MR(医薬情報担当者)だって恋します!

欲張りな私

「橘先生。シルビルナ、なかなか伸びあぐねています」

 私はしゅんとしながら橘先生に言った。
 橘先生は自室に私を招き入れる。

「そうか? 俺は少しは出してるぞ」
「少し……。ここの呼吸器内科では大川製薬さんが強いですものね」

 大川製薬は千薬社の前に同じようなタイプの薬を出していて、それがここの大学ではよく処方が出ていた。

「まあ、付き合いで出すのはあるわな。ドクターも人間だ。鈴木はそんなに処方がとりたいのか?」

 橘先生に名前を呼び捨てにされたことをくすぐったく思いながらも、

「とりたいです! 薬の良さでなくて、仲がいいから処方が出るなんて、納得いきません!」

 と私は即答した。橘先生は苦笑いをして煙草の箱を手に取った。トントンと一本取り出し、火をつける。

「MRは自社の薬のよさをアピールする。そして他社製品をけなす。どのMRもそうだ。ドクターからすれば、どの薬にも利点があり、欠点もあるなら、どれを使っても変わらないと思うことがある。どの薬が圧倒的に優れているなんてことはほぼない。そうなれば仲のいいMRの薬を出す気にもなる。極論だがな。最近、やたらと新患にと言ってるが、新患皆に出してもらおうなんて思うのはバカげたことだぞ」

 橘先生の言葉に、私はため息をついた。

「なんだ?」
「新患全員に出してもらおうなんてことは思ってないのですが……。やっぱり、大川さんのが出て、うちのが出ないのは悔しいです」

 私の言葉に橘先生は座っている椅子をくるりと回して、

「まあ、千薬さんからすればそう思うものかもな」 

 と言ってくれた。

「土曜は鈴木とゲームしたのか?」

 いきなり違う話を振られて、私は「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。

「あ、はい」
「じゃあ、鈴木の家に行ったのか?」

 橘先生の問いに私は首を左右に振る。

「え? 行ってませんが……。今はネットで繋がっていれば違う場所でも一緒にゲームできるんですよ」
「そうなのか。俺たちの時代と違うな。息抜き、いいじゃないか。ドクターにもゲーム好きな人は多い。そういう話をするのもいいぞ」
「ちなみに先生は?」
「俺は苦手だ、ゲーム」

 私はついくすりと笑ってしまった。そんな私に橘先生は少し目を和ませた。

「鈴木、お前は容姿は普通だが、笑顔は愛嬌がある。笑っとけ」

 橘先生に言われて、私はドキッとした。

「は、はい……」
「ようし、今日はここまで。シルビルナの処方が欲しいのは痛いほどわかった。まあ、少しずつ増えていくといいな」

 そう言いながら、橘先生はドアとは反対側の机の方を向いた。

「はい!」
「それから……」
「はい?」
「鈴木は一応男だから、あいつの部屋に一人で行ったりするなよ」
「はい」

 私はまた笑った。橘先生は父親のような気持で言っているのだろう。でも、心配されている、それだけで私は十分嬉しかった。

 その数日後。
 私はほかの先生と呼吸器内科の医局で話していて、竹部先生に、

「うるさい」

 と怒られた。

「竹部先生と喧嘩したの?」

 鈴木の言葉に、

「喧嘩なんかじゃないよ。私がうるさかったの」

 と私は答える。竹部先生と仲良くならなければいけないのに、どんどん嫌われている気がする。

「ふーん。でも、出入り禁止になった訳じゃないんでしょ? あんまり気にしない方がいいよ」

 鈴木は安定していい奴だ。ゲームも時間がある時は一緒にするようになって、鈴木とはいい友達になれるんじゃないかなと思う。

「何?」
「鈴木っていい奴だなと思って」

 私の言葉に、色白の鈴木の頬がほんのり赤くなった。

「あんたは変な奴だな」
「変かな?」
「変だよ」
「ま、そうかも。あ、そうだ。ゲームする時さ、もう一人、入れてもいい? しろっていう親友なの」
「しろさん? 別にいいけど……」
「ありがと! またゲームする時連絡するね!」

 私が手を振ると、鈴木は戸惑いながらも手を振り返した。


***


 腎臓内科のドクター方はMRに好意的で、強いMRは対等に近い感じで話している。
 私はそこまではいかないが、ドクターたちが話している場で自分の意見をやんわり言えるようになっていた。もともとエクサシールがよく処方されている科なので処方を強く促す必要もあまりない。医局で気が抜けるという珍しい科だった。

