仄暗いほど重たい愛 ~偽装妻ですが、冷血御曹司は手放す気がないようです~
「その……すみません。少し、知人と会っていて……」
「知人? いったい誰に」
一歩、距離を詰める。
その刹那、かすかな煙草のにおいが鼻をかすめた。
────ああ、このにおいはよく知っている。
記憶の底にこびり付いている不快なにおい。
「……五十嵐か?」
その言葉に、彼女は小さく肩を震わせた。
「…………はい」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
────五十嵐宏樹。
思い出すと吐き気がするが、理優が傷つかないようにと、穏便に、何の処分もせず俺が野放しにしてやったの男だ。
「……なぜ、あんな男と会う必要が?」
「会ったといっても、約束をしていたわけじゃないんです。ただ、退勤したあと本を買おうと外出したら、たまたま彼に会って、少し話すだけのつもりが、気づいたらかなり時間が経っていて……」
「酷いことをされたのに、わざわざ話を?」
「五十嵐くんにはたしかに酷いことをされましたが、彼はもともと優しくて……人を傷つけるような人じゃなくて……」
彼女の唇から五十嵐の名前が出てくるたびに、むかむかと腹の底から黒い感情が湧き上がってくる。
それでも、彼女が懸命に俺に言葉を伝えようとしているのがわかって、なんとか平静を保った。
「だから……なにか彼が変わってしまうような辛いきっかけがあったんじゃないかと、ずっと思ってたんです。思い切って尋ねたら、やはり、彼のご両親の会社の経営が一年ほど前からうまくいっていなかったようで……。彼は、自分が会社を継がずに上京したせいだとひどく自分を責めていました。だから……」
「だから慰めた、とでも言うのか」