【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
「もうすぐ雨が降ると教えると彼女は嬉しそうな顔をしていました」
物心ついた時には空気に含まれる水分量の変化と風が運んでくる些細な情報で気候が読めるようになっていた。
水と風はいつでもステイシーの味方で、その声に従えば屋敷で押し付けられた仕事は大抵上手くこなすことができた。水と風はすべて生活魔法に直結していたから。
「彼女に習い文字を覚え、道具に刻まれた魔術式が読めるようになってからは、見様見真似で魔法を習得しました。生活を楽にしたかったのもありますが、少しでも役に立ちたくて。そうしたら綺麗じゃなくても存在を許してもらえるんじゃないか、って」
何度も失敗し、自分で考え、霧を発生させる魔法を習得した。太陽光を受けてキラキラと輝くそれを見て、綺麗ねと彼女は静かに微笑んだ。
頭を撫でてくれることも、抱きしめて褒めてくれることもなかったけれど。彼女に綺麗と言ってもらえたことが嬉しかったのだと思う。それが自分を指す言葉ではなかったとしても。
彼女が泣かなくて済むように。それが、ステイシーが魔法を本格的に学び始めたきっかけだった。
「魔法が誰でも使えるものじゃないことは屋敷の下働きをするうちに気づきました。だからこそ私は"特別"なんじゃないか、と。"特別"なら、彼女みたいに愛してもらえるかもしれない……なんて、思ってしまって」
一つを覚えたら、どんどんできることが増えていった。
それが面白くて楽しくて。思いついた魔術式を組み合わせれば次はどんな魔法ができるだろう、と魔力を消費しきり倒れるように眠るまで毎日夢中で魔術式を描き続けた。
「バカですよね。そんなことをすれば、この力に気づかれないわけがないのに。私はどうしようもなく子どもで、そして浅はかでした」
魔法は便利だ。だが、危険でもある。だからきちんと学び、術師として取り扱うための資格がいる。そのことを知らなかったステイシーは自分で魔術を編めるということがどういう価値を持つのか、全く理解していなかった。
日に日に改善されていく離れ小屋とその周囲。
離れの小屋の周りにだけ雨を降らせる雨雲と穏やかな風。
そしてそれを実現させたのは、誰にも認知されていない存在しないはずの子。
悪意ある者がよからぬことを考えるには十分過ぎる条件だった。
「当主から本邸に招かれただけで浮かれるくらい、私は単純で。望まれた通りの魔術式を描いたら大人たちから褒められたから、これからは私も"家族"にいれてもらえるんじゃないかなんて。そんなこと、あるわけないのに」
あれだけ蔑ろにされていたというのに、物心ついたときからそれが当たり前過ぎて悪意を悪意だと認識すらできていなかった。
それに、どこかで信じたかったのかもしれない。屋敷の外で見かける幸せそうな親子みたいに、血の繋がっている彼らならいつか受け入れてくれるのではないかと。
「私は、最初から最後まで彼らにとって使い潰しても構わない便利な道具でしかありませんでした」
使えると判断されてからの生活はそれまで以上に酷いものだった。
専門書の積み上げられた部屋に監禁され、ひたすら違法な術式の開発をさせられた。
「彼らは魔法を悪用して邪魔者を排除し、周辺の領地を手中に収めたかった。私はそのための駒でした」
歯向かう他領に雨を降らせるな。
水の流れを止めて独占しろ。
暴風を起こし船を沈めろ。
そんなできない命令ばかり。今考えても無茶苦茶だ。
「ステイシーが独学で魔法を扱えるようになったというのにも驚きだが、いくら魔法の適性があるからといって、たった一人の人間、それも未発達の子どもに天候を操るなんてそんなことできるはずもないだろ」
「普通はそうですね。でも、私は"普通"ではなかった」
怒気を孕んだクラヴィルのつぶやきに淡々とした口調で応じたステイシーは、
「クラヴィル様は"パレット"という加護を知っていますか?」
クラヴィルにそう尋ねた。
「パレット?」
心当たりがなく聞き返すクラヴィルに、
「神聖力は神様が与えた加護と言われていますが、それ以外にも稀に精霊に気に入られ加護を与えられた人間がいるのです。精霊は気に入った人間をずっと守り続けると言われていて、加護の発現は一人だけですが精霊に見放されない限りその加護は親が亡くなれば子へと引き継がれます」
ステイシーは髪を一房掬い指を絡める。
「パレット。複数の魔力を混ぜ合わせ最大限に力を引き出す加護。私の実父がそれを持っていたのだと聞かされたのはナチ様に保護された後のことでした」
