【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。

「今も実母のことを恨んでいるか?」

「どうでしょう? 確かに彼女を恨む気持ちもありましたし、2度と関わりたくないと思う一方で、どこかで幸せになっていて欲しいとも思うのです」

 クラヴィルに尋ねられ、ステイシーは分からないと首を振る。

「幸せに?」

 これほど心を傷つけられたのに? と怪訝そうに尋ねるクラヴィルに、

「確かに私は心身ともに傷を負いました。でも、私はまだ彼女の事情を何も知らない」

 あの家で、彼女は何も語らなかった。だからステイシーが彼女について知っていることは限りなく少ない。
 だが、事実だけをあげるなら美しさを絶対とし、その容姿を称賛され育った彼女が選んだのは何の身分も持たない地味な髪と目の色の魔術師で。
 彼が死んだあともいくつも縁談があったのに、ただ雨が降ることだけを待ち望んだ。
 少なくとも家を出て2年は、庶民として暮らしている。生粋の令嬢であった彼女が、使用人のいない生活に馴染むのはどれほど大変だったことだろう。
 お金がなければ生活はできない。もし、彼女が実家を頼らなかったとしたら、あれだけ綺麗な彼女が子を抱え、守ってくれる人のいない外の世界でまともに暮らせたとは思えない。
 確かに酷い暮らしではあったが、屋敷の敷地内であれば少なくとも雨風を凌げて飢えずには済んだ。
 そして思う。

『きっと誰にも愛されない』

 あれは、本当に我が子(ステイシー)に対して言ったセリフだったのだろうか? と。

「もし、を考えだしたらキリがありません。人は、結局自分の信じたいものを信じ、自分にとって都合がいいように解釈する。それは私も変わりません」

 それでも、と思ってしまう気持ちがある。
 それでも、もしかして、と。

「だけど、私には答え合わせをする勇気がないのです」

 そうだったらいいのにと期待して。
 思っていたものと違う答えが返ってきたら?
 やっぱり、ただの自分の勘違いで、今度は明確に存在を否定されたら?
 もう一度、あの痛みに耐えられる気がしない。

「私にとって両親は育ててくれたエルネア伯爵家のお父様とお母様で、守るべきは相手は弟や妹、そしてエルネア伯爵領の領民です。それはきっとこれから先も変わりません」

 まともに話せるようになるまで随分かかった。その間根気強く支えてくれたのは今の家族だ。

「私のこの力は使い方を誤れば多くの人を死に至らしめる。実際、あの時作った魔術式はただ自分が助かるために多くを犠牲にすることを願って描いたのです。大量殺人鬼にならずに済んだのは、ただ運が良かっただけ」

 無知であった過去の自分。本当は魔法を使えなくしてしまった方がいいのかもしれない。
 だが、あまり豊かとは言えないエルネア伯爵領で過ごすうちに思った。

「それでも、もし許されるなら誰かを幸せにするためにこの力を使いたい。それが私の運命だと思うから」

 魔術式は様々な人の願いを形にしたものだ。そしてそれは誰にでもできるものではない。
 やってしまったことは変えられなくても、それらを背負って生きて行く。そのために自分に与えられた"運命"というものと向き合ってみたいと思うのだ。

「運命、か」

 ステイシーらしい、とつぶやいたクラヴィルに、

「はい。だから、私は自分で選びます。もう後悔するだけの人生は嫌だから」

 そう言ってステイシーは星空に手を伸ばす。
 運命、と口の中で転がして、ステイシーはすぐ隣にいるクラヴィルを見上げる。
 画面越しに眺めるだけの手の届かなかった人。でも今はこうして言葉を交わすことができる人。
 この巡り合わせもまた"運命"なのかもしれない。

『"推し変"するなら、推しではなくなった誰かさんとちゃんと向き合いなさい』

 そう言ったアイリーの言葉を思い出す。悩んで、傷ついて、迷って、それでも選んで自分の運命をつかんだ彼女。それは原作通りではないかもしれないが、一つの尊い物語。
 後悔しない選択。それを掴むように、開いた手を握り締めたステイシーは、

