あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり
嫌な予言
夕食と風呂を済ませた夏帆はクローゼットの前で洋服たちとにらめっこをしていた。
(明日は何を着てゆこう)
いよいよ明日は夏帆の誕生日だ。つまり成瀬と一緒にディナーに出かける日。
友人の真希と行くときはカジュアルでも気にはならない。しかし明日は片思い中の成瀬と行くのだ。やはり少しでもお気に入りに洋服ででかけたい。
夏帆は着道楽ではないので選びきれないほどの洋服は持ってはいない。数ある中からベストなものを選び出そうと目下、考え中であった。
(やっぱりこれかな)
頬を緩ませた夏帆は一着のハンガーにかかった洋服を取りだした。すっと姿鏡の前で自分に服を当ててみた。
それは夏帆一番のお気に入りのロイヤルブルーのパフスリーブワンピース。
一枚布で作られたミモレ丈で夏でも肌を露出しすぎないところもお気に入りだ。普段使いをするようなワンピースではなかったので出番がなかった。明日のために出番を待っていたかのように、ついにクローゼットから出てきた。
(派手過ぎず、可愛すぎず、でも大好きな服。明日はこれで誕生日を祝えるなんて最高に幸せだな)
服を自分に当てたまま夏帆はしばらく頭の中で色んなことを想像してしまう。その時、夏帆の部屋の戸を叩く音が聞こえた。
「は、はいっ」
夏帆は慌ててワンピースをクローゼットに戻した。そして部屋の戸を開けた。
「あっ成瀬さん。お帰りなさい」
目の前には白制服の成瀬が立っていた。
「こんな時間にすみません。明日のことで、ちょっといいですか」
どうやら成瀬は今、帰って来たらしい。夏帆はドアをさらに開けて「じゃあ、中へ」と促した。
「着替えもまだですし、ここでお話します」
「はい」
「明日のディナーですが…」
その言葉だけで夏帆の胸がドッキンと大きく弾んでしまう。
「あの……夏帆さんはラズベリーとチョコミントの組み合わせは大丈夫ですか?」
「え?」
夏帆がぽかんとすると成瀬は恥ずかしそうにした。
「実はちょっとしたプレゼントを考えていまして…。好みを教えていただけると助かります」
(私のためにプレゼント?
素敵すぎます、成瀬さん!)
「は、はい。ラズベリーもチョコミントも大好きです!」
夏帆は照れながらも成瀬にそう伝えた。
「よかった…。でもサプライズにしようと思ったのに、これでは意味がなくなってしまいましたね」
恥ずかしそうに頭をかく成瀬。その仕草や困った顔がとても可愛らしくて、意外な一面を見てしまったとなんだか得した気分になった。
(これは可愛すぎるでしょう)
夏帆も頬を染めながらも、じっと成瀬を見つめてしまう。
「明日は十九時に予約をしました。大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。時間ぴったりに行きます!」
「わたしも間に合うようにいきます」
「では、明日。成瀬さん、楽しみにしてますね」
「ええ。わたしも楽しみです」
「おやすみなさい」
ぱたんと静かに夏帆は部屋のドアを閉めた。くるりと反転して戸を背に夏帆はのぼせそうな顔で天を仰いだ。
(幸せだ。今、この瞬間もこんなに幸せなのに、明日のディナーではどうにかなってしまいそう…)
どうにもこうにも夏帆の顔の筋肉が緩んでしまう。鏡に映る自分の顔を覗き込んだ。
「明日は世界一、贅沢な誕生日になるね」
ベッドに横たわると夏帆は胸の前で手を組んだ。胸のあたりがほんのり温かく気持ちいい。そしてゆっくりと目を閉じた。
(成瀬さん。すべてが好きです。
この思い、ちゃんと伝えられたらいいな…)
もちろん明日のことを考えると緊張感に包まれる。でもそれはワクワクするような心地の良い緊張だった。
(あ…今夜は良い夢を見られそう)
そして夏帆は静かに眠りに落ちていくのだった。
※
いよいよ夏帆の誕生日の当日となった。
なるべく残業にならないようにと夏帆は頑張って仕事をきっちり終わらせた。
「よしっ。今日の業務は終わりっ」
夏帆はそう言って教室から出て行った。帰りしなに真希から「頑張れー」声をかけられ弾ける笑顔で頷いた。
待ち合わせまで時間は十分にあった。夏帆にとってはこんな時間でさえも、幸せに近づく大切な時間。
(お化粧を直さないとね。あードキドキしちゃうよ)
はずむように足軽く駐車場に向かった。しかし幼稚園の駐車場に一人の男性が立っているのが見えた。夏帆の足が止まった。
(―――亮介だ)
夏帆の身体中に嫌悪と緊張が走った。園に戻ろうかと悩んだ。
(私たちはもう終わった仲。いつまでも亮介を避けて私が道を変えるのはおかしいこと)
自分にそう言い聞かせて堂々と亮介の前を通り過ぎようと決めた。夏帆は表情険しく歩みを進めた。
亮介はポケットに手を突っ込みながらスマホをいじっていた。しかし夏帆が亮介をスルーしていったのに気がつくと、亮介はあっけにとられた。
「おいおい夏帆。挨拶なしかよ」
