八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜
無自覚なロマンスの目覚め

《朝倉祐二 視点》



 瞳子さんへのプロポーズが成功して、一安心していた。
 わたしはこの日のために、一切の欲を捨てて努力を重ねてきたのだから。

 これから瞳子さんと結婚生活を送ることができる。
 その矢先、やはり懸念していた者が会いに来てしまった。

「瞳子さん、顧客さま対応で外に出てきます」
「気をつけていってらっしゃい」

 勤務中の瞳子さんが、わたしに向ける顔はとても穏やかになった。
 本当に幸せだ。
 こんなにいい気分のときに、呼び出されるとは。

 ──黒川に。



「いらっしゃいませ」

 老舗カフェに入り、店内を見回した。
 豊かな白髪を神経質に七三に分けている男の姿を捉える。
 その人物の前に立つと、以前より歳を重ねた彼の風貌が目に入った。

 白髭がさらに目立ち、少し痩せたせいか、顔の皺も深くなっていた。
 だが、時代が変わっても燕尾服を着るあたり、執事という仕事にプライドを持っていることがわかる。

「待たせた、黒川」

「ぼっちゃま……お顔を拝見するのは五年ぶりでございます。精悍なお顔つきになられました……」

 黒川が顔を緩ませ、懐かしそうにわたしを見てきた。

「わたしはもう二十三歳だっ。『おぼっちゃま』はやめてくれ」

 数年ぶりの顔合わせであり、わたしの幼いころの呼称に、思わず動揺してしまった。

「失礼しました。祐二さま」

 黒川に神妙な顔で頭を下げられた。

 彼は朝倉家の執事であり、幼少期のわたしの世話役だった。
 あの頃は、一番信頼のおける人物だった。

 わたしは革張りの長椅子に腰を下ろす。

「仕事中だから、手短に頼む。用件はなんだろうか」

「率直に申し上げます。祐二さま、そろそろご実家にお戻りになってはいかがでしょうか」

 黒川から鋭い視線を送られた。

 緩急をつけた表情で相手をコントロールするところが、さすが年の功だと感じる。
 しかし、わたしはもう動揺しない。

「断る。わたしは、あの家から自立した人間だ」

 わたしは腕を組み、真っ直ぐ黒川を見る。
 彼の話術に呑まれないように用心する。

「兄の貴浩(たかひろ)さまも体調を崩されております。……美麗(みれい)さまも疲れ切っておいでです」

「っ! まさか、あの母上がやつれたとでもいうのか?」

 わたしは、軽く笑いが漏れてしまう。

 兄の貴浩は昔から優しく繊細な人で、わたしは大好きだった。
 しかし、母は違う。
 どんな強力な魔法でも倒すことができない『魔人』だからだ。

「美麗さまは旦那さま亡き後、立派に事業を引き継がれました。しかし、確実に年齢を重ねられております。口には出されずとも、祐二さまとの関係を後悔なさっているかと存じます」

 黒川の目線がどんどん下がっていった。
 本心なのか、読み取らせないつもりなのだろう。

「……黒川は母の先棒だからな。いいように解釈しているだけだ」

 あの魔人の執事を続けられていることが、何よりの証拠だ。

「いいえっ、私は祐二さまの生き方を応援しております! だからこそ、久しぶりのお電話でご依頼いただいたことも実行したのですよ?」

 いきなり黒川の声量が上がった。
 わたしは嫌な予感がして、眉がピクリと動く。

「雨森という男性を尾行し、浮気現場を見つけ、見知らぬお宅へ留学パンフレットを投函しました。これは、私の祐二さまへの忠誠の表れでございます!」

 なぜか、そこだけ大きな声で主張する。
 わたしは腕を崩して慌てた。

(黒川、わざとやっているな。
 わたしの弱みを握ったつもりかっ!)

 わたしは仕方なく黒川と向き合った。
 軽く咳払いを一つする。

「……黒川、それは口外厳禁と頼んだはずだが?」
「申し訳ございません」

 黒川は言葉ではそう言うが、わたしが交渉の場に戻ったことに安堵した表情を浮かべた。

「では、祐二さま。私のお願いを受け入れてくださいませ。貴浩さまの体力が限界に近いと感じます。鳳凰ホテルグループの存続を揺るがしかねない事態なのです。あなたも創業家、朝倉家の人間なのです。どうか、その自覚をお持ちください」

「確かに、わたしは朝倉の人間だ。だが、この地位を確立するまで、一度だって朝倉の名を笠に着たことはない」

 黒川に鋭い眼差しを向けた。

 わたしは一から自分の努力で、今の自分を築き上げてきた。
 それを『朝倉の力』などと言われたくもなかった。

「ご家族の窮地を見て見ぬふりをなさるのですか?」

「黒川もわかっているはず。兄がトップから降りても、身近にふさわしい人物がいるではないか」

「だから、それを祐二さまに……」

「母上だよ」

 わたしは、あの家に近づくつもりはない。
 自尊心を守るためにも。

「母上が裏で兄を操ろうとするからいけない。傀儡経営をやめて、母上本人が表舞台で指揮を取れば、すべてうまく回るだろう」

「……美麗さまには、その気はないようです。最近は私に祐二さまを監視させ、逐一、報告しろと申されます。勝手な結婚など許さないと、美麗さまは大変お怒りでございます」

 わたしは、ここで盛大に溜息をついた。

「だから、わたしは結婚を早めたんだ! 黒川もわたしの監視をするのはやめてくれ」

「それは出来かねます。私は美麗さまの執事ですので」

 再び、あの鋭い執事の目に戻った。

「ならば、話は平行線だな」

 これは時間の無駄になりそうだ。
 わたしは迷いなく立ち上がった。

「わたしに黒川の要望に応える義務はない。仕事に戻る。失礼」

 出口に歩き出したわたしの背中越しに、黒川の低い声が落ちる。

「このまま美麗さまが大人しくしていると、お思いですか?」

「っ⁈」

 思わず足が止まる。
 さらに低い声が続いた。


「必ず、美麗さまは祐二さまにとって不都合な行動を起こすでしょう」







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