この髪と瞳の色、そして魔力の適性は会ったことのない父譲りなのだとステイシーが知ったのは、エルネア伯爵家で暮らし始めてから随分経ってからだった。
ナチと実父は師弟関係にあったことも、当時の魔術師団のあり方も全部ナチから聞いたがナチを責める気にはなれなかった。
後悔と懺悔を孕んだナチの声でぽつりぽつりと語られる実父の姿はいつでも度を超えたお人好しで。
そんな彼だから精霊に愛されていたのだろうし、誰もが手を焼くナチを普通の子どもとして扱い、寄り添い続けたのは彼にとって当然のことだったのだろう。
そしてお人好しの彼は属性に合わない魔物の討伐に駆り出され、命を落とした。ナチの魔法を当てにした無茶な作戦だった。
実父が亡くなりその加護は娘へと引き継がれた。誰からも保護されることのない無防備な状態で。
「パレットの加護を持つ私は、理論上可能で原理を理解しその魔法の発動をイメージできるのであれば、魔術式を作ること自体は可能です。それがどんな危険なものであったとしても」
ただし、描いた術式が発動するかは別の話。幸い、というべきかステイシー自身が保有する魔力は魔法適性者としては少なく、危険な魔法が発動することはなかった。
「ある日、異常な魔力の流れに気づいたナチ様が屋敷にやって来て、全ての魔術式を燃やしてくれました。まぁ、屋敷ごと更地にしたのはやり過ぎだとは思いますが」
『やぁ、ステイシー。元気かい?』
そう言って躊躇いなく頭を撫でてくれたナチは、
『来るのが遅くなってごめん』
とつぶやくと、にこやかな顔のままパチンと指を鳴らして全てを灰にした。
そうして、地獄のような日々は唐突に終わりを告げたのだった。
「ただ、その時のことはほとんど覚えていなくて。加護の力を使い過ぎた私は、ヒトとしての意識を保てなくなっていました」
ヒトよりも、魔物に近い存在になりつつあった。もしあと少しナチが来るのが遅かったなら、ヒトの形すら保てなくなっていただろう。
そうなれば、魔物のように討伐されていたかもしれない。
何のお咎めもなく、こうして今生きていられるのは間違いなくナチのおかげだ。
「その時が魔力封じを入れた1回目。魔力による中毒症状に侵されていましたから、元から絶つ以外になかったのです」
ステイシーは自身の左腕にそっと触れる。そこには今魔力封じの紋はない。
1回目は強制的な措置だった。
2回目は自ら望んだ。
そして、3回目を刻んだらもう2度と自ら魔法は使えない。
選べ、ということなのだろう。
魔術を扱えることを望むのか。それとも、クラヴィルの妻としてこのまま生きるのかを。
話し終えたステイシーの表情は固く、
「つまらない話だったでしょう」
と、ここではないどこか遠くに心を向けたままこれで私の話はおしまい、と静かに締めくくりクラヴィルにもたれかかっていた身体を起こした。
いつものくるくると変わる楽しげな表情とは違い、ただ淡々と過去を語ったステイシー。
どこか他人事のような話ぶりに、ステイシーの中でまだ決着のついていない出来事なのだとクラヴィルは思う。
どう扱えばいいのか分からず、自分の中に居座り続ける重い過去。それにはクラヴィルにも覚えがあって、まるで鎖のように心を捉え縛りつける。
「つまらなくない。少なくとも、俺にとっては」
クラヴィルは先程語られた話と共にミズチ討伐時のステイシーを思い出す。彼女は見た事のないような魔法をその場で描いてミズチに対抗して見せた。
それは頼もしくもあると同時に使い方によってはかなり危険な代物であることは間違いない。
もし、ステイシーにナチのような規格外の魔力があったなら、この国には多くの血が流れていただろう。そうであったなら、きっとステイシー自身も処罰を免れなかったはずだ。
「君の実母はどうなったんだ?」
「彼女は罪には問われませんでした。でも、その時別れて以来、一度も会っていません」
離れで暮らしていた彼女は事件に関与していないと判断され、処罰を免れた。のちに、彼女の希望で修道院に送られたとだけ聞いた。
どこの修道院にいるのか、今どうしているのか、調べようと思えばできただろう。
だが、そんな気にはなれなかった。
「一緒に生きていく道もあったのかもしれません。でも、私は伸ばされた手を振り払った」
あの人達がいなくなって、初めて感情の籠った大きな声で名を呼ばれ、駆け寄って来た彼女の手をステイシーは力一杯拒絶した。
困惑と悲しみに染まった碧色の目に『いらない』と言ったことは覚えている。
『私の人生にあなたはいらない』と。