MR(医薬情報担当者)だって恋します!

 もう少し話していたい気もしたけれど、鈴木の言葉を思い出して、私は沢野先生の部屋を出ることにした。

「先生、今日もエクサシールの話を聞いてくださりありがとうございました。CDまで貸していただいて、本当に嬉しいです。ありがとうございました! えっと」

 私は処方をお願いしようか迷った。言葉にしなくてもいい気もして。すると、沢野先生は察して、

「処方ですね。分かっていますよ」

 と笑って頷いた。

「では失礼します」
「僕も医局に行きます」

 すっと沢野先生は立ち上がってドアの方へ来る。私はその沢野先生の後ろに立つ形になった。
 ーーと、沢野先生が振り返った。

「忘れ物ですか?」

 と私は沢野先生を見上げる。

 ーーえ?

 一瞬だった。
 沢野はすっと屈んで私の唇に自分の唇をそっと重ねた。
 目が合う。
 沢野先生はハッとしたように、小さく「すみません」と言った。
 私はなんて返していいかわからず、顔を伏せた。
 そのまま二人で部屋を出る。
 私は下を向いたまま、一礼をするとエレベーターホールの方へ歩いた。
 足が雲を踏んでいるかのようにふわふわする。そのままの感覚で私は無意識に階段を上った。

 あまりにさりげなくされたキス。
 もしかして私の勘違い? 白昼夢? 挨拶のキス?
 でも、沢野先生はすみませんと言った。
 ますます分からなくなる。
 何のキスだったのだろう?
 沢野先生はもちろんお酒に酔っていたわけではない。
 なぜ私に?
 考えれば考えるほど分からない。

 その日一日、私はぐるぐると各階の医局を回ったが、記憶が殆どなかった。
 明日、沢野先生とどんな顔をして会えばいいのだろう。
 駐車場に入ると、クラクションを鳴らされた。

「鈴木、今帰り? お疲れ!」

 車の窓を開けて鈴木が声をかけてくる。
 ーー危機感がなさすぎ。
 鈴木の言った言葉を思い出して、どきりとした。
 私に隙があったから? だから沢野先生は私にキスしたの?

「鈴木~?」
「あ、ごめん。お疲れ。鈴木も帰るとこ?」
「うん。……大丈夫か? 何かあった?」

 鈴木の言葉に再びどきりとして、

「え? 何で? 何もないけど?」

 と慌てて答えた。

「ならいいけど、ぼんやりしてるから……。運転そんなんで大丈夫か? 気をつけろよ?」
「うん。ありがと」

 車に乗って、私は深く息を吐いた。
 私の知ってる沢野先生は、どんなドクターだった?
 いつも笑顔で、MRを尊重してくれて。真面目で、優しい、医者の鑑のような……。
 そこまで考えて、私はますます混乱した。
 沢野先生はセクハラを簡単にするようなドクターではない。
 だったらどうして?
 癒しの時間。楽しみにしてたのに、こんな気持ちじゃ、沢野先生の部屋に行けない。
 私は大きなため息をつく。
 まずは家に帰ろう。
 私は車のエンジンをかけて、ライトをつけた。
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