初恋は、終電の先に
ゴールデンウィークは、奈月の希望で先に彼女の実家へ顔を出した。
彼女の母親は確かに強烈な人で、「挨拶が遅い」「式はいつだ」「夫の実家への同居は禁止だ」と、息つく間もなくまくし立ててきた。
奈月の足が、実家から遠のくわけだ。
「申し訳ありません。私の転職活動のせいで、奈月さんをお待たせしてしまいました。奈月さんは職場でもとても頼りにされている方なので、そちらとの兼ね合いも見ながら時期を検討しています。ご心配をおかけしますが、温かく見守っていただけたらありがたいです」
そう頭を下げると、ひとまずは納得してもらえた。
実家についても兄がいることは伝えたから、たぶんその辺りも大丈夫だろう。
奈月の実家を出て駅前へ来るまで、彼女はげんなりした顔のまま、一言も口をきかなかった。
駅前のカフェで向かい合って腰を下ろした途端、奈月は押し殺した声で謝った。
「ごめんなさい」
「確かに強烈な人だったけど、大丈夫だよ」
……まあ、強烈な人ではあったけど。
でも、奈月が気にするほどじゃない。
奈月が眉を下げて、しょんぼりした顔で俺を見た。
「……好き」
「俺も奈月のこと好きだよ。……午後はよろしくお願いします」
そう言うと奈月はスッと背筋を伸ばした。
「お任せください。事務ですけど、営業について回ることもありますから、外面はばっちりです」
「ふふ、頼もしい」
そのままカフェで軽く昼を済ませて、次は俺の実家へ向かった。
実家には親しかいないと聞いていたのに、なぜか兄が出迎えてきて、開けたばかりの扉を閉めたくなった。
「よお。尚也が彼女連れてくるって聞いたから、見に来ちゃった。すげー、本物? サクラとかじゃなくて?」
「失礼すぎるだろ。ごめん、愚兄が」
「いえいえ、尚也さんとお付き合いさせていただいております。秋谷奈月と申します」
奈月はにこやかに微笑んで、綺麗に頭を下げた。
正直、かなり驚いた。
そりゃ、高校で出会ってから十年も経てば、彼女だって立派な社会人だ。新卒からずっと営業事務だとも聞いている。
それにしたって、さっきまでのふにゃっとした笑顔とはまるで違う、隙のない営業スマイルだった。
兄も呆気に取られたのか、ぽかんとした顔で奈月を見つめていた。
「とりあえず上がらせてくれ」
俺がそう言うと、兄は「あ、ああ。悪い……」と慌てたように頷いて道を開けた。
「ただいま」
リビングへ向かうと、両親と甥を抱えた兄嫁が待ち構えていた。
奈月を紹介すると、先ほどと同じように卒のない挨拶をした。
両親はそれだけで奈月を気に入ったらしく、機嫌よさそうに椅子やお茶、お菓子を勧めていた。
兄嫁は、遅れて入ってきた兄にひそひそと奈月のことを聞いていた。
……兄夫婦は、悪い意味でよく似た夫婦らしかった。
しばらくして兄嫁が奈月の近くの椅子に座った。
「尚也さんに、こんな可愛らしい彼女さんがいたなんて知りませんでした」
いつもより妙に高い声音に、何が言いたいのかわからず、俺はつい顔を引きつらせてしまった。でも、奈月は相変わらずにこやかに応じていた。
「お付き合い自体は最近なんです。でも私、十年以上ずっと尚也さんに片思いしていたので、お付き合いできて本当に幸せなんですよ」
「あ、そ、そうなんだ……」
「はい。だから、尚也さんのことは不安に思わなくて大丈夫ですよ。お子さんが小さいと、いろいろ気になりますものね」
奈月は、俺が兄嫁に言われたことを相当根に持っていたらしい。にこにこしているのに、どこかどすの効いた声がちょっと怖かった。
兄嫁がびくっと肩を揺らして俺へ視線を向けたので、俺もにこやかに答えた。
「そうですね。正式に付き合い始めたのは最近ですけど、高校の頃からの知り合いなので、互いに気心は知れてるんです。それぞれの実家の様子も、細かく報告し合うくらいには」
「そ、そうなのね。あ、ごめんなさい、そろそろ離乳食の用意しないと」
兄嫁は引きつった笑顔のまま、逃げるように席を外した。
俺はきょとんとしている両親へ視線を向けた。
「なんかさ、俺が未婚なことをずいぶん心配してたみたいで。これで兄さんたちも安心してくれるといいんだけど」
「あら、そうなの? でも私たちも安心だわ。奈月さん、至らない息子ですが、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げる母に、奈月は困ったように笑った。
「尚也さんは、私にはもったいないくらい素敵な方です。こちらこそ不束者ですが、何卒よろしくお願いします」