「今日もエクサシール、処方しといたよ。鈴木さん頑張ってるからね」

 医局長の谷口先生に言われ、私は、

「ありがとうございます!  明日もよろしくお願いします!」

 と頭を下げた。谷口先生は真面目なMRが好きなようで、私はそれに当てはまると思われているらしい。

「アオハナの白崎さんから聞いたよ。腎臓内科の谷口先生に鈴木さん気に入られてるんだって?」

 今野さんに言われ、私は遠慮がちに頷いた。

「僕も助かるよ。よく処方も出てるしね」

 そう言われて、私は嬉しかった。
 助かる、か……。
 家ではいつも役立たずと言われていた私は、こうしてますます仕事に傾倒していった。


 それぞれの医局の雰囲気や、ドクターとの親しさによって顔を使い分けなければいけないのは難しい。
 腎臓内科でドクターとフレンドリーに話せても、循環器内科や呼吸器内科でそうとは限らないし、その場にいるドクターによっても違ってくる。なんだかいろんな顔を持つ自分が気持ち悪い。
 今野さんもそうなのだろうか? それとも今野さんはドクターによって自分を変えないのだろうか? 一人で営業するようになって、今野さんの営業に付き添っていたときにもっと学べば良かったと思う。
 自分一人だとこれでいいのだろうか? と思うことばかり。今野さんとはよくミーティングしているけれど、期待を裏切りたくないという思いが強くて、同じチームなのになかなか弱音を吐けなかった。


***


 この日も私は橘先生の部屋にいた。

 相変わらず呼吸器内科の医局は居づらい。竹部先生は部屋がないので医局に机がある。外来が終わってからはずっとその席にいる時が多い。
 竹部先生を攻略しなくては。そう思うものの、嫌われている自覚があるのでなかなか話しかけることができない。
 塩屋先生はというと、意外にさっぱりした性格で、時々言葉は交わしている。だが、肝心の処方は出してくれない。

 私は追い詰められていて、さらに、甚だしい勘違いをしていた。橘先生が言ったように私は一人で大学を回ってるわけではない。そして、新人の私が大学の処方を左右できるわけはない。それが分かっていなかった。
 分からない私は頑なに自分一人で解決をしようとしていた。もっと自分を認められたかったのかもしれない。


「鈴木? どうした? おい、また泣いてるのか。鈴木は俺の部屋にくると泣いてばかりだが、俺にはどうしてやることもできない」

 橘先生に言われて、私は涙を拭う。何故かは分からない。でも橘先生の部屋に入ると、ぷつりと何かが切れたように涙が出てしまう。気を張っていたのが緩んでしまう。

「……すみません」
「そんなにきついか? 最近眠れてるか?」

 どきりとした。寝ていても営業してる夢を見て目が醒めることが増えていた。
 黙ってしまった私に、

「今野さんは鈴木が悩んでることは知ってるのか?」

 と橘先生は言った。私は今野さんの名前が出てきて焦った。

「そんな、悩んでるわけでは……」
「何かあるから泣くんだろう?」

 私は再び黙った。何て言ったらいいのか分からなかった。

「営業先で泣くほどきついんだろう?」

 橘先生の言葉にますます涙が出て止まらなくなった。
 ふぅと橘先生がため息をついて、煙草の箱を胸ポケットから取り出した。
 橘先生が煙草の煙をゆっくりと吐く。

「やっぱり竹部と塩屋か?」

 私はぶんぶんと頭を横に振る。

「じゃあ何だ? 言いにくいことか?」
「……自分でもよくわかりません。ただ、処方がなかなか出なくて。私がだめだから」

 橘先生はまた煙草の煙を吐く。

「前にも言ったが、鈴木は一人で回ってるわけではない。処方が出ないのは鈴木のせいだけではない。今野さんも出せてないからだ。いいか? 思い詰めるな。それでなくとも千薬さんは女性MRが多くて、よく辞める」

 私はハンカチで溢れる涙を拭いながら、ただ黙って橘先生の話を聞いた。

「鈴木がなんでそこまで自己肯定感が低いのか分からんが、全てを自分のせいにするな。それから、今野さんをもっと頼れ」

 私は小さく何度も頷いた。

「悪いが、俺は鈴木の力にはなれない。処方を少し出すぐらいしかできん。……頼る相手を間違えるな」

 橘先生の言うことは正しい。私は頼る相手を間違っている。それでも、やっぱり橘先生の所に行きたい。橘先生の言葉を聞きたい。慰めてもらいたい。

「……すみません……」
「酷い顔だぞ。少し落ち着いてから出た方がいい」
「はい……」

 それからは橘先生は黙って机の方に向かい、仕事をしだした。私はただ、涙が止まるように努めた。

「……落ち着きました。ありがとうございました」
「はいはい。今度は元気な顔でな」
「はい……」

 私は橘先生の部屋を出て、すぐにエレベーターホール奥のトイレに入ると顔を洗って化粧を直した。目が腫れている。
 しっかりしなくては。
 私は頬を叩いてトイレを出た。
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