「と、いうわけで旦那さま。"君を愛することはない"ってアンコールしても良いですか?」

 そうクラヴィルに尋ねた。

「はっ?」

 大人しく話を聞いていたクラヴィルは何故急にそんな話に? と眉根を寄せる。

「いえ、初心を思い出そうと思いまして」

「初心?」

「旦那さまの信頼を裏切らず、読者として推しの物語を堪能する。あなたの恋物語を応援できるように。これから先も"私"が揺らいでしまわないように」

 ね? とステイシーはとびきりの笑顔を向ける。

「何度でも言ってくださるのでしょう? それとも公爵ともあろう方がご自分の言葉に責任を取らないおつもりで? はい、もう一回っ!」

 あの日の出来事を準えてステイシーはクラヴィルにはしゃいだ声でアンコールする。
 あの時とは明らかに違うクラヴィルに対する気持ち。これに名前をつけるなら、やはりそれは"恋"だろう。だけど、この想いを押し付けてクラヴィルを傷つけるくらいなら。
 いっそのこと全部自分で飲み込んで、一切漏らさず生きて行く。
 本音を溢すのは今日が最初で最後。クラヴィルに話そうと思った時から、ステイシーはそう決めていた。

「ほら、どうしたのですか、旦那さま?」

 言葉を促すステイシーの栗色の目をじっと見つめたクラヴィルは、無言のまま彼女の頬に指先を伸ばす。やはりこの時期は冷えるのか触れた頬はひやりと冷たい。

「旦那……さま?」

 驚いたように大きくなった栗色の瞳がぱちりと瞬く。
 いくら待ってももう彼女の口から自分の名前が溢れることはないと悟り、クラヴィルは首を振る。

「……言えない」

"君を愛することはない"

 いくらステイシーの頼みでも、その一言だけはどうしても言えそうにない。
 口から出た言葉は消えない。そして、クラヴィルはずっと悔いている。
 じっと黙ったまま言葉が出てこないクラヴィルに、

「そう、ですか」

 それ以上追及しなかったステイシーは、

「それにしても、さすが公爵家の庭園。銀木犀のいい香りがしますね」

 重たい沈黙を取り払うように話題を変える。
 ライトアップされた白い花を指差し、

「そういえば、旦那さまがくださった髪飾りも銀木犀がモチーフでしたよね」

 貰った時の気持ちを思い出したようにふわりと笑う。
 遠征前の出陣式の日、クラヴィルが贈ってくれた白い花とサファイアが散りばめられた可愛らしいデザインのバレッタ。
 それはステイシーのアクセサリーボックスの一番目を引く場所に収められていて、目に映るたび心が温かくなるような幸せな気持ちで満たされる。

「あまり、俺は花には詳しくなくて。でも、これは君に似合うと思ったんだ」

 銀木犀に手を伸ばしたクラヴィルはパキッと花の付いた細い枝を折りステイシーに差し出す。
 銀木犀の花からは控えめで甘い上品な香りがして、ふわりと鼻腔をくすぐった。

「この銀木犀は父が母に贈ったものらしい」

「旦那さまのお父様が?」

「ああ。母が王家から嫁いで来たばかりの時に、この家は王城と比べたら静か過ぎるだろうから、と」

『とっても可愛らしい花でしょう?』

 クラヴィルはそう言って銀木犀を愛でていた母の姿を思い出す。
 1本じゃ寂しいかもしれない、と母が自ら挿し木をしていき根付いていった銀木犀は今では公爵邸の庭園の主役となっている。
 生まれる前から公爵邸にあった銀木犀はクラヴィルにとっても身近で馴染みのある花だから、ステイシーに贈るならこれだと思ったのだ。

