離れた後の恋の仕方
一美とマンションの展示場に行ってから数日が過ぎ、メッセージのやり取りはしているけれど直接会えないと一美不足になる。

水曜定休の不動産屋で働く一美と平日勤務の俺とは1日のスケジュールが違うし、何とかして一美に会いたいから、専務室で自分の席に座り、手帳を開いて1か月分やその先の予定をじぃっと眺め、少しの隙間でもいいから一美ととびっきり美味しいカフェラテのお店に行ったり、食事に行きたい。

食事だったら超気合い入れて夜景が綺麗に眺められるホテルの上層階のレストランか、社会人になってから一美と初めて訪れた一軒家のレストランにしようか。

一軒家のレストランは一美もとても気に入っていたし、5年前に離れる前も行っていたからどちらにしよう。

よし、スーツの内ポケットからスマホを取り出して、指で一美宛にメッセージの文を打ち始めた。

『一美とご飯を食べに行きたいから、都合はどう?久しぶりに一軒家のレストランか、夜景の見えるレストランはどう?』

メッセージを送ると既読にはならず、此処は一美の返事を気長に待とうとスマホをスーツの内ポケットにしまう。

橘と3雑誌の進行スケジュールを確認していたら、そういや野球の球宴で仁が西日本を自分が、東日本は伊東が受け持つって言っていたと思い出し、仁が西日本だと日帰りの取材は厳しいから一泊二日の出張じゃないときついよな。

普段ならスポーツ部の制作達が宿の手配しているけど、俺のノルマ3ヶ月のクリアに集中してもらいたいから、今回は俺が手配しておくか。

「橘にお願いしたいことがあって、スポーツ部の仁に一泊二日の出張の予定を組ませるから、◯◯駅付近のビジネスホテルの価格を調べてもらえない?」
「かしこまりました。ご希望の条件はございますか?」
「うーん、最近の宿泊費って高騰しているから金曜と週末は避けて平日で、ビジネスプランがあれば助かる」
「幾つかピックアップします」
「宜しく〜」

橘は自分の席にあるパソコンで調べ始め、さて俺はファッション部の進行からだなとファッションの副編から預かった6月号の原稿のコピーされた紙束を1つ1つ黙読し始める。

表紙は久しぶりに『Clover』に登場するモデルで、巻頭の記事もこのモデルが出ていて最近は女優業にも取り組んでいるんだ。マルチに活動するなんて凄いじゃん。

コーデの特集も毎月テーマを考えるだけでも大変なのに、水瀬が『副編ともう一人の子が頑張ってくれているよ』と言っていた通り、飽きがこないようにテーマを決めて、それに合わせたコーデのパターンをみる度に読者がファッションを楽しんでくれたら嬉しい。

四つ葉が出来てもう10年は超えて、ファッション部の初代編集は女性で、出来立ての出版社の中で『Clover』の初期を築き上げてくれて、そこそこの売り上げを出していたけど他の出版社に転職するって言い出した時は本人のやる気を尊重したい気持ちとまだいて欲しかったと葛藤した。

次の後任の人選の時、今の副編が役職に就く前に『水瀬さんなら俺達の仕事を細かく見てくれますし、編集長になって引っ張って欲しいです』と猛プッシュしていたっけ。

実際、就任後の2年は四苦八苦していたけど四つ葉の社員や取引先の相手からの人望も厚いから編集長にしてよかったし、何よりも読者にファッションを楽しんでもらおうとする行動力が凄い。

俺が考えている新しい雑誌の編集長に水瀬が転属してくれたら四つ葉の新しい風になるし、どうだろうか。副編も大分ファッション部に馴染んできて会議での発言もきちんとしているし、年内に退職する3人の補充と併せてこの2人の人事の相談を持ちかけてみよう。

コーデのページの紙束を読み終え、次はコラムの原稿、広告のページを其々黙読し、ファッション関連の広告も芸能人が多いのとコスメ関連も国内や海外の広告だったりと多岐にわたっていて、後藤が創った雑誌との違いが出ているし、うん、『Clover』の6月号は良さそうだと安堵した。

次は姫川の所で『Focus』の原稿のコピーの紙束を手に取って、そこには掲載する地域を変更したって書いてあり、前の部数会議で姫川と九条ちゃんの『この街を歩きたい』という資料が凄く良くて、実際にこの6月号でも細部にわたって街の魅力を伝えており、流石長年タウン情報部に携わっている姫川だな。

九条ちゃんもタウン情報部に異動してからは頑張ってついていてくれているけど『俺の弟が九条と結婚したがっている』と姫川から聞き、さて九条ちゃんがどんな選択をするかだ。

姫川の弟さんの職業って確か漁師だって言っていたから、弟さんの元に嫁ぐとなると長距離通勤?!寿退社もあり得るけど、こればっかりは本人次第だし、姫川がまた一人でタウン情報部になるとどうだろう。

『俺がとやかく言う立場でもねぇ』って言うけど、想い人が身内の人と結婚するわけでその後も会う事があるだろうに、その現実を受け入れている姫川が1番大人だな。

俺なんて親の都合で一美の人生を一度台無しにさせてしまって、その後も誰とも付き合う事すらないままで5年も過ぎ、でも心の中でずっと一美への想いが消えることはなくて、“社会科見学”で再び“離れた後の恋”が動き出しー…

「高坂専務?」
「え?あ、ご免。どうした?」
「◯◯駅近辺のビジネスホテルについて、3軒ほど条件にあうのが御座いましたので、比較が出来る様に印刷しました」
「有難う。この後は役員会議に行くから、橘は此処で待っていて」
「はい」

橘から印刷した用紙を受け取り、意識を変えて、どれどれ、ビジネスプランであっても素泊まりでこの値段か。部屋の広さも一人なら風呂と洗面台が一緒の作りで了承してもらわないと駄目だし、そういや仁と初めて一緒に出張に行った時は面白い展開があって、思い出し笑いをする。

「どうかされました?」
「ん〜、仁と初めて一緒に出張に行った時を思い出して笑ったんだ。その時さー…」

俺は橘に話したのは、仁が四つ葉に入社した年に地方で行われるテニスの試合を取材に行くため、スポーツ部の制作に宿の手配して貰い、いざ該当の部屋に入ったら『ダブルベット1つの部屋』だった。

宿を取ったスポーツ部の社員がどうやらダブルとツインの違いを勘違いしていたらしく、俺はこの展開を面白く受け取ったけど、仁はずっと根に持っていて、出張の話になる度に『稔と同室は絶対に嫌』って言うんだよね。

「大の大人2人が1つのベットだよ?俺は修学旅行みたいで楽しんでたけど、仁だけは翌朝もご機嫌斜めで、空気が回復するまで超時間かかったんだ」
「高坂専務のいびきとかが嫌だったんですかね?」
「いびきはかいていないと思うけどなぁ」

出張の思い出話を聞いた橘は笑っていて、お固い表情よりもにこやかがいいじゃん。

その後は仕事をこなすけど一美の返事は来なかった。
< 51 / 77 >

この作品をシェア

pagetop