雨の日が苦手だった、私たちは


「朝比奈、よろしく」
「高瀬さん、よろしくお願いします」
「そんなに仰々しくしなくて良い。仕事内容を一通り教えたいから、こっち来てくれる?」


 高瀬の後を歩いていると、他の社員の囁くような声が聞こえてきた。


「高瀬さんの営業事務って、もう何人目だ?」
「朝比奈さん、どれくらい持つかな」
「いやー高瀬ってああ見えて、結構鬼だからな」
「鬼の高瀬、って異名もあるもんね」
「29歳で最年少課長になるって噂されてるけど、事務の人が毎回すぐ辞めちゃうんじゃねぇ……」


 萌衣の耳に入るくらいだ。目の前の高瀬に聞こえていないはずがない。
 それでも、彼の背中は微塵も揺れなかった。まるで何も聞こえていないかのように、どこ吹く風だ。

 囁き声を耳にして、以前女子社員たちが高瀬について噂していたことを思い出した。
 確か、あれはリフレッシュルームにコーヒーを買いに行った時のことだ。


『高瀬さんって、本当に格好良くて爽やかだよね〜! なのに中身は結構ドライっていうか、全く隙が無いのが残念〜』
『そうそう! あの人、全然相手にしてくれないよ。隙が無さすぎて撃沈するって』


 この時の萌衣は、高瀬の顔を知っている程度だった。総務部と営業部では、仕事で関わることはほとんどないからだ。

 何かの手続きで、高瀬が総務部に来たことはある。あとは、以前たまたま参加した社内飲み会に、高瀬が無理やり連れてこられて、挨拶を交わしたくらいだ。
 それ以外、彼のことは何も知らない。


 女子社員の弾んだ声だけが、妙に耳に残っている。高瀬は女子からの人気も高いらしい。
 でも、あの笑顔の下には、まだ知らない一面があるのかもしれない。

 先ほど聞こえた部内の囁き声も、あの時の女子社員と重なるものがある。デスクに座った高瀬が、先ほどと変わらない声音で話しかけてきた。


「それじゃ、早速、業務の引き継ぎするか」


 高瀬の変わらない様子に、萌衣はほっと胸を撫で下ろす。小さく息を吐き、高瀬の隣に腰を下ろした。


(鬼っていう噂は、本当なのかな……?)

< 4 / 12 >

この作品をシェア

pagetop