初恋は、終電の先に
 普通に致死量の先輩だった。

 いやいやいや……破壊力たっか!!

 浴室から水音がして、今さらだけど心臓が飛び出しそうなくらい暴れ狂っていた。口から出そうだ。

 先輩の部屋ってだけで深呼吸したいくらいなのに、寝室まで見せてもらって。いや、深呼吸は今すればいいな。


 私は先輩を見送った姿勢のまま突っ立って深呼吸した。

 こう、他人の家の匂いがした。

 ちょっと埃っぽいのは三週間誰もいなかったからなのだろう。

 本当は寝室に戻って先輩の枕の匂いを嗅ぎたいけど、それは我慢。まだシャワー浴びてないし、一日仕事をしてきた服で人様のベッドに上がっちゃダメだと思う。だから、枕は追々ね。きっと機会がある。

 たぶんあと三十分後くらいに。

 寝室の方を、つい見てしまう。

 ダブルサイズのベッドがあった。

 寝るのか、あそこで、先輩と。

 ごくりと喉が鳴った。

 考えたことがないわけじゃない。なんなら十年前から、想像の一つや二つしてきたけども。



 ……先輩はどうなんだろう。


 先輩は昔から穏やかで物静かな人だった。先輩の同級生の女子から、「キモい」「いるんだかいないんだかわからない」「とろくさい」と陰口を叩かれていたのも知っている。

 だから余計に口数が少なくなって、気配が薄くなっていったのも知っている。

 そんな先輩が、私が声をかけたとき、丸めていた背中を伸ばして、俯いていた顔を上げるのが好きだった。


「秋谷」


 そう言ってはにかんでくれるのが嬉しくて、子犬みたいに先輩にじゃれついていた。

 十年経った今でも、先輩が私に気づいたときにふっと表情を緩める瞬間が好きだ。

 でも、今日の先輩はずっと泣きそうだった。私を見つけたときも、告白したときも、この部屋に帰ってきたときも。

 笑ってほしいけど、笑えないくらい疲れてるのもわかるから、私にできることはそばにいることだけだ。

 そんな先輩が、


「俺はもう、秋谷から離れたくない」


 と言って私を連れて帰った。

 ど、どうしよう。


 気づいたら水音が止まっていた。

 つい耳を澄ませてしまって、浴室の扉が開く音や床の軋みまで聞こえてきた。

 ていうか私、先輩がシャワー浴びてる間、突っ立ったままだったな。

 今さら部屋を見回すと、大きなテレビとローテーブルとソファがあった。

 ソファに座っておけばよかった。いや、まだ間に合う。

 慌ててソファに座ったけど、緊張しすぎて背筋を伸ばしたまま待っていた。


 やがて先輩が戻ってきた。黒い上下のスウェット姿で、肩にタオルをかけ、手にはドライヤーを持っていた。


「お待たせ」


 ペタペタと足音を立てて、先輩が私の横に立った。


「せ、先輩……」


 掠れたような、上ずった声が出た。

 先輩はふっと微笑んだ。


「秋谷もシャワー浴びておいで。脱衣所の洗濯機の上に着替えを置いておいたから」

「ありがとうございます。えっと、お借りします」


 立ち上がって先輩の横を通り抜けようとしたら、ふいに腕を掴まれた。

 見上げると、先輩の顔がゆっくり近づいてきて、額に温かいものが触れた。


「ひゃわ」

「ん、いってらっしゃい」

「あ、あの、自重してもらって」

「しない。しないけど、シャワーの間くらいは待つよ」


 先輩は溶けそうに熱い眼差しで、じっと私を見つめた。

 ほんと、供給過多!

 私があわあわしていると、先輩は目を細めて、また私の髪を丁寧に梳いてくれた。


「悪いけど、すごい眠いから先に横になってる。秋谷もシャワー浴びたらおいで」

「ひゃい……」


 先輩はやわらかくニコッと笑った。

 私はなんとか後退りして、リビングから廊下に出た。

 扉を閉める前に振り返ったら、先輩はまだ私を見送ってくれていた。



「はー……」


 脱衣所で服を脱いで、きちんと畳んで洗濯機の上に置いておいた。

 先輩が用意してくれたタオルとスウェットの上下が、隣にきれいに積んである。先輩が着ていたものとおそろいだ……。

 浴室はまだほんのり温かくて、そうか、さっきまでここで先輩がシャワー浴びてたのかあ。


 化粧を落としてからシャワーを出して、体を流した。

 思っていたより体が冷えていたみたいで、温かいシャワーがじんわり気持ちいい。

 置いてあったシャンプーでいつもより丁寧に髪を洗った。これ、普段先輩が使ってるやつなんだよなあ……。トリートメントはなかったけど、さっきコンビニで買ってきたお泊まりセットに入っていたから、それを使った。

 体も念入りに洗って、しっかり拭いてから浴室を出た。買ってきた下着をつけて、用意してもらったスウェットを着ると、また先輩の匂いがして、思いっきり吸い込んでしまう。

 この後先輩とベッドに入るのに、わざわざ借りた服の匂いをかがなくてもいいのに、緊張してどうしようもなかった。


 髪をタオルで拭いて、脱いだ服を抱えたまま、忍び足でリビングに戻ると、部屋は真っ暗になっていた。

 先輩、先に横になるって言ってたっけ。

 物音を立てないように、カバンからエコバッグを出して、服をそっと入れておいた。


 こそっと寝室を覗くと、ベッドがこんもり膨らんでいて、きっと先輩は休んでいるんだろう。ひどい顔色だったから、そのままゆっくり休んでいてほしい。

 私はドライヤーを持って脱衣所に戻り、静かに髪を乾かした。

 タオルは洗濯機に入れればいいかな。中を覗くのは我慢して、そのまま入れさせてもらった。

***

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