い」

「先生、人を取り調べるの上手すぎませんか」

「君がわかりやすすぎる」

今井は唇を尖らせた。

「ちゃんと真鍋先輩と行きます」

「俺にも連絡しろ」

「また情報共有ですか」

「そうだ」

俺は即答した。

真鍋刑事がにやにやしている。

その表情は不愉快だが、訂正し続けると余計に面倒になる。俺は無視した。
< 52 / 103 >

この作品をシェア

pagetop