彼女の母親は確かに強烈な人で、「挨拶が遅い」「式はいつだ」「夫の実家への同居は禁止だ」と、息つく間もなくまくし立ててきた。
奈月の足が、実家から遠のくわけだ。
「申し訳ありません。私の転職活動のせいで、奈月さんをお待たせしてしまいました。奈月さんは職場でもとても頼りにされている方なので、そちらとの兼ね合いも見ながら時期を検討しています。ご心配をおかけしますが、温かく見守っていただけたらありがたいです」
そう頭を下げると、ひとまずは納得してもらえた。
実家についても兄がいることは伝えたから、たぶんその辺りも大丈夫だろう。
奈月の実家を出て駅前へ来るまで、彼女はげんなりした顔のまま、一言も口をきかなかった。
駅前のカフェで向かい合って腰を下ろした途端、奈月は押し殺した声で謝った。
「ごめんなさい」
「確かに強烈な人だったけど、大丈夫だよ」
……まあ、強烈な人ではあったけど。
でも、奈月が気にするほどじゃない。
奈月が眉を下げて、しょんぼりした顔で俺を見た。
「……好き」
「俺も奈月のこと好きだよ。……午後はよろしくお願いします」
そう言うと奈月はスッと背筋を伸ばした。
「お任せください。事務ですけど、営業について回ることもありますから、外面はばっちりです」
「ふふ、頼もしい」
そのままカフェで軽く昼を済ませて、次は俺の実家へ向かった。
実家には親しかいないと聞いていたのに、なぜか兄が出迎えてきて、開けたばかりの扉を閉めたくなった。
「よお。尚也が彼女連れてくるって聞いたから、見に来ちゃった。すげー、本物? サクラとかじゃなくて?」
「失礼すぎるだろ。ごめん、愚兄が」
「いえいえ、尚也さんとお付き合いさせていただいております。秋谷奈月と申します」
奈月はにこやかに微笑んで、綺麗に頭を下げた。
正直、かなり驚いた。
そりゃ、高校で出会ってから十年も経てば、彼女だって立派な社会人だ。新卒からずっと営業事務だとも聞いている。
それにしたって、さっきまでのふにゃっとした笑顔とはまるで違う、隙のない営業スマイルだった。
兄も呆気に取られたのか、ぽかんとした顔で奈月を見つめていた。
「とりあえず上がらせてくれ」
俺がそう言うと、兄は「あ、ああ。悪い……」と慌てたように頷いて道を開けた。
「ただいま」
リビングへ向かうと、両親と甥を抱えた兄嫁が待ち構えていた。
奈月を紹介すると、先ほどと同じように卒のない挨拶をした。
両親はそれだけで奈月を気に入ったらしく、機嫌よさそうに椅子やお茶、お菓子を勧めていた。
兄嫁は、遅れて入ってきた兄にひそひそと奈月のことを聞いていた。
……兄夫婦は、悪い意味でよく似た夫婦らしかった。
しばらくして兄嫁が奈月の近くの椅子に座った。
「尚也さんに、こんな可愛らしい彼女さんがいたなんて知りませんでした」
いつもより妙に高い声音に、何が言いたいのかわからず、俺はつい顔を引きつらせてしまった。でも、奈月は相変わらずにこやかに応じていた。
「お付き合い自体は最近なんです。でも私、十年以上ずっと尚也さんに片思いしていたので、お付き合いできて本当に幸せなんですよ」
「あ、そ、そうなんだ……」
「はい。だから、尚也さんのことは不安に思わなくて大丈夫ですよ。お子さんが小さいと、いろいろ気になりますものね」
奈月は、俺が兄嫁に言われたことを相当根に持っていたらしい。にこにこしているのに、どこかどすの効いた声がちょっと怖かった。
兄嫁がびくっと肩を揺らして俺へ視線を向けたので、俺もにこやかに答えた。
「そうですね。正式に付き合い始めたのは最近ですけど、高校の頃からの知り合いなので、互いに気心は知れてるんです。それぞれの実家の様子も、細かく報告し合うくらいには」
「そ、そうなのね。あ、ごめんなさい、そろそろ離乳食の用意しないと」
兄嫁は引きつった笑顔のまま、逃げるように席を外した。
俺はきょとんとしている両親へ視線を向けた。
「なんかさ、俺が未婚なことをずいぶん心配してたみたいで。これで兄さんたちも安心してくれるといいんだけど」
「あら、そうなの? でも私たちも安心だわ。奈月さん、至らない息子ですが、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げる母に、奈月は困ったように笑った。
「尚也さんは、私にはもったいないくらい素敵な方です。こちらこそ不束者ですが、何卒よろしくお願いします」