「ここは幼稚園の駐車場よ。出て行って」
「待てよ。今日はお礼を言いに来たんだ」
お礼と言われついに心を入れ替えたのかと、夏帆は亮介に振り返ってしまった。亮介はニヤリと笑い夏帆に近づいてきた。
「夏帆がカスミにあれこれ話したお陰で俺が親父にしこたま怒られた。夏帆の余計なおせっかいサンキューな」
まさかの亮介の嫌味に夏帆は振り向いたことを一瞬で後悔した。反射的に眉根がきゅっと寄ってしまう。
(この人、やっぱり最低だっ)
夏帆は返す言葉はないと亮介を無視をして車に向かおうした。すかさず亮介が夏帆の前に足を差し込み遮って来た。
「その服、夏帆に似合ってる。今日は誕生日だよな。一緒に祝わせてよ」
「どけてください」
「あの男とは付き合ってないんだろう? カスミはそう言ってたぜ」
「あなたには関係ない。ここを通して」
「ふーん」
納得がいかない顔の亮介だったが足を解いた。夏帆は再び大股で歩き車に向かう。そんな夏帆の背中に向かって亮介が意外なことを言い出した。
「ねえ、夏帆。あんなハイスペック自衛官になんで彼女がいないか教えてあげようか?」
相手にはしないと決めたはずの夏帆の足がとまってしまう。それは仕方がなかった。だって亮介が言ったことは前々から夏帆も不思議に思うことだったのだから。
全方向に綻びのない成瀬になぜ彼女がいないのか――
夏帆も知りたいと思っていた。おそるおそる振り返ってしまった。それをみて亮介はニヤリと笑う。そして夏帆に聞こえるようにゆっくりと口を開いた。
「そばに居て欲しいときに居ない、からだよ」
「…居ない?」
夏帆が怪訝な表情でリピートした。
「あいつらの仕事のこと知ってんの? 有事、海外派遣で長期間不在も当たり前。突然の演習で数週間不在も当たり前」
「それは仕方がないことよ。国を守る仕事なんだから!」
成瀬の仕事をけなしてほしくない、そんな気持ちで夏帆も言い返してしまう。
「ははっ。夏帆はまだ他人事なんだな」
「…何が言いたいのよ?」
含みを持たせる言い方に夏帆もついイライラしてしまう。亮介は少しずつ夏帆に近づいてくる。
「自然災害があれば数か月、海外派遣なんかにいけば半年は戻らない。夏帆は我慢できる?」
じゃりじゃりと音を立てて、亮介は夏帆の目の前に立った。
「それだけじゃない。出産の時に旦那が立ち会えないどころか産まれた子供と会えるのは数か月後だったりする。その子供が思春期になって暴れても、旦那は不在がちで自分一人で対応しないといけない。妻にかかるストレスがすごいんだって。それで家庭崩壊につながることもあるらしい」
(―――そんなこと、聞いたことない)
「付き合ってる時だって同じだよ。会いたくても突然仕事で居なくなるんだからな。結局、彼女が我慢できなくてあいつらはフラれんだよ」
(私は、絶対、そんなことない―――)
「夏帆はさ、みんなが揃った温かい家庭が理想なんだよな? 自衛官と結婚なんてしたら、それは難しいぜ」
「…え?」
亮介が顔をぐっと近づけてきた。
「男への愛か、自分の理想か。どっちを取る?
試されるな、夏帆」
亮介が夏帆を動揺させようとしているのは明らかだった。そして夏帆の中で何かが沸点を超えた。
パンッ―――……
弾ける乾いた音が駐車場に響いた。亮介が「いって」と唇を触った。夏帆は考える間もなく瞬間的に亮介を平手打ちにしていた。
「人を打ちのめさないと気が済まないの? この最低男!!」
夏帆の眼の奥が悔しさで熱くなる。いまにも涙が溢れそうになる。
「夏帆が将来、後悔しないように親切心だよ」
「自分が何をしてるかわってる? したことは必ず自分に返ってくるんだから!」
夏帆はそれだけ亮介にぶつけると、身体を翻し車へと走った。キーで開錠すると素早く乗り込んだ。すでに亮介は駐車場の外に出て行こうとしていた。
(よかった。亮介、帰ってくれた)
ほっと息が漏れる夏帆だが、ハンドルを握る指が細かく震えていた。夏帆は指を組んでグッと力を込めた。
(誠くんママ、真希!
私、思い切ってやったよ!
はじめからこうやって気持ちをぶつけておけばよかった!)
夏帆が我慢をしたせいで亮介を図に乗らせてしまった。今日、きちんと思いをぶつけることができたから、これでいいんだと夏帆は鼓舞した。しかし夏帆の指はまだまだ震えていた。
(ダメダメ。今日は楽しい私の誕生日なんだからっ。気分を切り替えなくっちゃ!)
夏帆はバックからペットボトルを取りだすと一気に飲み干した。
「ふーっ。うん、気持ちの切り替え、完了!」
いつまでも亮介に翻弄される自分も嫌だった夏帆は少し無理やり感はあるがそうやって切り替えるしかなかった。
(大丈夫大丈夫。私よ、落ち着いて。
今日はこの後、楽しいことしか待っていないんだからね)
夏帆は深く呼吸を繰りかえした。そしてハンドルを握った。手の震えは止まり自分でもほっと安心した。
「さあ、成瀬さんが待ってる。行こうっ」
(今日は私の誕生日。成瀬さんと一緒に楽しもうっ)
心を晴れやかにして、夏帆は車のアクセルを踏んだ。