氷の法医学者と、秘密の共犯になりました
監察医務院の廊下は、相変わらず白かった。
消毒薬の匂い。足音が吸い込まれるような静けさ。事件の最中、何度も通った場所なのに、今日は少しだけ遠く感じた。

資料室の扉の前で、私は一度だけ深呼吸をした。

ノックをすると、中から低い声が返る。

「入れ」

扉を開けると、沢渡先生はいつも通り机に向かっていた。

白衣。整った襟元。必要なものだけが置かれた机。ペンを持つ指先に無駄な動きはない。

表情は変わらない。

けれど、私が入った瞬間、先生の手がほんの少しだけ止まった。

一秒にも満たない変化。

以前の私なら、きっと気づかなかった。

今は、わかる。

先生は動揺を表に出さない代わりに、手が止まる。
視線がほんの少し遅れる。
呼吸が、僅かに浅くなる。

「今井」

「お疲れさまです、沢渡先生」

私は封筒を差し出した。

「事件資料の返却と、藤堂さんの回復報告です。先生にも共有しておきたくて」

先生は封筒を受け取り、中身を確認した。

「藤堂誠司の意識は安定しているのか」

「はい。短い会話ならできるそうです。奥さんも、先生にお礼を伝えてほしいと」

「俺に礼を言う必要はない」

「先生ならそう言うと思いました」

「わかっているなら省略しろ」

「それでも伝えるのが礼儀です」

先生は少しだけ眉を寄せた。

いつものやり取り。

先生は資料を閉じ、静かに言った。

「事件は終わった」

その言葉が、白い資料室に落ちる。

私は息を吸った。

「はい」

先生の視線が、私に向く。

沈黙が落ちた。

沢渡先生は、いつものように何かを合理的に整理しようとしている顔をした。けれど、言葉はすぐに出てこない。ペンを置き、資料の端を揃え、視線を一度だけ窓へ逃がす。

「……ここでは話しにくい」

「はい」

「屋上へ行く」

「はい」
< 97 / 103 >

この作品をシェア

pagetop