仄暗いほど重たい愛 ~偽装妻ですが、冷血御曹司は手放す気がないようです~
「緊張せずともよいですよ、成田さん」
フロストガラスを隔てた隣のコンシェルジュデスクから、ふと声がかかった。
声の主──柳さんは、クラルテのコンシェルジュの中では一番年上の、とても頼りになる男性だ。
クラルテに来る前は、日本を代表する某高級ホテルのチーフだったと聞いた。
「緊張せずともよい……と言いますと?」
「夜見様は基本、地下からそのままご自宅へ上がられますので、エントランスへは滅多にお立ち寄りになりません」
「……そうなのですね」
相槌を打った瞬間、張り詰めていたものがふっとほどける。
もし、クラルテで夜見社長と対面したら──。
どう挨拶すべきか。うまく立ち振る舞うことができるのか。
この一週間、必要以上に考え込んでしまっていた。
しかし会う機会など滅多にないとわかれば、クラルテの一員として業務を覚え、全うすることに集中できる。
きっとそこまで見越しての今のセリフだったのだ。
柳さんは、本当にすごいな……。
「ありがとうございます、柳さん」
そうだ。まずは目の前の業務をしっかりこなすところから頑張ろう。
夜見社長がいつコンシェルジュデスクにいらっしゃっても恥ずかしくないように。
─────と、たしかに決意はしたけれど。
“いついらっしゃっても”というのは、さすがに、今日のことではない。……つもりだった。