あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり
あらぬ誤解
「夏帆先生ー。今日の帰りの歌は『ふニャン大行進』にしてー」
誠くんが夏帆の足に抱きつきリクエストしてきた。これから帰りの会が始まる。夏帆はニコリと笑って答える。
「ようし。じゃあ、今日は誠くんリクエスト曲にしちゃおう」
「わーい。夏帆先生ありがとう、大好き!」
誠くんは嬉しくなってその場でぴょんぴょん跳ねた。
※
「先生さようならーー」
帰りの会が終わり園児たちを見送った。残りの仕事をしようと夏帆が教室に向かったときだった。
「夏帆先生ー」
声をかけてきたのは真希だ。
「どうしたの?」
「誠くんママが、夏帆先生とこれから個人面談をしたいって言ってきてる」
「誠くんママが? うん、いいけど」
真希が深刻そうな顔を作る。
「……亮介のことかな」
「まさか、個人的なことだもの。さすがにそれはないわよ。じゃあ、教室でまってるわ」
夏帆はそう言って自分の教室へ戻った。するとすぐに誠くんママが現れた。夏帆が入口のガラス戸を開けて挨拶をする。そこに誠くんはいなかった。
「こんにちは。あれ、ママさんだけですか?」
「うん、そうなんだ。誠は今日は預かり保育頼んでる」
その表情は硬かった。夏帆はそれがわかると一気に胸が重くなった。
(もしかして……亮介のこと?)
「…では、中へどうぞ」
テーブルを挟んで二人は椅子に腰を掛けた。
なんともぎこちない雰囲気に夏帆の緊張が高まった。
「えっと、今日は相談したことがあると聞きました。誠くんのことですか?」
誠くんママは無言で頭を左右に振った。そして、くっきりした眼で夏帆をみてきた。
「夏帆先生、亮介と付き合ってたんだね」
「え…」
まさかストレートに切り出されるとは。夏帆の動きがとまってしまう。
「夏帆先生が付き合ってたときに亮介が浮気をした。その相手が私なんでしょう?」
誠くんママの口調は夏帆を刺すような敵意を感じた。
(やっぱり、亮介は話をしたんだ)
二人の幸せのためにあえて伝えることはしなかった。しかしそれが裏目にでる形になりそうだ。夏帆は観念するように小さく息を吐いた。
「前原さんから教えてもらったんですね?」
「そうだよ。どうして黙っていたの? あの男は浮気してるって教えてくれたらいいのに、まるで私に亮介を押しつけるように別れたらしいじゃん」
普段のママの口調ではなかった。それもそうだろう。夏帆のいないところで亮介が自分の都合のいいように話を作っている。それを鵜呑みにしているのだから、怒り心頭もわからなくはなかった。夏帆も正直に自分の気持ちを話そうと決めた。
「前原さんの浮気が原因で別れたのは本当です。でも、そのころ前原さんは誠くんママに夢中でした。そしてスマホの二人のお写真を見せてくれたとき、誠くんママの顔が幸せそうでした。だったら波風を立てたくないと思って私は静かに身を引きました」
「なにそれ。結局、もう男がいたからでしょう? 修羅場を避けたかっただけじゃん」
誠くんママの口調は相変わらず夏帆を責める。でも、夏帆だって亮介の嘘をそのまま信じて責められるのは筋違いだと言いたい。
「それは違います。前原さんがおっしゃっている男性とは、お付き合いはしていませんっ」
夏帆の真っすぐな瞳と堂々とした言い方に、さすがの誠くんママも疑問がでてきた。
「本当に?」
「私は嘘をつきません」
「じゃあ、本当に私のために亮介と別れたってこと?」
誠くんママも少し混乱しているようだった。夏帆も慎重に言葉を選んで返した。
「……二人のためにとは少し違います。前原さんへの気持ちがもう自分にないとわかって、愛情が一気に冷めたんです。それだけです」
誠くんママは腕組をしてしばらく考えていた。そしてため息をついた。
「…そっか。亮介の奴、自分の都合のいいように私に話してたんだね。本当に最低だね、あの男っ」
夏帆からも話を聞き、亮介のボロはすぐにばれてしまった。誠くんママの怒りの矛先が明らかに亮介へと変わった。
「前原さんと喧嘩になっているんですか?」
「まあね。で、夏帆先生は今はどう思ってるの?」
誠くんママは夏帆を試すように聞いてきた。
「誠くんママたちに幸せになってほしい気持ちは今も同じです」
「ふーん。で、亮介とこれからも末永く仲良くって思ってる?」
夏帆は「あんな男はやめた方がいい」と思っている。しかし今カノである誠くんママにしたら余計なお世話かもしれない。
(だけど……)
夏帆は握る手に力を込めた。
(ここで知らん顔をしたら誠くんたちのためにならない。だからきちんと伝えたい、たとえ怒られても!)
緊張で強張る口を夏帆は思い切って開いた。
「誠くんママに前原亮介は不釣り合いですっ。もっと素敵な男性との出会いが絶対にあると思います!」
前のめりで懸命に訴える夏帆に、誠くんママが目をぱちくりさせる。
「―――私と亮介は合わないってこと?」
(お、怒ってる? でも、これが私の正直な気持ちだから)
「誠くんママにはたくさんの魅力がありますっ。前原さんはそれを輝かせてくれる相手ではないです。絶対にっ」
(はっ、言い切っちゃったっ。さすがにまずいかな?)
