世間ではぐうたら令嬢ですが、実は拳姫と戦場で呼ばれております。

第01話 社交界の噂「ぐうたら令嬢」

 王都の夜会場は、きらびやかな光と甘やかな香水の香りに包まれ、優雅な音楽が静かに流れている。
 色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが、あちらこちらで楽しげに言葉を交わしているのが分かる。

 ――そんな華やかな輪から、少しだけ離れた場所。

 壁際に置かれた長椅子に、一人の少女が腰を下ろしていた。
 どこか眠たげな面差しのその少女は、侯爵令嬢レイリア・エルヴァーンである。
 淡い色合いのドレスは上質な仕立てながら、装飾は控えめで落ち着いている。
 その佇まいにもどこか気だるげな空気が漂い、今にもまどろんでしまいそうだった。
 片手にはティーカップを持っているものの、中身はほとんど減っていない。

「……ふぁ」

 小さく欠伸をこらえながら、レイリアはぼんやりと天井を見上げた。
 その様子を遠巻きに眺めながら、数人の令嬢たちがそっと声をひそめる。

「ご覧になって。あちらの方よ」
「今日も壁際で、ずいぶん眠たそうにしていらしたわ」
「第二王子のご婚約者としては、少し気になるわね」
「……エルヴァーン家のお嬢さまですものね」

 くすくすと控えめな笑い声が重なる。
 けれど当の本人は気づいていないのか、それとも気づいていても意に介していないのか。
 レイリアはただ、ゆるやかに瞬きを返しただけだった。

(社交って……どうしてこんなに疲れるんだろう)

 胸の内でそっとつぶやき、ティーカップに口をつける。
 ほどよい温かさのはずなのに、不思議と味はあまり感じられなかった。

(……そもそも、好きで第二王子の婚約者になったわけでもないのに)

 そんなことを思いながら視線を向けた先には、第二王子ディオン・アークフェンがいた。
 多くの貴族たちに囲まれ、にこやかに言葉を交わすその姿に誰もが自然と目を向けている。
 その様子を静かに見つめながら、レイリアはもう一度小さく欠伸をした。

(……あの方も、今日も大変そう)

 そう思って、そっと視線を外す。
 胸が痛むことも、心が波立つこともない。
 第二王子が自分の婚約者である――その事実は理解している。
 けれど、そこに特別な感情が伴うことはなかった。

 ――最初から、期待していなかったのだ。

 自分はきっと、こういう場所には向いていない。
 笑顔を浮かべ、言葉を選び、立ち居振る舞いに気を配る。
 それが【令嬢】として求められる姿なのだとしたら、レイリアは最初からその枠にうまくはまれなかった。

「早く……帰りたいなぁ」

 ぽつりとこぼれた独り言は、誰の耳にも届かなかった。
 そのあいだにも、会場のあちこちでは、ささやかな噂が波紋のように広がっていく。

 ――のんびりした令嬢。
 ――少し頼りなく見える婚約者。
 ――この先、どうなるのかしらと思われている娘。

 けれど、その見方が正しいのかどうかを、この場にいる誰も知らない。
 この令嬢が、夜会の灯りの届かない戦場で、拳ひとつで魔物を打ち砕く存在であることを。
 やがて音楽が切り替わり、会場の空気がわずかに変わった。
 その変化にも気づかぬまま、レイリアは静かに目を閉じる。

 ――まさかこの夜が、彼女の運命を大きく動かす夜になるとも知らずに。
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