八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜
静丘支店は駅前にある自社ビルだ。一階は窓口業務、その他の階は職場となっている。
「牧野さん、同伴出勤ですか?」
朝倉くんと二人で職場に着くと、同じチームの水谷さんが冷やかしてきた。
私が朝倉くんと出勤すると、周囲にはそう見えるらしい。
「水谷くん、それ問題発言よ」
私はリーダーらしく、即座に注意をした。
「すみません! むしろお似合いだからヤキモチですよー」
見え透いた機嫌取りだ。それで喜ぶほど、私は現実が見えない人間ではない。私は呆れ顔でコートを脱いだ。
「それもセクハラ。通報されたら評価が一気に死ぬわよ」
水谷さんは五十手前の男性。セクハラやパワハラがはびこっていた菱一証券で生きてきたため、その時代の言動が染みついていた。
以前の菱一証券は、体育会系の根性で営業をかけ、大きな数字を取れば英雄扱いされる世界だった。
しかし、昨今の世相を反映して、この菱一証券にもコンプライアンスの徹底がなされるようになった。
収益より顧客優先!
セクハラ、パワハラ撲滅!
現在の社長になってから、それが日増しに加速していた。
「牧野さん、冗談ですよ。ちょっとした軽口」
水谷さんは肌艶もよく、ベビーフェイス。私はこの人をどうも憎めない。
昔は強引な営業でそれなりの成績を残してきた彼だが、同期との出世争いに負けて戦意喪失し、すっかり第1営業部に居ついてしまった。
今度は、水谷さんの隣のデスクに陣取る三田さんが朝倉くんを冷やかしてくる。
「朝倉くんにとって牧野さんはプリンセスだものね!」
「三田さんっ、そういう揶揄いは疲れるからやめてくださいねっ」
朝倉くんは否定せず、微笑んだままだ。
代わりに私は、三田さんを叱った。
三田さんは二十六歳の美人さん。新人の頃の飛び込み営業がトラウマとなり、今では40%のエネルギーしか使わないと決めた人だ。
水谷さんと三田さんの業務評価はいまいちらしく、このチームのリーダーは私が任されている。
皆、人柄は悪くないのだが、チームとしてまとめるには根気が必要になる。
私は小さな溜息をもらしながら、着席した。
「プリンセスという表現はいまいちですが、ニュアンスはその通りです」
恥ずかしげもなく答えた朝倉くんは、いつも通り私の横のデスクに腰を下ろした。
「朝倉くんってノリがいいよね。だからイケメンなのに緊張しないのよ」
「仕事も優秀。売れ残りの蜂谷商事の債券、俺たちが営業かけてもダメだったのに、朝倉くんが参戦したらあっという間にさばけたもんな。僕は君に恋しちゃいそうだったよ」
「すみません。僕には瞳子さんがいるので、お断りしますね」
私は彼らの会話に参戦せず、パソコンメールをチェックするふりをする。
私には、朝倉くんを強く注意できない理由がある。
それは、彼が異常に仕事ができる人間だからだ。
人脈、情報収集能力、分析・戦略、判断力、コミュ力。
すべて最大値のスキルを持っている。
彼のスペックで嫌味な人間なら、水谷さんも三田さんも寄り付かないだろう。
それが、見事に二人の心を掴んでいるのだから、すごいとしか言えない。
いえ、すごいを通り越して、少し怖いくらい。
私は壁掛け時計で時間を確認した。そしてデスクに手を付き、立ち上がった。
「頭を仕事モードに切り替えてください! 寄り付きまでに株式相場のチェックと、本日のタスク確認をお願いします」
取引所の売買は午前九時から開始される。その最初の売買を寄り付きと呼ぶ。
私たちは担当する個人客に株を売買してもらうことで手数料を頂戴し、収益を上げている。
寄り付きと同時に、私たちはソルジャーとなり営業に駆け回る。
※
「昨日の蜂谷商事の債券を売りさばいたのは、朝倉くんなんだろう?」
「そうです」
「牧野さんのチームは、朝倉くんがいてラッキーだったな。でも個人の成績は伸び悩みが続いている。なんとかしないとな」
「……はい」
奈良課長に日報を提出しに行っただけなのに、チームの成績の悪さを指摘されてしまった。
朝倉くんが来てから、みんなが彼に頼るようになり、個人のパフォーマンス力が低下している。
わかってはいるけど、水谷さんも三田さんも出世欲がないので、やる気を引き出すのは難しいのだ。
本当にチームリーダーって大変な立場だ。
誰かに相談して頼ることができたら、もっと頑張れるのかな。
私のジャケットの内ポケットに入れていたスマホが短く鳴った。
取り出して確認すると、送信者は私の恋人、雨森龍彦からだった。
彼の告白を受け入れて2年が経過した。
彼は私より3つ年上だから、もっと頼ればいいのに、それができない。
(だって、恋人というより……)
『第3談話室で待ってる』
見慣れた定型メッセージに、短い息が漏れそうになったが、無理やり飲み込んだ。
「牧野さん、お客さまから電話が入りましたよ」
「水谷さん、ありがとう」
先にデスクに戻ってきたら、仕事が待っていた。
株の相場が動けば、顧客からも売買取引の電話が入ってくる。
私たちは売り時、買い時をアドバイスして、上がった利益の一部をいただき、それが給料となる。
だからこそ、顧客の立場になって親身に対応することを心がけている。
龍彦が待っているけど、顧客優先よ。
顧客との電話交渉を終えて、私がデスクから離れようとしたとき、朝倉くんが声をかけてきた。
「瞳子さん。今度、新規開拓する営業先の相談をしたいのですが、時間はありますか?」
「あ……少しだけ待っててもらえるかしら。すぐに戻るから」
「どちらにいかれるんですか?」
「……ちょっと甘い物を買いにね」
私は朝倉くんに詮索されぬよう誤魔化して、龍彦が待つ談話室へと急いだ。