夏帆が不安げに顔を上げちらっとママをみた。しかし夏帆の予想に反して、誠くんママは豪快に笑い出した。
「ははっ。ありがとう、夏帆先生。安心してよ、もう別れたから」
「え、別れたんですか?」
身構えた夏帆は拍子抜けしてしまう。
「だってあいつ、シングルマザーへのリスペクトも何も持ってないんだもん。夏帆先生の言う通り、何が魅力だったのかわからなくなってさ。別れてあげた」
今度は妙にさっぱりした顔をしだした。夏帆もほっと胸をなでおろした。
「私がいうのもおかしいですが、傷が浅いうちに離れることかできてよかったと思います」
「だね。幼稚園まで押しかけて夏帆先生に問い詰めて本当にごめん。亮介から話を聞かされて、誠が大好きな夏帆先生に限ってまさか!って感情がおかしくなっちゃってさ。本当にごめんなさい」
誠くんママは丁寧に頭を下げてくれた。夏帆は慌てて手を振った。
「顔を上げてください。私は誠くんママにわかってもらえただけで十分です」
そして誠くんママは下げた頭をゆっくりと上げてくれた。
「でも亮介のやつ、いいとこどりで逃げて夏帆先生は腹が立たない?」
「まあ、そうですけど……」
確かにそうだが、かといって夏帆には何も出来ない。縁が切れただけでも良しとしているくらいなのだから。
「夏帆先生、別れる時も我慢したでしょう?自分が損するだけなんだからそういうの駄目だよ。一発ぶん殴らないと」
「同じセリフを友人からも言われました」
真希のセリフそのままで思わすふっと笑ってしまった。
「亮介とは別れたけどさ、どうもすっきりしないわけ。だからさ、お仕置きをしておいた」
「え、お仕置き?」
「そう。私、商工会議所のメンバーに入っているの。その長は誰だか知ってます?」
むふふと誠君ママの顔が怪しく笑った。夏帆がさあと首をかしげる。
「亮介の父親、なんだよね」
「父親? もしかして」
「そう、ちょうど昨日、会合があってね、不誠実な亮介の文句を洗いざらい愚痴ってきたわ。だからもうすっかり情も消えてる」
そう誠くんママは清々しく笑ったくれたのだ。もちろん、このあと前原亮介は父親からお灸をすえられることになるのだった。
※
「どうだった?」
そう小声で夏帆に確かめるのは真希であった。
「大丈夫。誤解はきちんと解けたよ」
夏帆はそう微笑み返した。話し合いを終えて先ほど誠くんとママを見送ってきた。夏帆もきちんと自分の気持ちを伝えることができて今は気分がすっきりしていた。
「よかったー。てっきり修羅場になるかと思ってた。そうしたらどのタイミングで助けに入ろうかって気を揉んだぞー」
真希は冗談めいて話すが本気でそう気にかけてくれていたことは夏帆もわかっている。長年の友人だからこそ深刻にならぬよう気を配ってくれてくれていることも。
「ありがとう。真希」
「出番はなかったけどね」
二人は並んで教務室に向かった。
「ねえ、明後日は夏帆の誕生日じゃん?」
「うん」
お互いに彼氏が不在なときは一緒に食事にいってお祝いをしてきた。真希には婚約者がいるため予定が空いていることが多いのは夏帆のほうだったが。
「今年はどうするの?」
真希がニヤッとして夏帆を見た。
夏帆は「うーん」とうつむくが、その顔はふにゃりと柔らかい。それを見た真希が先に感づいた。
「ふーん。なーるほど。成瀬さんとお祝いするのね?」
「う、うん。実は一緒にディナーに行くことになってます…」
真希が「マジか」という顔で夏帆に振り返った。
「なーんでそんな大事なこと私に黙っているのよ! もしかして、もう付き合ってるの?」
夏帆は慌てて首を左右に振った。
「付き合ってないよ。ただディナーに誘われただけなの」
「成瀬さんから?」
「う、うん」
「じゃあ、もう告白されるじゃん」
夏帆の顔が一気に真っ赤に変わる。
「そ、そうかな? ど、どうなんだろう」
「夏帆は誤魔化してる。それらしき言動はあったんでしょう? 白状しろ」
脇をツンとしてきた。なされるがままに夏帆は照れている。
「なーんだ。心配して損した。予定が空いてたら碧人と一緒に慰めてやろうって言ってたのにな」
「真希…。いつも本当にありがとうね」
真希はミーハーに思われがちだけど実は姉御肌で面倒見がよい。マイペースでのんびりした夏帆を上手にアシストしてくれる、もっとも信頼できる友人だ。
「でもさ、そろそろ期限付きも終わるころじゃない?」
「そうね。船の修理が完了してもおかしくない頃よね」
ここで真希が夏帆にぱっと振り向く。
「ねえ、夏帆のほうから告白しちゃいなよ! 成瀬さんが誠実なのはわかるけど奥手というか慎重すぎるというか…。待ってたら同居が終わっちゃうよ」
積極的な真希ならではの意見だった。たしかに船の修理はいつ完了してもかしくない時期にはなっている。
この同居は期限付きなのだ。しかも夏帆の気持ちは固まっているのだから確かにそうかもしれないと思った。
「そうだね…。自分の気持ち、伝えないとね…」
成瀬はディナーで伝言があると言っていた。
それが愛の告白でなかったら―――
(私が成瀬さんにこの気持ちを伝えよう)
そう決心する夏帆であった。