氷の法医学者と、秘密の共犯になりました
沢渡先生は、椅子に座らず立ったままだった。
疲れているはずなのに、座ろうとしない。

「先生」

「なんだ」

「座ってください」

「不要だ」

「患者の前で倒れられると困ります」

「君は患者という自覚があるのか」

「今だけあります」

「継続しろ」

「座ってくれたら考えます」

先生は、明らかに不本意そうな顔をした。
けれど、結局ベッド脇の椅子に腰を下ろした。

少しだけ、距離が近くなる。

私はその距離に、胸が落ち着かなくなるのを感じた。

今までも近くにいた。
傘の下。
資料室。
倉庫。
救急車。

でも、今は違う。

自分の気持ちに名前をつけてしまったから、同じ距離が同じではなくなっている。

先生の手が、膝の上で握られている。
まだ微かに震えている。

私は、そっと声をかけた。

「先生」

「今度は何だ」

「手、まだ震えています」

先生は自分の手を見た。
そして、隠すように握り込む。

「生理的反応だ」

「そういうふうに片づけないでください」

「事実だ」

「怖かったって、言ってくれたじゃないですか」

先生の表情が、わずかに揺れる。

私は続けた。

「怖いままでいいです」

先生の目が、私を見た。

「……」

「怖いままでも、先生が隣にいてくれたことが、私は嬉しかったです」

言葉にしてしまうと、もう後戻りできない気がした。
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