雨の日が苦手だった、私たちは

 その場で全て指摘をしても良かったが、その資料の提出期限はもう少し猶予があったはずだ。
 せっかくだから、手元にある本を渡すことにした。

 それは資料作成のポイントを体系的にまとめた本で、高瀬も入社した頃によく読んで参考にしていた。


「え、良いんですか? でも、これは高瀬さんの私物ですよね?」
「あぁ、今はもう全部頭に入ってるし。朝比奈にも今さらな内容が多いかもしれないけど」
「っ! すごく嬉しいです、本当にありがとうございます! お借りしますね!」


 嬉しそうに笑顔を見せる朝比奈。
 まるで花が咲くように笑う姿が、妙に無防備だ。

 高瀬の心の奥底で、何かがぐらと揺れたような気がした。今まで『自分が大事にしていた価値観』が揺らぐような、そんな予感めいたもの。


(そういえば、事務担当に本を貸したりするの、初めてだな)


 朝比奈が異動してきてから、色んな『初めて』と出くわす。
 これから一体どんな『初めて』が待っているのか、この時の高瀬はまだ知らない――。


***


 雨の日は苦手だ。

 道路が混むし、なかなかタクシーも捕まらない。
 雨がさらにひどくなれば、電車のダイヤも乱れるし……。とにかく、予想通りにいかないことが増える。


「……何て言ったら良いんですかね、雨の日って何だか落ち着かないんです」


 朝比奈と外回りに行った帰り、雨が好きか嫌いかと問えば、全く違う答えが返ってきた。
 『AかBかと聞いたのに、Cが返ってきた』という感じだ。

 よくよく話を聞けば、「考えることが増える」というのが、落ち着かない原因らしい。


 確かに、それは高瀬も同じだった。
 雨の日は考えることが増える。

 でも、朝比奈は周りに矢印が向いていて、高瀬は自分にしか向いていない。前にも同じようなことを感じたな、と思い出していた。


 オフィスに戻ると、早速、次の面会相手から連絡が来ていた。どうやら、雨の影響で10分ほど遅れるらしい。
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