「旦那さまのお母様はとてもお父様を愛してらしたのですね」

 素敵ですねと目を輝かせ銀木犀を愛でるステイシー。ステイシーにとって両親の話は彼女の好きな"恋物語"なのだろうなと苦笑したクラヴィルは、

「君が期待するような話は特にないぞ。何せ父はほとんど家にいなかったし」

 今よりももっと安定していなかった時代の国防を担っていた父は、騎士という仕事柄どうしても家にいないことが多かった。
 仕方なかった、と同じ職についている身としては思うけれど。

「母にとって、きっとこの屋敷で夫を待つだけの生活は苦痛だったのだろうな」

 銀木犀を見つめたまま、クラヴィルはぽつりと言葉を漏らす。

「確かに母は望んで嫁いで来たと言っていたけれど、父はあまり母に関心があるタイプではなかったのだと思う。忠義を誓う王家からの打診で、仕えている主が大事にしている王妹が相手だなんてそもそも断る選択肢はなかっただろうし」

 先代の陛下は身体があまり丈夫ではなく、王太子であった殿下が婚姻を結ぶと同時に退位した。
 当初は若過ぎる王の即位に不安の声はあったけれど、群を抜いて優秀であった陛下が賢王として讃えられるようになるまで時間はかからなかった。
 そんな苦楽を共にした陛下が大事にしている王妹からのアプローチ。それが陛下の足場をより強固にするものならば、きっと二つ返事で受け入れた。それがクラヴィルの両親の婚姻の実情で。

「そうやって始まった結婚生活は、きっといつまで経っても変わらなくて」

『お父様はお忙しい方だから、仕方ないのよ』

 母はいつでも優雅に笑ってそう言っていたから気づかなかっただけで、その"仕方ない"は諦めの言葉だったんじゃないかと今なら思う。

「一方通行の思いは苦しかったんだろうなって」

『もう、寂しいのは嫌なの』

 クラヴィルは11年前の災厄級討伐で、父をなじっていた母の姿を思い出す。
 災厄級を討伐するには呪術を仕込んだ刃を魔物の肢体に打ち込むしかなかった。あの魔剣は使い手の命を代償に発動する。一度鞘から抜いてしまえば、使用者の命は長くは持たない。討伐するチャンスはあの一瞬しかなかったのに。
 母はそれを邪魔するように災厄級の前に立ちはだかった。どう見ても無理心中。それが記録水晶に映っていた、最期の二人のやり取り。

「なんて、親の恋愛事情に想いを馳せるなんて複雑過ぎるんだが。父と母の婚姻が互いを思い合える幸せな物語ならよかったのにな、なんて思ってしまう」

『あなたをずっと愛しています』

 起きてしまった過去は変わらない。それでも、"もしも"と思ってしまう。
 もしも、二人が時間を重ねてもっと言葉と想いを交わしていたのなら、違う結末もあったのではないだろうか、と。
 今更、そんなことを思うようになってしまった理由は一つしかない。

「……全部、君のせいだ」

 それまでずっと静かにクラヴィルの話を聞いていた栗色の瞳に小さく笑い、クラヴィルは風でそよいだミルクティーの髪にそっと触れる。

「旦那さま?」

 目が覚めた時、ステイシーが助けてくれたこととそのせいで彼女が目を覚まさずにいることを知って全身の血が凍るかと思った。
 この栗色の目が再び自分のことを写してくれたことも、開口一番に身体を大事にしろと心配してくれたことも嬉しくて。
 もう手放したくない、と思うのに。

「君は心を揺さぶられる相手に出会ったら手放してはダメだと言ったけど。俺には"愛してる"は重過ぎて」

 今回のようにステイシーの身に何かあったとしても、騎士である以上きっとこれから先も彼女を優先できない日があるのだと思い知った。

「でも、後悔はしたくなくて」

 どうすればいいかわからない、と素直な気持ちをこぼしてクラヴィルは泣きそうな表情で空を仰いだ。
 クラヴィルの話を聞き終えたステイシーは、んーと神妙そうな表情で唸ったあと、

「要するに旦那さまは"考えるな。感じろ!!"タイプだったわけですね」

 物凄く腑に落ちた、といった表情でクラヴィルの悩みを一言でまとめた。
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